風渡涼一退魔行
風渡涼一退魔行 第二話 地獄行き始発13時00分
風渡涼一退魔行
第二話 地獄行き始発13時00分
1
世の中の、いわゆる「濃い」男の顔には、二つのパターンがある。まず第一のパターンは、寺沢武一が描く濃い顔の男だ。代表は右手に銃を持つ男、宇宙海賊コブラである。コブラはモテる。もうむちゃくちゃモテる。身体中からフェロモンが立ち上り、グラマラスな美女を片手に抱いて、怪しげな酒場に乗り込んでいく。まことにうらやましい。
おれの前にどんぶりが置かれた。
「天ぷらそばお待たせしました」
おれは割りばしをパチンと割ると、これだけはかけ放題になっている七味をやけくそみたいに振って、黄金のように輝いて見えるかき揚げを赤く凌辱した。たっぷりかかったのを見届けてからつゆに沈め、三秒ほど待ってから、そばをずるずるとすすり始めた。
珍しいことに、この駅の店は、独立系の店だった。日本レストランエンタプライズという会社がJR東日本の駅の立ち食いそば屋のほぼすべてを制覇した現在、駅の立ち食いそばの味については画一的なものしか期待できなくなっている以上、もうひとつのパターンの濃い顔をした四十男には、妄想でもしないと、楽しく食事をすることもできないのだ。
もうひとつのパターンとは。それは、妙にオヤジくさい店で、安っぽい天ぷらそばにいちいち難癖をつけながら、誰も注意すら払わないダンディズムに血眼になる、泉昌之の描くタイプの「濃い顔」である。それは「食の軍師」の本郷であり、決して谷口ジロー描くところの「孤独のグルメ」、井之頭五郎ではないところがポイントだ。
おれはそばを飲み込むように腹に入れると、つゆを吸ってもろもろ状態になったかき揚げのふわふわ感を舌先で楽しんだ。先ほどびっしり振った一味唐辛子が、ちりちりと微妙なアクセントをつけてくれる。ネギは……ネギについてはちょっといいたい。そばとかき揚げをすべて処理した後につゆをすするとき、ひとつまみのネギをくわえて青臭さとシャキシャキ感を感じながらすするのが立ち食いそばの醍醐味なのに、それを許さないのはどういうことだ。それとも何か、鼻づまりのやつは立ち食いそばにネギを増量するのではなく、キオスクでホールズでも買えというのか!
「お客さん、おいしそうに食べますねえ」
立ち食いそば屋の制服に身を包んだ、若い男が声をかけてきた。
「おいしそうに見えたならありがたい」
おれは無愛想に答えた。往年の渥美清とせんだみつおをよくこね回し、四角い鋳型に流し込んでこしらえたような顔をしているので、どんな顔をしても喜色があるように見えるらしい。
正直なところをぶっちゃけると、どんなにうまい店の天ぷらそばでも、ほぼ一カ月間にわたって、毎日のように食っていれば、そのうち飽きてくるものなのだが。
「それにしても、どこかでお会いしませんでしたか?」
「人違いじゃないのか」
おれは汁を最後の一滴まで飲み干すと、返却口に持って行き、アタッシェケースをよっこいしょと引き寄せた。腕にはめている実用一点張りのローレックスを睨む。自動巻き時計は、質を考慮すると、値段は張るがローレックスを選ぶくらいしか、選択肢がなくなるのだ。
「ほんとに、どこかでお会いしませんでしたか? 顔に見覚えがあるような気がして」
「覚えがないっていってるだろが!」
と、おれは店主を任されているこの若造を怒鳴りつけた。
おれは嘘をついていた。おれにはこの若造の顔に覚えがあった。
職務上だろう、メガネはかけておらずサラサラヘアーもきちんと切られていたが、割りばしを割るよりも簡単にぽきんと折れそうな華奢な上にも華奢な身体、知的でさわやかな眼差し、色白で、こんな仕事の割には陶器のように滑らかそうな肌。
間違いない、この前、ラーメン屋で、さとるの化け物と闘ったときに、店に入ってきた若造だ。
若造は首を傾げた。
「そうかなあ……どこかで見た覚えがあるんだけどなあ……」
若造はまだこだわっていた。
おれは嘆息した。
おじさんが嫌いなのは、カンのいい子供だけではないのだぞ。
こだわりにいつまでも引っかかっているガキも、同様に大嫌いだ。
そんなことより時間である。5月13日、午後0時55分。仕掛けてくるとしたら今日だろう。裏を返せば、今日仕掛けてこなかったとしたら、こちらには手の打ちようがなくなるということだ。希望的観測が当たったとしても、なにをやってくるにしたって、あと5分しかないというのに、おれにはこのアタッシェケースに武器を積めてくる以外に、対抗できる手段が思いつかなかった。
駅には、数名の駅員がいるが、彼らの助けは期待しないほうがいいだろう。
タバコを吸いたくてうずうずした。しまった、この件を受けるに当たって、JR東日本のホームにおける喫煙権の解禁もついでに要求しておくんだった、と思ったが後の祭りである。
キオスクが閉まっていたので、そば屋の横の自動販売機でブラックコーヒーを買った。
そうだ、タバコの代わりになる、液体タバコというのはどうだろう? 噛みタバコみたいに噛みカスも出ないし、ニコチンウォーターとかいって売り出せば、新たな大人の嗜好品として定着するのではないだろうか。
声に出ていたらしい。若造が、店の窓から首を出し、すまなそうな顔でおれにいった。
「あのう……そんなもの作って、自殺志願者が煮詰めて濃縮しだしたらどうするんですか?」
お前みたいなガキ、大嫌いだ。
そのとき、発車を告げるチャイムが鳴った。
『地獄行き始発、発車いたします……』
おれは左右を見た。上りにも下りにも、列車は一輌も停車していない。
がくり!
