ささげもの

    命綱

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     勝つこと。それがわたしの全てだ。ほかの何事も、それに付随し奉仕するだけのものにすぎない。

     わたしは自転車を停めると、人の見ていないことを幸い、自然の欲求を果たした。膀胱が空になると、また、ロードバイクのペダルを踏む気がわいてきた。

     このスイスの山道のど真ん中で、自転車を盗まれる危険性については考えなかった。もとより誰もいないことはわかっていたし、普通の人間というものは、背中にライフルを背負った人間を相手にしてまで、自転車を奪おうとはしないものだ。わたしはロードバイクの中では比較的安価なクローム・モリブデンのフレームにまたがると、再びペダルを踏んだ。

     トレーニング以外の目的で自転車を扱ったことはなかった。冬以外の季節にスイスを訪れたことも初めてだった。本来ならば今ごろは南半球に行っていなくてはいけない職業なのだ。

     バイアスロンにはそれだけの価値がある。

     事の起こりは喜劇的なことだった。友人たちはわたしを慰め、励ましながらも、腹の底ではゲラゲラ笑っていることはお見通しだった。高校のころ、ホームステイ先の日本でごちそうになった薬草茶がおいしくて、無理をいって毎年送ってもらって愛飲していたのだが、去年、その成分のひとつが、新たな禁止薬物として世界アンチドーピング機関に登録されたのだ。それに気がつかず、いつものようにお茶を飲んでドーピング検査を受けたわたしは、見事に引っかかり、今年の大会すべてを欠場せねばならない処分を下されてしまった。

     運命の手痛い一撃を思ってわたしは苦笑いした。国際大会での去年のわたしは絶好調で、今年の平昌の冬季オリンピックの出場も夢ではないといわれていたからだ。メダルを取って表彰台に上がる自分をちらっとでも考えなかったといえばウソになる。たとえ取れなかったとしても、出るのと出られないのとではえらい違いがあった。次回のオリンピックごろには、わたしは引退している公算が高い。スポーツ選手にとり、年齢の与えるものは、経験だけではないのだった。

     これまでの選手活動で、それなりの金は貯めていたが、倹約ということも考えなくてはならない。トレーニングということも考えなくてはならない。ついでに、一旅行者として観光もしたかった。思いついたのが、自転車でアルプスを走ってのスイスめぐりである。銃はいけるがスキーに少々問題がある、といわれていたので、脚力、特に持続力をつけるために山道を自転車で走るのは有効ではないかと考えたのだ。スイスは個人的に腰を据えて一度観光してみたかったし、何しろ移動手段に金がかからないのだ。スイスの物価がいかに観光客に不親切でも、それほどの予算を組む必要もあるまい。物価の面から考えればピレネーにすべきかもしれなかったが、独立宣言が行われたばかりの政情不安定な地域で山道を自転車旅行するのは、さすがにはばかられた。命が危険にさらされるなら、少々物価が高いくらいなんだというのだ。

     パトカーが私を追い越した。そのまま速度を緩め、パッシングした。わたしは路肩に自転車を停めた。

     警察官が降りてきた。

    「こんなところで、なにをやってるんだ? 旅行者だろうが、スイスの山をなめると、死ぬぞ」

     わたしはパスポートを見せた。

    「フランス人の旅行者です。トレーニングがてら夏のスイスの観光をしている。次の村までたどり着くだけの持久力があるかないかくらいの計算はできますよ。サリスブリュッケでしたっけ」

     警察官はパスポートをあらためた。

    「オノレ・ガブリエル・デュ・ゲクラン……? どこかで聞いたな」

     警察官はもう一度わたしの顔をまじまじと眺めた。

    「ああ、『革命軍大元帥』のゲクラン選手ですか。バイアスロンの。そういえばテレビで見ましたよ。今回は残念でしたな」

     わたしはパスポートを受け取った。

    「自分の管理ができていなかったわたしのミスです。なにかあったんですか?」

    「人相が悪い男がライフルを振り回して強盗未遂をやらかして逃げましてね。ここらへんをふらふらしているらしい。気を付けてくださいよ」

     人相が悪い、といわれて、わたしは再び苦笑いした。わたしの本名であるオノレ・ガブリエル・デュ・ゲクランというのは、前半が、フランス革命の指導者で、幼い頃に天然痘を発症してあばただらけになった、魁偉な容貌で有名なミラボー伯爵の、後半が、英仏百年戦争の英雄で、「レンヌからディナンまでで一番醜い」といわれた、これまた容貌魁偉なベルトラン・デュ・ゲクラン大元帥のそれだったからだ。そして、わたしの顔がまた、惨敗した翌朝の新聞に「カレーからカルカソンヌに至るまでで一番醜い」と揶揄されるようなそれときている。すでに小学生のころにつけられた綽名が、「革命軍大元帥」。

