風渡涼一退魔行

    風渡涼一退魔行 第一話 さとるの化け物

     ←日本ミステリ36位 サマー・アポカリプス 笠井潔 →日本ミステリ37位 孤島の鬼 江戸川乱歩
    風渡涼一退魔行

    第一話 さとるの化け物


     1

     書けない。何も書けない。気持ちいいくらい何も書けない。おれは合成皮革の表紙がボロボロになりかけの、古い能率手帳のうえで、愛用の銀のシャープペンシルを震わせた。丸でも四角でも三角でもいいから、何か書けばそれだけ埋まるのだが、それができないのだ。

     とん、と水の入ったコップが置かれた。

    「ラーメン」

     おれは親父の顔を見もしないでいった。四百八十円。まあ妥当だろう。まさか消費税をとるなどという野暮はいうまい。何しろ風格のある店なのだ。

     煙く、脂ぎった店だった。テーブルにも、窓にも、本棚に雑然と積まれている週刊漫画ゴラクにも(いや、あれは週刊漫画サンデーだったろうか)、油と煙が染みついていた。新しいのはテレビくらいだ。おそらく、デジタル移行に合わせて何でもいいから買い替えたのだろう。野球はちょうど、二回の表、オリックスの攻撃からだった。東京MXでなぜか毎日のようにかかっている、福岡ソフトバンクホークスの試合中継である。今のオリックスとソフトバンクの試合に、おれは興味がなかった。

     無性にタバコが吸いたくなり、おれは一日三本の禁を曲げて、ポケットから「わかば」を取り出し、一本抜いてくわえた。生活レベルを落としたくないのだ。これがもし、「エコー」を吸ってストロングゼロのロング缶をを好んで飲むような生活になると、後は転落の一本道しかない。火をつけようとしたとき、壁の「禁煙」の張り紙に気が付いた。どこまでもついていない。都の条例か何かだろうか。そんなものを考えたやつなど、くたばればいいのだ。

     扉ががらがらっと開いた。

     おれはそちらに目をやった。

     華奢な若者だった。相撲のさば折りをかけたら、そのままぽきんといってしまいそうなくらいにスレンダーに見える。さらっとした髪は長すぎも短すぎもせず、チタンフレームと思われる眼鏡は、小さくまとまった顔に知的さをくわえていた。夏向けのジャケットを晴朗な感じに着こなした姿からは、いっさいの汗のにおいを感じさせない。どこまでも爽やか。

     ひとことでいえば、少女漫画雑誌から、「知的な若者」のコマをハサミで切り取ってきて、空気ポンプか3Dプリンターを使って実体化したような若造だ。

     おれは面白くなかった。

     四十代半ば。顔は渥美清とせんだみつおを合成して四角くした、色黒の脂ぎった顔。着ている服にはタバコのヤニが染みつき、クセの強い髪はゴワゴワを押さえるために無理やり短くして整髪剤でごまかしている、風采の上がらないにもほどがある自分の姿を思い返せば、面白くなくなるのも無理はないだろう。早い話がひがみ根性である。

    「うわあ、こんな店知ってるんだ」

     若造の直後に入ってきた人間を見て、おれのひがみ根性はさらに強くなった。

     女だ。年齢的には若造より二、三は上だろう。ベッドで同衾したら女としていちばんうまいであろう年頃だ。目がぱっちりしており、鼻筋から口もとあたりの感じもなかなかよかった。胸と腰の、出るべき部分だけがぽこりとまん丸である。しかも、明らかに商売女ではない。

     そんな女とこの若造が、売り物といったらスープの脂だけ、とでもいうようなこんなラーメン屋に一緒に来ているのだ。漫画ゴラクと漫画サンデーしか置いてないような、テレビにはパリーグの試合が映っているようなこんなラーメン屋に。