足元が揺れ、おれはよろめいた。悲鳴が上がった。若造が、すっ転んだらしい。
「あれ? 外が動いてる?」
間抜けな声の若造に、おれは静かに告げた。
「……見間違いじゃないぜ」
おれは顔をこわばらせながら笑みを作った。
「実際は、動いているのは、外じゃなくて、この『駅』だがな……」
おれは顔に風を感じていた。
2
東京都二十三区からちょっと離れると、JRや私鉄を問わず、人口密集地と人口密集地との間に、エアポケットのような駅がある。乗り降りする人がまばらで、ことによったら無人駅にするほうがいいような殺風景な駅だ。東京を離れ、近隣の諸県へ行くと、エアポケット的駅の数と割合はさらに増大する。
舞台はそんな利用率が低い駅のひとつ、JR東日本の某線にある、K駅。
事件が起きたのは、先月の13日のことだった。K駅において、高校生の少女がひとり、白昼のホームから、忽然と姿を消したのだ。
ただの失踪事件なら、警察の仕事で、おれの出張ってくるような話ではない。だが、この失踪事件は、尋常一様のものではなかった。
駅に据え付けられた旧式の防犯カメラが、『少女が失踪する瞬間』を、克明に記録していたのである。
『いっぺん見てくれればすべてわかりますよ』
おれに話を持ち掛けてきた代理人は、そういうと肩をすくめた。おれの仕事は、顔が割れるとまずい側面もあるので、依頼主との交渉は、すべて退魔に伴う法律仕事を専門とする、弁護士の代理人を間に入れている。
『なにか化け物でも写っていたのか? まさか水木しげるの描くバックベアードみたいなやつが現れて、「このロリコンどもめ!」とでもいったのか』
『馬鹿なこといわないでください。防犯カメラのテープを送ります』
『テープ?』
『旧式だといったでしょう。テープに録画するタイプだったんです。専門家の目をごまかして、気づかれずに細工するには困難なやつです。むろん、コピーじゃありません。現物です』
代理人がおれの家に送ってきたそのテープを、別の駅から取り寄せた旧式のプロジェクターにかけて見たおれは、どうしておれが出張らなくてはならないかを理解した。
おれは代理人に電話をかけた。
『依頼を受けよう。それと聞いておくが、あれはほんとうに、何も処理などを加えてあるわけではないんだな?』
『往年の円谷プロだったら、オプチカル・プリンターで丁寧にマスクを切って合成映像を作るでしょうがね、あなたみたいな退魔師に、そんなものを見せたら、どんな報復が来るかわからない。呪われるならまだしも、家にロケット弾とか撃ち込まれたくないですよ。とれとれのぴちぴち、かに道楽のかにより生きのいい、本物のテープに間違いありません。どんな映像の専門家でも太鼓判を押すでしょうね』
契約締結にあたって二、三、やりとりをしてから、おれはもう一度該当映像を見た。
ホームに立って、なにやら参考書か問題集でも読んでいるかのような少女。ぼやけた指が、手元の本のページをめくった。
その時。
少女は、足元から、透明な絵の具でもってすうっとひと刷毛なでられたかのようにして姿を消していた。その間、わずか数瞬。画面の端の方で駅員が歩いていたから、リアルタイムでの映像と見て間違いないだろう。
往年の円谷プロか、とおれはつぶやいた。「ウルトラQ」の世界だな。あの番組は好きだし面白いとは思うけど、実際にそういう世界に乗り込むとなると、あまり気持ちのいいものでないのも事実だ。
少女がああも見事に消えたとなると、おれもそういう世界へ行くことになる。もしそこで戦うとなると、どういう武器が必要になるかわからない。
おれはキッチンでカシスオレンジを作り、ぐっと飲んで喉を潤すと、地下の武器庫へ降りることにした。退魔師の中には、あいつら実際に魔物じゃないかと思えるような、魔術や超能力を使いこなせる連中がいるが、あいにくとおれにはそういう力はない。せいぜいが、呼吸法や精神集中で自分の精神状態を平静に保ったり、表向きの思考とは別の考えを同時並行でやるくらいが関の山だ。である以上、おれは現代科学の粋を凝らした武器を使用するしかないわけだ。