     そんなコンプレックスを抱えた人間が、中学生のころ、生まれて初めてまぐれで出場した国際大会で、まぐれで優勝したと考えてほしい。勝利に執着する人間になるに決まっているではないか。そして、わたし自身も、そんな自分に不満は覚えなかった。

    「村に着いたらそこで一泊することにします。もう十キロもないんだ。翌朝までにはつかまえておいてくださいよ。スイスをめぐり終えたら安くて飯のうまいイタリアに行くつもりなんだから」

    「……努力します。なにしろ全域をくまなくカバーするには警察官が足りないもので」

     警官はそういってから笑った。

    「いや、射撃の名手のあなただったら、犯人がライフルで狙いをつける前に、そいつの銃口に弾丸をめり込ませていることでしょうな。そうなったら、こっちの仕事も楽になる」

     わたしも笑った。

    「じゃあ、せいぜい努力しよう」

     走り去っていくパトカーを見送り、わたしも自転車にまたがった。

     さて……。

     そう考えた時、わたしは右肩にやけどしたときのような痛みを覚えた。

     ライフルの音を聞いたような気がして、わたしは意識を失った。



     ベッドで目を覚ました。愛嬌のある顔をした若い女性看護師が、わたしに振り返った。

    「……ここは?」

     といって、自分が愚問を発したことに気づいた。肩を撃たれたのだ。最寄りの病院に決まっている。そして、地図から考えると、最寄りの病院があるのは、十キロ先のサリスブリュッケの村だった。

     わたしは目をずらして肩を見た。ギプスで固定されていた。ひどい骨折はしていないようだった。リハビリをすれば、来シーズンには復帰できるだろう。

    「サリスブリュッケの病院ですか?」

     看護婦はうなずいた。

    「そうですよ。犯人の車が故障した地点から近かったのが災いしたんです。あなたを撃った犯人は、あなたの乗ってきた自転車を奪って逃走しようとしたところを、警察官に逮捕されました」

     やれやれ。わたしは指を動かそうとした。

     ……動かない?

     自分でも顔が青ざめていくのがわかった。

    「看護師さん、わたしの肩は……」

    「デュ・ゲクランさん、落ち着いて聞いてください。銃弾は、あなたの肩甲骨を外れましたが、貫通する過程で、右肩の神経叢を広範囲に破壊しました。でも、リハビリを適切に行えば、うまくいけば日常生活に不自由がない程度には回復する可能性が……」

     わたしは絶叫した。

     勝つこと。それがわたしの全てなのだ。それだけがわたしの全てなのだ。

     これからは、なにをわたしの全てにすればいいのだ……?

     わからなかった。

     わたしは左手を伸ばし、看護師の手をつかんだ。

    「看護師さん。すまない。怖い。怖くてたまらないんだ……」

     わたしはそれが命綱でもあるかのように、その滑らかな温かい手を握りしめ続けた。
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    ~ Comment ~

    Re: 大海彩洋さん

    マタギというより、「山岳歩兵」スポーツですね。

    北欧やスイスの山岳地帯に侵略戦争を仕掛けると、万年雪の中を自動小銃持って冬期迷彩服に身を包んだこのスポーツの熟練者である精鋭部隊がスキーを履いてものすごい勢いで滑ってきて、正確無比な連続射撃により侵略者を蜂の巣にしてしまうので注意しましょう(笑)

    今年もよろしく~

    バイアスロン

    なんて、あんまり目にすることはなかったけれど、そうか、要するに「マタギ」競技だったのですね。でも、マタギの方がずっと大変そうだけれど、それが生き様なんだものね。
    一方この人、競技に出れなくてくさっちゃってますが、最後に金よりねーちゃんを選ぶなんて、もしかしてものすごく太っ腹なのか? 

    実は、読みながら、ポールさんのことだから、途中まで、人相の悪いライフル男=デュ・ゲクラン氏だってオチで来るのかも、と思っていました。すぐ疑っちゃう。

    今年もよろしくお願いいたします!
    あ、認証キーワードが「いちにいちに」だった。正月っぽい(o^^o)

    Re: TOM-Fさん

    八少女さんをかたくなな気持ちにさせてしまったので、この男が幸せになることは当分なさそうですな(^^;)

    神経叢が破壊されても、最近は神経の電気信号をキャッチし、増幅することで、筋肉に刺激を与えて動かすシステムとかも開発されているそうなので、まあ、試合は無理でも、ものを書いたり飯を食ったりすることはできるようになるのではないでしょうか。

    地獄のリハビリが必要でしょうけど……(ひどい(^^;))

    こんばんは!