     ラーメン屋を出た後でどこに向かうのかは、あらかた想像がつく。

     おれは顔を上げた。豚肉を煮しめたような渋茶色のしわだらけの肌で、ラーメンをゆでているじじいに、ひとこと告げる。

    「ホッピー」

     おれの言葉を予期していたかのように、目の前にホッピーで割った焼酎のジョッキが、どん、と置かれた。懐かしき昭和のころに開発された、ビールのマガイモノとしては伝統的なものである。第三のビールなどとは、年季というものが違うのだ。おれはジョッキに口をつけ、カウンターの端に並んで座ったあのカップルの方に敵意に満ちた視線を送った。貴様らのような平成生まれのお坊ちゃんお嬢ちゃんには、このホッピーと焼酎の、数多の人間の人生経験に満ち満ちた味はわかるまい。なぜ、若造にはわからないのかについてはおれにもよくわからないが、ここは、わからない、ということにしておきたい。

     脂でくすんだプラスチックの板に挟まれたメニューを読んでいた若造が、やがて、当たり前のように言った。

    「五目ラーメンふたつお願いします」

     五目ラーメン!

     おれの内心のいらいら感はさらに強くなった。よりによって、このようなラーメン屋で五目ラーメンを頼むのか! チャーシューメンだったら、許しがたいがまあ許せる範囲内だ。だが、五目ラーメンとはまさに言語道断、注文するとはいい度胸である。メニューに載っている値段が三百円以上も違うのだ。これはおれに対する宣戦布告もいいところだ。このクソガキはラーメン屋での仁義も知らないのか。いっそドタマをかち割ってやろうか、と、思った瞬間に、目の前にドンブリが置かれた。

     じじいは塩辛声でいった。

    「ラーメンお待ち」

     命拾いしたなあの若造め。おれはそう思いながら割りばしをパチンと割ると、熱く塩辛いスープに口をつけ、化学調味料の味がそこはかとなくする麺をすすり込んだ。

     そうだよ。ラーメンはこういう味でいいんだよ。若造、貴様らにわかるか!

    「……わかるんだよね」

     若造がいった。おれは麺を吹きそうになった。

    「わかるんだよ。その、化け物にはさ」

     若造は女に話していた。別に、おれの言葉に答えたわけではないらしい。そりゃそうだ。

     おれは聞き耳を立てた。

     若造はさらに女に続けた。

    「ねえ、こういう話、聞いたことある……?」


     2

    「『さとるの化け物』って怪談だけどね。有名だから、聞き覚えがあると思うよ。ちょっと、ぼくも関わり合った話にからんでくるんだけどね」

     若造は、妙にもったいぶった口調になった。

    「昔、昔、ある猟師が、夜の山で焚火をして野宿をしていたんだ。ひとりっきりでね。昔のことだから、電気もなければ、街灯もない。頼れる明かりは、その焚火ひとつ。月は出ていなくて、星の光は分厚い雲に隠されていた、そんな真っ暗な世界の話さ」

    「暗いのはあたし嫌いじゃないわ。暗くした方が好きよ」

     女がそう答えるのを聞いて、おれはなんとなくイラっとした。この女というやつは、貞操観念にでも不自由なのか、と、おれは婉曲表現で思った。

     若造は笑ったようだった。

    「ふふ、でも、本当の暗闇を、甘く見ないほうがいいよ。山の闇なんか、特にそうさ。『鼻をつままれてもわからない』なんていうのが、そのまま当たり前なんだからね。だから、これもそうだと思って聞いてほしいな。明かりは、焚火の、それも夏祭りのキャンプファイアーじゃない、ちろちろと熾火が薄赤い、くらいの明かりくらいしかない暗闇。その中に、ぼうっと顔が浮かび上がる……」