アサルトライフルが必要だろうか。おれは壁からAKS-74Uを取った。旧ソ連のアサルトライフル、AK-74の銃身を切り詰め、ストックを折りたたみ式にして携行しやすくしたものだ。どんなひどい環境でも故障知らずで、象が踏みつけた後でもまだ撃つことができるレベルの頑丈さを誇る。タリバンなんかがよく使っている代物だ。1秒間に12発の割合で弾丸を発射できる。弾倉には45発まで装弾可能だ。戦争に持っていくには最適の銃のひとつだろう。
おれはAKSを壁に戻した。
棚から、グロック18Cを手に取ってみた。オーストリアの銃器メーカーであるグロック社のこしらえた、マシンピストルの傑作だ。見た目は普通の拳銃だが、ショルダーストックをつけてレバーを切り替えるとフルオートのサブマシンガンになり、1秒間に20発の弾丸を発射することができる。無限に弾丸を持てるわけがないので、実際にはダブルカラム弾倉に仕込んだ18発の9ミリパラベラム弾に頼るしかないが、それでも拳銃としてはかなりの破壊力を持つ銃である。接近戦の武器として、申し分ない。
グロックを棚に戻した。
どうも、これという感じがしない。もし、おれも消えたとして、そこに出てくる輩がなんだかはわからないが、銃器や弾丸が通じる相手という保証はなにひとつないのだ。
刀剣類……。
扱い慣れている銀の短剣を手に取った。どこの鍛冶職人が作ったとかいういわれはないが、おれの手になじんで、なにより使い慣れている。
鎖分銅はどうだろう。先端に銀の錘を付けた鎖だ。錘を振り回して直撃すると、額くらい簡単に割れるし、相手が近接戦用の武器を持っていたら、鎖を絡めて手からもぎ取るなり封じるなりしてしまえばいい。手元に鎌をくっつけたら、俗にいう鎖鎌になるが、そういう趣味はおれにはなかった。
長脇差を手に取ろうとして、おれは苦笑した。やくざの殴り込みに行くのではない。相手の状況も知らずに、いきなり武器を取るというのもどうか。
もっとこう……。
おれは提携している研究所が送ってきた試作品を見た。
なにかがピンときた。ピンときた直後、おれはピンときた自分に驚いたが、こういうときは最初の直観に任せるべきなのだということも知っていた。
おれは試作品の大きさを測り始めた。大きめのアタッシェケースに入りそうだが、これを持ち歩くのはひと仕事だ。
戦争かよ、とおれは思った。
それは確かに戦争だった。ひと月の間、おれは毎日この駅に通った。……そして今に至る。
3
駅は線路の合間を驀進していった。
おれは鉄道唱歌を鼻歌で歌った。きーてきいっせいしんばしをー、ってあれだ。はやわがきしゃはーはなれたりー、と歌おうとして、ちょっとためらった。「汽車」ではなく、はやわが「駅」ははなれたり、とすべきかもしれなかったからだ。
「あのう……町は、どこいっちゃったんでしょう。ここらへんって、まだ、市街地のはずですよね。アメリカの西部じゃないですよね」
若造は明らかに泣きの入った声でいった。
「どっか、だな。シベリアの原野か、モンゴルの高原か、はたまた、きみのいうとおりに、アメリカの西部かもしれん。見ろ、あそこにあるのはエアーズロックじゃないか」
「エアーズロックはオーストラリアじゃないですか!」
おれは答えた。
「罪もない冗談にそんなに神経質になられても困る。駅がこんなにも早く進んでいる以上、まともな手段では飛び降りるわけにもいかないだろう。リラックスして対応を考えようぜ」
「こんな状態でリラックスなんかできますか! これから、この駅、どこへ行くんでしょう」
「さっきのアナウンスを聞かなかったか。地獄方面行き。ということは、おれたちは、現世を離れて、いま、黄泉比良坂あたりにいるんじゃないかな」
「いやですよ、黄泉の国なんて、縁起でもない」
「同感だ。だが、そうは思っていない連中もいるようだ」
おれはポケットから短剣を抜いた。
いつの間にか、おれたちは虚ろな目をした駅員に取り囲まれていた。
いや、違う。駅員にそっくりだが……。
「な、なんなんですか、この人たち。明らかに、どこかおかしいですが」
「ロメロ監督の映画を観たことあるならば、そんな愚問を吐くこともないだろう。バイオハザードとかで遊んだことはないのかい」
「そ、それじゃ、この人たち……」
「こいつらは死人だ。ゾンビーという奴だろうな。少なくとも、脳天に風穴があいて生きている人間というものは、聞いたことがない」