    執筆、お疲れさまでした。

    バイアスロンって、なんでスキーと射撃なんでしょうね?
    むしろノルディック複合こそが、バイアスロンって気もしなくないのですが。

    さて、革命軍大元帥氏、なんかいろんなことが悪い方向に回ってますね。
    禁止薬物を知らないま摂取してしまうって、よく聞きますよね。厳しいよなぁ。もっとも平昌オリンピック、フランスは出ない可能性があるから、どっちにしても……。

    せっかくのトレーニング兼観光旅行がだいなしですが、看護師さんと、なんかいいことがあるのかな?
    八少女夕さんのお返し作品を読んできましたので、せめてそれくらいのおいしいことがないと、ちょっと気の毒だなと思っています(笑)

    Re: 山西 サキさん

    わたしも本とテレビで「おお、カッコええ」となったクチです。

    めちゃめちゃスキーして頭がボーっとなって心臓がバクバクしているところでいきなり銃を撃つわけで、それがことごとく命中するわけですから、どういう肉体しているんだ、ですよ。

    北欧の人間があこがれるのもわかりますな。

    日本ではえらいマイナースポーツなのは、やっぱり、「自衛隊に入らないとオリンピックどころか練習すらできない」という理由からだろなあ……。

    山と雪と銃の国であるスイスで人気がないわけがない、と安易に考えて設定しましたが、もしかしたらスイスでも人気なかったとか(汗) そんなことはないか(^^;)

    NoTitle

    バイアスロンはサキも好きな競技の1つです。
    かなり前のオリンピック中継でぼんやりと眺めていて、なかなか面白いということを発見しました。
    あの打ち損じて罰ゲームみたいにペナルティループを回らされるところなんか、順位の変動があってドキドキします。それになんか、厳冬期の猟師の生活や軍事訓練をそのまま競技にした感まで漂って興味深いです。
    変な競技だとは思うんですけれど、ここにもこの競技のファンはいますよ。

    そんな競技の選手である主人公の設定から容姿、そして名前まで、ポールさんのこだわりやチャレンジ精神を感じますが、いかが?
    人相の悪いライフル男、事件発生!そして愛嬌のある顔をした若い女性看護師の登場、この盛りだくさんの内容を夕さんがどのように料理されるのか楽しみにしています。

    Re: 八少女 夕さん

    修正しました。ほかにありましたらおっしゃってください。

    ピレネーに行かなかった理由ですが、バスク祖国と自由(ETA)から分派した武装組織がうろうろしていて、しかもひと山越えたところでは独立宣言なんかされていつ独立戦争が始まってもおかしくない、という時期にピレネーを自転車旅行するのはさすがに無謀かなあ、と……。

    バイアスロンは北欧をはじめとするヨーロッパ、とくに山間部では人気のスポーツだと聞いてますので、テレビ放映がカッコよかったこともあって何の気なしに設定したのですが、カヌーとかアーチェリーとかのほうがよかったかな。

    フランス語圏だそうだからフランス語話者なら誰でも知っている歴史上の有名人から名前をいただきましたし……。

    もしかしてわたしの趣味嗜好はわたしが考える以上に変なのか?

    NoTitle

    ご参加ありがとうございます。
    暴投ではなくストレートとおっしゃる基準がさっぱりわかりませんが、ポールさんらしい作品、楽しませていただきました。

    最初に自分でフラグを立てた通りに襲われてしまって大変お氣の毒ですが、主人公の命に別状がなかったことにほっとしました。ご本人はそうではないみたいですが……。

    金が有り余っているわけではないのに、フランスのアルプスではなくて物価のケタ違いに高いスイスを自転車で回ろうというアイデアはかなり独創的ですが、ともかく早く通り過ぎようというモチーフにはなるかもしれませんね(笑)

    さて、この話をどうしたらいいのか全然わからないのですが、少しだけ考える時間をくださいね。

    冬季オリンピックに出ようとしていたということは、クロスカントリーと射撃のバイアスロンの選手ということでいいんですよね。

    そして、ええと、せっかく書いていただいて、大変申し訳ないのですが、こちらの設定と合わないので「カンポ・ルドゥンツ」としてあるところは全て「サリスブリュッケ」に変えていただくと助かります。こちらの村はカンポ・ルドゥンツの対岸にありますがだいぶ大きいので病院もあります。そして、この辺りのことを知らない外国人が地図を見て名前を知っていても変じゃないので。実は10キロもちょっと苦しいですが、こちらはまあ、いいことにしましょう。

    すみませんが、ご一考お願いします。
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