     おれはホッピーをひと口飲んだ。やけに冷えているホッピーだ。

    「顔はゆらゆらと揺らめきながら、猟師にいった。

    『ちょうど、寒かったところだ。火に当たらせてもらうぞ』

     その声に、猟師は当然、何だこいつは、と思った。

     次の瞬間、顔はいった。

    『お前は、わしのことを、何だこいつは、と思っただろう』

     その通りだったので、猟師は、不気味なやつだな、と思った。

     顔はいった。

    『今度は、不気味なやつだ、と思ったな』

     猟師は驚いた。こいつは、おれの心が読めるのか、と。

    『お前は、こいつは、おれの心が読めるのか、と思ったな』

     猟師は怖くなった。化け物だ。おれを食う気なんだ。何とかして逃げださなくては、おれが殺されてしまうぞ。

     顔は笑った。

    『その通りだ。わしは「さとる」という化け物さ。そしてお前を食う気なんだよ』

     猟師は恐怖にかられて、いくらかでも明るさを増そうと、火に小枝をくべた。そのとたん、火にくべた小枝がパチンとはじけ飛び、浮かび上がった顔にビシッと当たった。

     顔は痛みに歪むと、逃げるようにそのまま闇の中へ消えて行った。

    『人間とは何と恐ろしいやつだ。考えてもいないことをすることができるなんて』

     という一言を残して」

     若造は、ふふっ、と笑った。

    「よくできた話でしょ?」

     女は顔をわずかにしかめた。

    「よくできてるけど……あまり趣味のよくない話ね」

     おれは心の中で喝采を送った。いいぞ。その通りだ。もっといってやれ。

     若造は肩をすくめた。

    「怪談だからね。趣味がいいわけないさ。でも、怪談としては、いい趣味の作品だと思うよ」

     女は水をひと口飲んだ。飲む姿もなかなか悪くない。

     趣味のいいおれはホッピーを飲んで、妄想にふけることにした。妄想とは、生まれがいい人間にだけできる優雅な娯楽である。

    「それに、この怪談を考えた人は、もともとは、 『笑い話』のつもりだったんじゃないのかな」

     若造が妙なことをいい出した。頭の中で女の服を脱がせかけていたおれは、頭を妄想モードから切り替えて、若造の話に耳を傾けることにした。

    「笑い話?」

    「うん」

     若造は水のコップをちょっと持ち上げ、軽くゆすった。

    「だってそうじゃないか。偶然はじけた木の枝に当たって、とんちんかんなことをいって逃げかえるんだよ、化け物がさ。これが笑い話じゃなかったら、何が笑い話なんだ、ってレベルじゃない」

     若造はコップの水にふうっと息を吹きかけた。

    「笑い話に、間抜けな化け物って結構出てくるよね。おびえた村人が、熱い茶に息を吹きかけて冷まし、凍えた手に息を吐きかけて温めるのを見た化け物が、『人間というのは何て恐ろしいんだ。口から冷たい息と熱い息を吐き出すなんて』って、恐ろしがって逃げてしまう話とかさ。ね、こっちは完全に、『笑い話』だろ」

    「そういえばそうね。あたし、『ふるやのもり』って笑い話を聞いたことがあるわ。あれも、途中まではものすごいホラーよね」

    「『ふるやのもり』では、謎の『ふるやのもり』という言葉を聞いて怯えることになるのは、それぞれ、誇張はされているけれど実際にいるし、想像もできる存在だよね。その、ぼくたちができる範囲の想像の、斜め上を行く存在が驚くところに、この『さとるの化け物』という話が不気味に感じる理由があるんじゃないかな」

    「斜め上?」

    「そうだよ。あのテレビドラマの『トワイライトゾーン』ってやつさ。ぼくたちがトワイライトゾーンの存在を恐れるのは、それが日の光の当たっている最中でもぬっと現れて、ぼくたちを底知れぬ闇の世界、トワイライトゾーンの先のダークゾーンまで引きずり込んじゃうのでは、と考えるからじゃないかな。ダークゾーンの存在は、ずうっとダークゾーンの中にいて、こちらに出てくるような了見は起こさないけれど、あわいにいる存在は、けっこう気楽に出てくるものだからね」