死人ではあるようだが、肌や肉体の崩れとかはそれほどないらしかった。おれは短剣を構えた。しかし、銀の武器を見せても、ひるむ様子は全くない。
「死人にくれてやる生命はないが、信仰心が足りないせいか、おれに死人の調伏は無理らしいぜ」
「そんなあ!」
駅員たちの後ろから、次々と、ゆらりゆらりと無表情な死人たちが数を増していった。
「あわわわわ」
若造は腰を抜かしたらしい。
おれたちは遠巻きにされていた。直接襲ってくることはなさそうだ。
奇妙なにらみ合いが続いた。とはいっても、にらんでいるのはこっちだけで、向こうは単にうつろな目でぼんやりとこちらを見ているだけだ。まるで煮干しの群れと対面しているようなもので、あまり気分のいいものではなかった。
ゆらりゆらりと現れ続ける死人たちの中に、おれはなじみの顔を見つけた。
依頼で見せられた防犯カメラの映像から消えた高校生の少女の顔だった。
死人たちの数は三十を超えていた。
「こ、これ、どうなっちゃっているんですか」
奥歯をガチガチ鳴らしながらしゃべる若造に、おれは振り返らず答えた。
「クライヴ・バーカーの『ミッドナイト・ミートトレイン』って知ってるか」
「え、ええと、図書館にあったな、ホラー小説でしたっけ」
「ホラーというよりスプラッタだな。地下鉄の列車が、まるまる、地下鉄を影で動かす魔物たちの食料供給車両になっていた、という話だ」
「こ、怖い話なんですか」
「怖いに決まっているだろ。結末まで読んでみな。夜中うなされることになるぜ」
おれは死人たちの顔を見た。虚ろな目。無表情な顔。生気のひとつない肌……。
「おれの想像だが、この駅は、地獄に特別な死人を供給する役割があったんだろう。何のためかは知らないし、知りたくもない。おれたちを取り囲んで手を出さないのは、おれたちには、このまま地獄へ行って、何らかの任務を帯びた死人になるしか道がないことを知っているからだ」
「ええー!」
「おい若造、お前なんて名前だ」
「つ、塚原です、塚原喜八郎」
「よし、塚原くん、きみがバイトで入ってきたのはいつだ」
「バイトじゃないですよ。店長です。これでも調理師免許持ってるんですから」
「それは失礼。で、入ってきたのは」
「今日が初仕事です……」
「そうだな。体重は?」
「体重? 55キロくらい……」
「おれが85キロちょいだ。もうちょっと鍛えないとそば屋の店長は無理だぜ」
「この状況でそば屋もなにもないでしょう!」
おれはにやりと笑った。
「じゃあ、目はいいか。進行方向に何が見える」
「ここを出ないと、進行方向まで見えません」
おれはあごをしゃくった。
「じゃあ、出るんだ」
「え、でも、ここを出たら、ゾンビーに……」
「馬鹿。相手にこれだけ数がいたら、デビー・クロケットが立てこもっていても、そば屋の店舗なんて簡単に突破されて陥落しちまうぜ。アラモの砦も『300』のテルモピュライも、結局は陥落したんだからな」
おれは周囲の風景を見ていた。なにもない、だだっ広い荒野だ。時おり枯れ木が通り過ぎていく。駅は線路の間を進んでいっているらしいが、死人どもにはばまれて、よく見えない。
塚原喜八郎はおそるおそる、という感じのへっぴり腰でそば屋の店舗から出てきた。
おれはその肩をガシッとつかんだ。
「塚原くん、数学は得意か?」
「数学?」
「数学で悪いなら算数だ」
「算数……」
「時速70キロメートルで走っている電車があります。300メートル走るのに必要な時間は?」
「20……じゃなくて、30……じゃなくて」
おれはアタッシェケースのボタンを押して、正解を言った。
「時間切れです。正解は……今だよ! 全力疾走! まっすぐ走れ! いちにのさん!」
おれは塚原喜八郎の身体を抱えるようにして、ゾンビーの群れに頭から突っ込んでいった。
4
ラグビーというもので、敵の戦列を正面突破したことはあるだろうか。残念ながら、おれはない。
だが、アメリカンフットボールで、敵のラインの中央突破をした経験なら、意外とあるのだ。こう見えても、ランプレイの大好きなクォーターバックだったこともある。
フットボールの試合と違って、今のおれにはヘルメットもプロテクターもなかったが、死人どもの動きは鈍かった。ハイスクールのチームのディフェンスラインだって、もうちょっと強い。
おれは線路のほうへと突進した。さすがに、ホームの細い方である。厚いラインを作るのは往年のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズでも無理だったろう。減量して85キロのおれでも、突破するのには申し分ない。
がくりと駅が方向を変え、スピードが落ちたそのとき、おれは塚原喜八郎とともに、ホームの外に頭から転がり落ちて行った。
おれは塚原喜八郎が死なないように、抱きかかえるようにしてごろごろと転がって衝撃を殺すと、走っていく駅を見送った。
危ういところだった。鉄路の上で、おれは駅を見た。
駅の進んでいく方向には、大きな川と、橋があった。やっぱりだ。思ったとおりである。
顔をすりむいた若造が、涙目でよろよろと身を起こした。
「なにがどうなったんですか?」
おれは慌てて若造に飛びかかると、その頭を押さえつけた。
「黙って伏せて、口を開けて目を閉じていろ!」
「もがああああ」
おれは心の中でカウントを始めた。15……14……13。
駅は橋を渡り始めた。おれは伏せ、目をつぶって口を開けた。
3……2……1。
ゼロになった瞬間、強烈な爆風が吹きつけてきた。閉じたまぶたを通しても、目の前が真っ赤に染まった。たぶん、大火球が上がったのだろう。
「もがああああ」
若造がわめいた。
爆風はかなりの時間続いたようだったが、実際はそれほどでもなかったらしい。
おれが目を開けた時、駅はその場に存在せず、橋は途中から消失していた。
「もういいぜ。立ちな」
「は、はにが、はにがのうなったんねすか」
「馬鹿、それをいうなら、何がどうなったんですか、だ。日本語くらいまともにしゃべれないのか」
「あんな爆発の後で何がしゃべれるんですか!」
「そう。その調子だ」
若造はあごの位置を手で修正しながら、おれにいった。
「あの爆発は何なんですか!」
「携帯用のFAEだ」
「FAE?]
「燃料気化爆弾の略語だ」
燃料気化爆弾とは、周囲に霧状の燃料を振り撒き、それが気化することにより猛烈な勢いで待機に充満したその瞬間、引火させて爆発させるシステムの爆弾だ、と、おれは若造に説明した。
「おれが押したボタンは時限スイッチだ。時間が来れば、燃料を積んだカプセルが上空へ飛びあがり、そのまま燃料を噴霧し、爆発するようになっていたのさ。FAEは、局地的には、核兵器に匹敵する爆発力を示せるだけの性能がある。もっとも、対人殺傷能力に比べれば、建築物破壊能力は微々たるもんだがね。対人殺傷能力の半径が100メートル。建築物破壊の半径は50メートルというところだ」
「なんでそんな恐ろしいものをあなたが持っているんですか!」
「持っていたのは、野性の勘からさ。どうやって手に入れたかや、どこにそんなもの置いているのかについては、それは、きみに教える必要もないだろう。武器しか使えない退魔師の限界というやつだと思ってくれ」
「退魔師だか何だか知りませんが、で、どうして橋を破壊する必要があったんですか?」
「あの川が何なのか、きみには想像がつかないのか?」
「想像なんかつきませんよ! きょう一日だって、地獄でしょ! 黄泉比良坂でしょ! 退魔師でしょ! その上に川なんて! 川……」
若造の顔が、さあっと青くなっていった。
「川……川って……」
「そう。その通り。三途の川さ。あそこを渡りさえすれば、もうそこは地獄だよ。六文銭は持ってるかい? 持ってない? よかったな、渡る前で。六文銭が無かったら、泳いで渡ることになるところだったぜ」
おれはポケットから「わかば」を取り出し、火をつけた。
「生き返るねえ……」
「駅はものすごい勢いで走っていたようだけど、いったいどうやって飛び降りるポイントがわかったのか、教えてくれませんか」
「そうだな。駅で運ばれていく間、何度か駅が方向を変えるのが、風向きの微妙な変化でわかった。それを頭の中で地図と路線図と対応させると、ちょうどカーブに差し掛かったところであることに気づいた。だからおれは、駅の曲がるタイミングが、それなりに予測できたのさ。後はカーブの地点と、地点間の距離を進むのにかかった時間から、駅の進む速度を割り出した」
おれは紫煙を吐いて、話を続けた。