     若造は声を潜めた。

    「そしてここからだよ。ここからが、ぼくの体験にかかわってくるんだ……」


     3

    「あれは去年のことだった」

     若造は静かに語り始めた。

    「この話は、山の話じゃない。面白いことに、街での話なんだ」

    「街?」

    「この東京だよ」

     おれはラーメンをすするのも忘れて、若造の話に耳を傾けていた。

    「そのころ、ぼくは、大学をやめて、ふらふらとしていた。大学といっても、親に形ばかりでも行けと言われて、やむなく進んだ、国立の文系さ。野暮ったい人間しかいなくって、入学三日で飽きて、そのまま授業にも出ずにふらふらしていたら、在学の年数が切れてしまってね。やむなく、中途退学さ」

     意外とこの若造、フマジメらしい。大学に遊びながら通って、卒業もしないなんて、いったいどういう面をしているんだ、こいつの親は。

    「ぼくの親は、ちょっと、人に言えない仕事をしていて、ぼくにその跡を継がせたかったらしいんだけど、ぼくのほうではそんなこと、知ったことじゃない。大学をすべったら諦めるだろうと思ったんだけど、そうもいかないらしくて、ぼくに別の大学を進めてくるんだ。だから、次の入試の間まで、ふらふらと親の金で遊んでいる身分なのさ。意外と財産があるんだよ、うちには」

     いちいち癪に障る若造だ。おれには仕事を選り好みする自由なんてなかったというのに。

     若造におれの心の声は聞こえなかったらしい。

    「その日も飲み歩いていたな。ちょっとシェリーを、度を過ごして飲んで、ふらふらと路地に入っていったんだけどね。歩いて行くと、ぼんやりと、電気で光るタイプの立て看板が見えたんだ。今でも覚えてるよ。『占い 酒』それにでっかいハートマークさ」

     女の方は微動だにせず聞き入っている。

    「ぼくは、それを見て、『面白そうだ』と思った。何でそんなふうに思ったのかはわからないけれど、シェリーの酔いがそうさせたんだろうな。ぼくは、その立て看板が示す入口なり扉なりを探した。どうやら、ビルの二階に上がる、急で狭苦しい階段、それよりほかに開いている入口はなさそうだった。ぼくは、いい気持ちで、その、コンクリートの打ちっぱなしの階段を上った」

     テレビで歓声が上がった。誰かがホームランでも打ったのだろうか。

     若造は続けた。

    「ついたところは、狭苦しいビルの一室だった。カーテンとタペストリーが、ドア以外の壁のすべてを覆っていた。甘く微妙な香りが、部屋中に漂っていた。賭けてもいいけど、その中には、麝香と、龍涎香が混じっていただろう。それも、今の主流である合成の麝香なり龍涎香じゃなく、ほんものの、天然由来のやつが、だ」

     おれが知っている範囲では、麝香はジャコウネコのキンタマから、龍涎香はクジラの胃腸から採られるもので、今ではワシントン条約で、生物を殺して採取することを禁じられている代物なのだが、どうやらこの若造は、違いが判る男らしい。

    「そんなにわかるものなの?」

     女が口を開いた。

    「合成かどうかなんて、素人がわかるものでもないでしょ。本職の調香師でもないと、気が付かないと思うけど」

    「さっきもいっただろう。ぼくの田舎の両親は、それなりに小金を持っててね。そういう教育は、小さい頃から基礎教養として、日々の生活の中に取り入れられていたんだ」

    「相当な財産家なのね」

    「田舎の小金持ちさ。……で、その香りに、ただでさえ酔っぱらった頭をくらくらさせていると、しゃがれた声が、ぼくに向かっていったんだ。

     『あんた……面白そうだと思って、ここに来たんだね』

     ぼくは答えた。

     『そうだよ。で、そういうお婆さんはどこにいるの?』

     ぼくは、カーテンかタペストリーの陰だろうと思った。

     『あんた……あたしが、カーテンかタペストリーの陰にいると思ってるんだろ?』

     ぼくは、他に考えようがないじゃないか、といおうとした。

     先に声の方が答えた。

     『あんた……他に考えようがないじゃないか、と思っているね?』

     ぼくはうんざりした。なにもかもわかっているんじゃないか。でも、次の瞬間、考えを変えた。これだけ人の心がわかるお婆さんなんだから、もしかしたらすごい占い師かもしれない。ぼくがこのところ悩んでいることも、ズバッと解決策を言ってくれるかもしれないぞ、と。

     声は面白がったようだった。

     『そうだよ。あたしには、なにもかもわかる。あんたが悩んでいることも、わかる。あんたが欲しがっている答えも、わかるのさ』」

     おれはコップにちらっと目をやった。飲んでしまうと、なにもかも台無しになるような気がして、おれは伸ばしかけた手を止めた。

     若造はふふっと笑った。

    「面白いものでね。ぼくはそのとき、ものすごく大胆になっていた。ぼくは、その、どこにいるとも知れない声に向かって、いった。

     『それじゃ、時間を節約しようよ。お婆さん、ぼくが欲しがっている答え、って、何だい?』

     声は含み笑いをした。

     『簡単だよ。それは……』

     どかん!」

     急に若造が大声を出したので、おれははっとなった。あわてて、コップを取り上げると、中のホッピーをがぶがぶと飲んだ。苦みと冷たさが、食道を通っていったが、アルコールのほうを、おれは考えに入れていなかった。

     若造は笑っていた。

    「いや、あのときはぼくもびっくりしたよ。いきなり、ビルの外から大きな爆発音がしたんだから。ぼくははっと我に返ると、その場を逃げ出した。扉を開けて階段を無我夢中で降りて、見上げると、ぼくがいた店の真向かいのビルの二階の窓が真っ赤になって、ガラスが破れて激しく燃えていたんだ。あっという間に、ウーウーウーのカンカンカンとサイレンをけたたましく鳴らして、消防自動車が二台ばかりやってきた。延焼に巻き込まれたくないからね、ぼくは逃げるだけさ。翌日の新聞を読むと、『ガス爆発』ということだった。初動消火が適切で、火はボヤですんだらしい」

     若造は水をひと口飲んだ。

    「それからというもの、ぼくは大学の勉強はしなかったけれど、それなりの知識を得たうえで、夜の街をふらふらすることにしたんだ。元からふらふらするのは好きだけれど、まさかこんなに早く見つかるとは思わなかったな」

     女は言った。

    「見つかるって、何を?」

    「そのときの声の主だよ」

     若造はぐっと声を低くした。

    「あのとき、ぼくになんていいたかったんだい、『欲しがっている答え』ってやつだけど」


     4

     女は笑った。どことなく無理のある笑い方だった。

    「なにいっているのよ、いったい。だいたい、あたしの声は、しゃがれてないわよ」

    「ある程度演技力のある人間なら、しゃがれ声を作るくらい簡単さ」

     若造は静かに続けた。

    「昔のSF冒険小説でね、まったく声が違う相手に、主人公がこういうんだよ。『声のトーンや声質は電気制御でいくらでも変えられる。だけれども、細かな言い回しや、単語の選択に伴う微妙な癖は、変えようがない』ってね。あのバーで会ってから、ここに来るまで、さんざん話したけれど、ぼくの知識と直観は、きみがあのときの声の持ち主であることを確証を持っていえるんだ。ぼく個人のみの確証だけど、ぼくにとってはそれだけで充分だ」

     女が息をのむのがわかった。

     若造は勝ち誇ったかのように言った。

    「さっきもいったね。なぜ、ぼくたちは『さとるの化け物』の怪談を、笑い話じゃなくて、気味が悪い話、と考えるのか。ぼくに言わせれば簡単さ、ぼくたち人間は、知っているんだ。精神の奥底、無意識の中ではっきりと。『さとるの化け物』は実在し、ぼくたち人間を食べてしまおうとしていることをさ!」