「頭の中で地図を広げていくと、そう遠くないところで川に差し掛かることに気づいた。そのときには、さしものおれも慌てたね。オルフェウスでもない限り、三途の川を渡ったら、もう二度と戻って来れないのが、普通だからな。同時に、川にかかる橋をぶっ壊せば、地獄から使者がこうしてやってくることもないことにも気づいた。ためらう理由は、考えつかなかったな。地図では、川の300メートルほど手前に、きついカーブがあった。そこしか飛び降りるポイントは残っていなかった。あそこで飛び降りてなければ、そのまま川を渡っていたことだろう。そうなったら……まあ想像に任せるしかないな」
若造は、じいっとおれの顔を見ていた。
「あのう……退魔師さん」
「なんだよ」
「どこかで、お会いしたことありませんでしたっけ?」
「そんなこと、聞かない方が身のためだぜ。おれなんかには、関わらないほうが、世の中を安心して泳げるからな」
おれは吸い差しを踏みつぶし、携帯灰皿に入れると、立ち上がった。
「よし、行こうか」
「行くって、どこへ……」
「帰るんだよ。レールを後戻りしていけば、現世にたどり着けるさ。まだ生きているのならな。ここにいたって、始まらないだろ」
「え、ええ……」
「じゃあ、前進あるのみだぜ。前進!」
おれたちは来たレールを後戻りしていった。
どこがどうつながっていたのかはわからない。おれたちが発見されたのは、岩手県の、廃線となった線路のうえだった。
おれたちを発見したパトロールの警官に指摘されて、ふっと辺りを見回せば、びっくりするほど近いところに恐山が見えた。
K駅では、何事もなかったかのように、まばらな乗客が、まばらに乗り降りしている。あれ以来、利用客が消えた、という話はまったく聞かない。JR東日本は、おれに契約通りの報酬を払ってくれたので、おれがそれ以上首を突っ込む理由もなかった。
違うのはただひとつ、駅の立ち食いそば屋が、日本レストランエンタプライズの、「あじさい茶屋」へと変わったことくらいである。
K駅へ行きたいなら、いつでも案内しよう。だがおれは、頼まれたって、降りないがね。
第二話 地獄行き始発13時00分
1
世の中の、いわゆる「濃い」男の顔には、二つのパターンがある。まず第一のパターンは、寺沢武一が描く濃い顔の男だ。代表は右手に銃を持つ男、宇宙海賊コブラである。コブラはモテる。もうむちゃくちゃモテる。身体中からフェロモンが立ち上り、グラマラスな美女を片手に抱いて、怪しげな酒場に乗り込んでいく。まことにうらやましい。
おれの前にどんぶりが置かれた。
「天ぷらそばお待たせしました」
おれは割りばしをパチンと割ると、これだけはかけ放題になっている七味をやけくそみたいに振って、黄金のように輝いて見えるかき揚げを赤く凌辱した。たっぷりかかったのを見届けてからつゆに沈め、三秒ほど待ってから、そばをずるずるとすすり始めた。
珍しいことに、この駅の店は、独立系の店だった。日本レストランエンタプライズという会社がJR東日本の駅の立ち食いそば屋のほぼすべてを制覇した現在、駅の立ち食いそばの味については画一的なものしか期待できなくなっている以上、もうひとつのパターンの濃い顔をした四十男には、妄想でもしないと、楽しく食事をすることもできないのだ。
もうひとつのパターンとは。それは、妙にオヤジくさい店で、安っぽい天ぷらそばにいちいち難癖をつけながら、誰も注意すら払わないダンディズムに血眼になる、泉昌之の描くタイプの「濃い顔」である。それは「食の軍師」の本郷であり、決して谷口ジロー描くところの「孤独のグルメ」、井之頭五郎ではないところがポイントだ。
おれはそばを飲み込むように腹に入れると、つゆを吸ってもろもろ状態になったかき揚げのふわふわ感を舌先で楽しんだ。先ほどびっしり振った一味唐辛子が、ちりちりと微妙なアクセントをつけてくれる。ネギは……ネギについてはちょっといいたい。そばとかき揚げをすべて処理した後につゆをすするとき、ひとつまみのネギをくわえて青臭さとシャキシャキ感を感じながらすするのが立ち食いそばの醍醐味なのに、それを許さないのはどういうことだ。それとも何か、鼻づまりのやつは立ち食いそばにネギを増量するのではなく、キオスクでホールズでも買えというのか!