     女は言った。

    「それで、あなたは、あたしを、そんな化け物だと思うわけ?」

     若造が何か答える前に、女は続けた。

    「似たような話だけど、あたしもそんな話を聞いたことがあるわ。いったい、『さとるの化け物』は、どうやって相手の心を読むのか。相手の心というのは、そう簡単に読めるものなのか」

     女はわずかに肩を揺らした。

    「あるSF作家が、これに明晰な解答を出していたわ。『さとるの化け物』とは、相手の心を読む化け物じゃなくて、相手に自分の考えていることを押し付ける化け物だ、というのよ」

     女は、ポケットから何かを取り出そうとしていた。身体が前かがみになり、カチンカチンと音がした。

     メンソールの香り。

     どうやら、女には、壁に書かれた「禁煙」の張り紙が見えないらしかった。

     一服すると落ち着いたのか、女は話を続けた。

    「これは面白い逆転ね。『さとるの化け物』は、相手に『自分に対する恐怖心』をインプットしていく。パソコンにデータを打ちこむみたいによ。自分がインプットした心だから、『さとるの化け物』は、相手の考えていることを間違えようがないわけ。わかる?」

     若造は緊張した声で答えた。

    「わかる。面白い考え方だね。続けて」

    「あなたの会ったのも、そのタイプの化け物だと考えたらどうかしら? その化け物は、あなたを発見し、あなたに『建物に入るよう』に暗示をかけた。あなたは入っていって、『面白そうだ』と思う、という暗示を受けた。そのため、相手が『面白そうだと思って入ってきたんだね?』といってきたら、あなたはそうだ、面白そうだと思って入ってきたんだ、と思って、心が読まれたような気分になった」

    「なるほど、それでも話に理屈は通る。それじゃ、あの声は、ぼくに『欲しがっている答え』として、なにを言おうとしたんだい?」

    「あなたの自殺ね」

    「自殺?」

    「『さとるの化け物』が目的とするのは、獲物を食べることでしょう。それには、獲物が自殺してくれるのが最も手っ取り早いわ」

    「どうやればぼくが自殺するんだい?」

    「どうやるかは知らないわ。でも、何らかの、説得力ある理由をつければ、あなたが自殺するように仕向けられる可能性はあるでしょ」

    「きみは、ぼくをそのようにして殺そうとしていたのかい?」

    「なにをいっているのよ。あたしがいっていたことを、聞かなかったの? あたしを殺そうとしているのは、あなたじゃないの?」

    「ぼくが?」

    「だってそうでしょう。あたしの頭が、こんなに働くはずもないわ。となると、あなたが、あたしの考えていることをコントロールして、あたしにこのようなセリフをいわせているんじゃないの? そして、あたしを『さとるの化け物』に仕立て上げて、殺そうとしている。そうでしょう!」

    「なにをいってるんだ。ぼくがそんなことできるわけがないじゃないか。きみは、ぼくの心を読み、ぼくが反論できないように、ぼくが考えていることの先回りをして、ぼくが混乱しているうちに、ぼくを食べようとしているんだろう!」

    「あなたは!」

    「きみは!」

     その議論がふっと止まり、二人の瞳が、すうっとこっちを向いた。

     いまだ!

     おれの右手が素早く動いた。


     5

     おれはすっかり伸び切ったラーメンをすすった。

     店内には三人の人間……いや、そのうち一人は化け物なのだが……が倒れていた。

     おれはその「さとるの化け物」に視線を向けた。

     ラーメン屋の親父だった。

     純銀製の、中までずっしりと銀が詰まったシャープペンシルを、親父のこめかみから引き抜いた。先端をとがらせたフェイクのシャープペンシルは、これ以上ない暗殺用の武器になる。おれが手帳にものを書けなかったのも道理だった。

     スマホに連絡を入れた。

    「風渡だ。すべて終わった。一般人がふたり、巻き添えを食って気絶している。思考をコントロールされていたところに、そのコントローラーが死んでしまって、一時的に精神がパンクしたんだろう。たぶん、どうやってこのラーメン屋に来たのかすらも覚えちゃいるまい。いちおう、死なない程度にアルコールでも注射してやってくれ。そうすればふたりとも、泥酔してへべれけになってここへ来たと思いこむだろう」

    『いつもながら手際がいいですね、涼一さん』

    「運に恵まれただけさ」

     おれは謙遜した。

     若造も、女も、自分たちがいいところまで行っていることを知らなかった。もっとも、どこまでが自分たちの思考かもわからなかったことだろう。

     「さとるの化け物」は、相手の心を読むことができるのもほんとうだ。同時に、相手に自分の考えを押し付けることもできるのもほんとうなのだ。

     若造も女も、実際にバーで飲んで意気投合してここに来たかどうかも疑わしい。この店の手前で、その場で「作られた記憶」をインプットされて入ってきたとしてもおかしくはない。現におれがそうだったんだから。

     化け物の目論見としては、まずおれに暗示をかけて店に入れ、次にこの若造と女を店に入れ、それぞれが化け物の書いていた脚本通りに役を演じることによって、三人仲良く死ぬ、というものだったろう。化け物は最近暴れ方がひどすぎた。おれが知っているだけで退魔師を二人返り討ちにしている。おれがやってくることを知り、やつなりに必勝の策で臨んだというわけだが、どっこい、こちらもそんな策にかかるようじゃ、超A級の退魔師の看板は掲げられないのだ。

     店の床下辺りを掘れば、化け物に殺された、本物の店の主人の死体が出てくることだろうが、それはおれの仕事ではない。

    「馬鹿なやつだ」

     おれはさとるの化け物の死体にいった。

     ラーメンはうまかった。ホッピーもうまかった。普通にラーメン屋をやっていれば、ひと財産作って蔵でも立てられたはずなのに、人間の魂を食うことにこだわりすぎて、今はこうして冷たい骸になっている。

     さとるの化け物を倒せたのは、やつが人間について、あまりにも研究を怠っていたからだった。

     退魔師だって努力もすれば修行もする。

     最近では、ある方法で精神集中することで、表の思考と裏の思考を、同時に並列で動かしたうえに、一方を隠すことまでできるのだ。さとるの化け物は、おれの表の思考を完全にコントロールできたと思い込み、隠蔽された中でおれが本当に何を考えているかを知らなかった。

     テレビでは、名前も知らないホークスの選手がヒーローインタビューを受けていた。

    「先祖の教えは、もっときちんと咀嚼するもんだぜ」

     おれは骸に言い捨てると、引き戸を開けて外へ出た。

     そう、人間の恐ろしいところは、考えていないことをすることもできるところなのさ。

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    ~ Comment ~

    Re: limeさん

    わたしはちょっとグロくて耽美的なニューロティックなホラーというやつ、苦手で……。やっぱり理詰めのところから恐怖がにじみ出てくるホラーのほうが好みです。となるとどうしてもショートショートになっちまうので悩みどころでありますがね(^^;)

    今回は、ホラーミステリーということらしいので、王道のゴーストハンターもので攻めてみました。恐怖よりは肩の凝らない作品にすることを重視したつもりですが、ギャグをもうちょっと入れたほうが良かったかな。

    第二話以降もよろしく(^^ゞ

    NoTitle

    これはシリーズものになりそうですね。
    どういう展開になるか予想もできない怖さと、登場人物が皆、なにかヤバいものを抱えてそうな怖さがたまりません。
    エブなんかのホラーはやたらとグロくて猟奇的で、数ページ読んだだけで食傷気味になるのですが、こういうゾワゾワしたホラーはホッとします。……あ、ほっとしてはいけないんだ。でもすごく怖くて面白かったです。主人公をイケメンにしないのも、ポールさんぽいです。
    アルファポリス、頑張ってください^^

    Re: blackoutさん

    おお、ミステリー的に面白く読んでくださいましたか。ありがとうございます。

    別に住民税を取られるわけじゃないので、アルファポリスに籍を置いといても、悪いことはないと思いますよ(^^;)