「お客さん、おいしそうに食べますねえ」
立ち食いそば屋の制服に身を包んだ、若い男が声をかけてきた。
「おいしそうに見えたならありがたい」
おれは無愛想に答えた。往年の渥美清とせんだみつおをよくこね回し、四角い鋳型に流し込んでこしらえたような顔をしているので、どんな顔をしても喜色があるように見えるらしい。
正直なところをぶっちゃけると、どんなにうまい店の天ぷらそばでも、ほぼ一カ月間にわたって、毎日のように食っていれば、そのうち飽きてくるものなのだが。
「それにしても、どこかでお会いしませんでしたか?」
「人違いじゃないのか」
おれは汁を最後の一滴まで飲み干すと、返却口に持って行き、アタッシェケースをよっこいしょと引き寄せた。腕にはめている実用一点張りのローレックスを睨む。自動巻き時計は、質を考慮すると、値段は張るがローレックスを選ぶくらいしか、選択肢がなくなるのだ。
「ほんとに、どこかでお会いしませんでしたか? 顔に見覚えがあるような気がして」
「覚えがないっていってるだろが!」
と、おれは店主を任されているこの若造を怒鳴りつけた。
おれは嘘をついていた。おれにはこの若造の顔に覚えがあった。
職務上だろう、メガネはかけておらずサラサラヘアーもきちんと切られていたが、割りばしを割るよりも簡単にぽきんと折れそうな華奢な上にも華奢な身体、知的でさわやかな眼差し、色白で、こんな仕事の割には陶器のように滑らかそうな肌。
間違いない、この前、ラーメン屋で、さとるの化け物と闘ったときに、店に入ってきた若造だ。
若造は首を傾げた。
「そうかなあ……どこかで見た覚えがあるんだけどなあ……」
若造はまだこだわっていた。
おれは嘆息した。
おじさんが嫌いなのは、カンのいい子供だけではないのだぞ。
こだわりにいつまでも引っかかっているガキも、同様に大嫌いだ。
そんなことより時間である。5月13日、午後0時55分。仕掛けてくるとしたら今日だろう。裏を返せば、今日仕掛けてこなかったとしたら、こちらには手の打ちようがなくなるということだ。希望的観測が当たったとしても、なにをやってくるにしたって、あと5分しかないというのに、おれにはこのアタッシェケースに武器を積めてくる以外に、対抗できる手段が思いつかなかった。
駅には、数名の駅員がいるが、彼らの助けは期待しないほうがいいだろう。
タバコを吸いたくてうずうずした。しまった、この件を受けるに当たって、JR東日本のホームにおける喫煙権の解禁もついでに要求しておくんだった、と思ったが後の祭りである。
キオスクが閉まっていたので、そば屋の横の自動販売機でブラックコーヒーを買った。
そうだ、タバコの代わりになる、液体タバコというのはどうだろう? 噛みタバコみたいに噛みカスも出ないし、ニコチンウォーターとかいって売り出せば、新たな大人の嗜好品として定着するのではないだろうか。
声に出ていたらしい。若造が、店の窓から首を出し、すまなそうな顔でおれにいった。
「あのう……そんなもの作って、自殺志願者が煮詰めて濃縮しだしたらどうするんですか?」
お前みたいなガキ、大嫌いだ。
そのとき、発車を告げるチャイムが鳴った。
『地獄行き始発、発車いたします……』
おれは左右を見た。上りにも下りにも、列車は一輌も停車していない。
がくり!
足元が揺れ、おれはよろめいた。悲鳴が上がった。若造が、すっ転んだらしい。
「あれ? 外が動いてる?」
間抜けな声の若造に、おれは静かに告げた。
「……見間違いじゃないぜ」
おれは顔をこわばらせながら笑みを作った。
「実際は、動いているのは、外じゃなくて、この『駅』だがな……」
おれは顔に風を感じていた。
2
東京都二十三区からちょっと離れると、JRや私鉄を問わず、人口密集地と人口密集地との間に、エアポケットのような駅がある。乗り降りする人がまばらで、ことによったら無人駅にするほうがいいような殺風景な駅だ。東京を離れ、近隣の諸県へ行くと、エアポケット的駅の数と割合はさらに増大する。
舞台はそんな利用率が低い駅のひとつ、JR東日本の某線にある、K駅。
事件が起きたのは、先月の13日のことだった。K駅において、高校生の少女がひとり、白昼のホームから、忽然と姿を消したのだ。
ただの失踪事件なら、警察の仕事で、おれの出張ってくるような話ではない。だが、この失踪事件は、尋常一様のものではなかった。
駅に据え付けられた旧式の防犯カメラが、『少女が失踪する瞬間』を、克明に記録していたのである。
『いっぺん見てくれればすべてわかりますよ』
おれに話を持ち掛けてきた代理人は、そういうと肩をすくめた。おれの仕事は、顔が割れるとまずい側面もあるので、依頼主との交渉は、すべて退魔に伴う法律仕事を専門とする、弁護士の代理人を間に入れている。