    また、書きたくなるかもしれませんし……。

    Re: 椿さん

    じゃあ当分1万字基準でやってみましょうかね。

    これまでだいたい千数百字でやってきたので感覚がなかなかつかめませんが……。

    Re: 面白半分さん

    お読みくださりありがとうございます。

    ホラーミステリー大賞だということで、ホラーでミステリーな小説を書こうとうんうんうなってます。

    面白半分さんがうなるような小説にしてみせますので、どうぞ仕上げを御覧じろ(^^)

    Re: ダメ子さん

    「それが十億の民を統治する秘訣なんです。インドコントロール、なんちて」

    「こら」


    この状況で人と同じ土俵で戦ってどうするんですか。

    自分にはイケメンや美少女は描けないので、ここはひたすら「週刊漫画ゴラク」路線で勝負するのです。

    昔から、ニッチなエリアでゲリラ戦を展開するのは大好きです(笑)

    NoTitle

    意外かもですが、自分はわりとポールさんの記事読んでますよw
    そのときの気分でコメントしたりしなかったりなので、アレですがw

    ええ
    やはり、いまさらですが、ありますね
    引き込まれるものが

    これは一体どうなる?
    お、そうくるか!
    いや、待て
    あ、そういうことか…

    今回もそんな感じでしたw

    自分はだいぶ前にアルファポリスを退会しているので、バナーポチはできないですが、今回も応援してますですw

    NoTitle

    文字数は悩みますよね(^-^;
    落ちまで一気に読めるので、アリだと思いましたが。
    (コメント入れさせていただく時に二度読みしたりするので、レスポンスは少し遅めになったりしました)
    日本そば回も楽しみにしています! 飯テロ妖怪小説……

    NoTitle

    うわっ
    思わず引き込まれてしまいました。

    妖怪しばりなのか食べ物しばりもあるのか
    次作期待です

    NoTitle

    マインドコントロールは怖い中にもどこか怪しげでえっちな雰囲気が…///
    ラーメンをおいしく感じるのもマインドコントロールのせい?

    今の風潮を考えると主人公はイケメン(もしくは女子学生)の方が

    Re: 矢端想さん

    いらっしゃいませ(^^)

    こないだ飲んだときの、「実は読書感想文が主体になって以来、自炊日記以外は読んでませんでした」発言は結構きつかった(^^;) あれで帰ってからものすごく反省をし、オリジナル小説を書かないといかんのではないかと思い、アルファポリスの来月の大賞を目標に書き始めたものです。

    本来ならばこういう事件を解決するのはナイトメアハンター桐野くんなのですが、あの人はあの人で忙しいらしいので、新しくキャラクターをこさえました。

    気に入っていただけるといいなあ。

    NoTitle

    妖怪サトリ、テレパスですね。
    「ムシの好かん他の客」あるあるネタ、わかるわかる。さっそくわかばとエコーのネタですね。僕はホッピーはちょっとアレですが。無粋を承知で言えば、喫煙者は灰皿の存在を確認してからでないと煙草に火は点けませんよ、たぶん。
    読み応えがあって面白かったです。このシリーズこれから楽しみです。

    Re: 椿さん

    ああよかった。読者がいた(笑)

    コメントがひとつも来なかったらオリジナル小説ブログの看板下ろして泣きながら推理小説感想ブログにしようかと思っていたところで(^_^;)

    やっぱり一記事10000字は読みにくいですか?原稿用紙換算で30枚くらいですが。割ったほうがいいのかなあ。

    来月のアルファポリスの大賞にエントリーした作品ですので、どうか来月までおつきあいください。

    第二話では日本そばを食べながら退魔です(笑)

    NoTitle

    おお―妖怪ものだ!
    これからどんな妖怪を退治して行くのか楽しみですね。
    あの昔話は、確かにやたら怖いのにオチは可愛いですよね……
    そしてやたらにラーメンが食べたくなりました。
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