『なにか化け物でも写っていたのか? まさか水木しげるの描くバックベアードみたいなやつが現れて、「このロリコンどもめ!」とでもいったのか』
『馬鹿なこといわないでください。防犯カメラのテープを送ります』
『テープ?』
『旧式だといったでしょう。テープに録画するタイプだったんです。専門家の目をごまかして、気づかれずに細工するには困難なやつです。むろん、コピーじゃありません。現物です』
代理人がおれの家に送ってきたそのテープを、別の駅から取り寄せた旧式のプロジェクターにかけて見たおれは、どうしておれが出張らなくてはならないかを理解した。
おれは代理人に電話をかけた。
『依頼を受けよう。それと聞いておくが、あれはほんとうに、何も処理などを加えてあるわけではないんだな?』
『往年の円谷プロだったら、オプチカル・プリンターで丁寧にマスクを切って合成映像を作るでしょうがね、あなたみたいな退魔師に、そんなものを見せたら、どんな報復が来るかわからない。呪われるならまだしも、家にロケット弾とか撃ち込まれたくないですよ。とれとれのぴちぴち、かに道楽のかにより生きのいい、本物のテープに間違いありません。どんな映像の専門家でも太鼓判を押すでしょうね』
契約締結にあたって二、三、やりとりをしてから、おれはもう一度該当映像を見た。
ホームに立って、なにやら参考書か問題集でも読んでいるかのような少女。ぼやけた指が、手元の本のページをめくった。
その時。
少女は、足元から、透明な絵の具でもってすうっとひと刷毛なでられたかのようにして姿を消していた。その間、わずか数瞬。画面の端の方で駅員が歩いていたから、リアルタイムでの映像と見て間違いないだろう。
往年の円谷プロか、とおれはつぶやいた。「ウルトラQ」の世界だな。あの番組は好きだし面白いとは思うけど、実際にそういう世界に乗り込むとなると、あまり気持ちのいいものでないのも事実だ。
少女がああも見事に消えたとなると、おれもそういう世界へ行くことになる。もしそこで戦うとなると、どういう武器が必要になるかわからない。
おれはキッチンでカシスオレンジを作り、ぐっと飲んで喉を潤すと、地下の武器庫へ降りることにした。退魔師の中には、あいつら実際に魔物じゃないかと思えるような、魔術や超能力を使いこなせる連中がいるが、あいにくとおれにはそういう力はない。せいぜいが、呼吸法や精神集中で自分の精神状態を平静に保ったり、表向きの思考とは別の考えを同時並行でやるくらいが関の山だ。である以上、おれは現代科学の粋を凝らした武器を使用するしかないわけだ。
アサルトライフルが必要だろうか。おれは壁からAKS-74Uを取った。旧ソ連のアサルトライフル、AK-74の銃身を切り詰め、ストックを折りたたみ式にして携行しやすくしたものだ。どんなひどい環境でも故障知らずで、象が踏みつけた後でもまだ撃つことができるレベルの頑丈さを誇る。タリバンなんかがよく使っている代物だ。1秒間に12発の割合で弾丸を発射できる。弾倉には45発まで装弾可能だ。戦争に持っていくには最適の銃のひとつだろう。
おれはAKSを壁に戻した。
棚から、グロック18Cを手に取ってみた。オーストリアの銃器メーカーであるグロック社のこしらえた、マシンピストルの傑作だ。見た目は普通の拳銃だが、ショルダーストックをつけてレバーを切り替えるとフルオートのサブマシンガンになり、1秒間に20発の弾丸を発射することができる。無限に弾丸を持てるわけがないので、実際にはダブルカラム弾倉に仕込んだ18発の9ミリパラベラム弾に頼るしかないが、それでも拳銃としてはかなりの破壊力を持つ銃である。接近戦の武器として、申し分ない。
グロックを棚に戻した。
どうも、これという感じがしない。もし、おれも消えたとして、そこに出てくる輩がなんだかはわからないが、銃器や弾丸が通じる相手という保証はなにひとつないのだ。
刀剣類……。
扱い慣れている銀の短剣を手に取った。どこの鍛冶職人が作ったとかいういわれはないが、おれの手になじんで、なにより使い慣れている。
鎖分銅はどうだろう。先端に銀の錘を付けた鎖だ。錘を振り回して直撃すると、額くらい簡単に割れるし、相手が近接戦用の武器を持っていたら、鎖を絡めて手からもぎ取るなり封じるなりしてしまえばいい。手元に鎌をくっつけたら、俗にいう鎖鎌になるが、そういう趣味はおれにはなかった。
長脇差を手に取ろうとして、おれは苦笑した。やくざの殴り込みに行くのではない。相手の状況も知らずに、いきなり武器を取るというのもどうか。
もっとこう……。
おれは提携している研究所が送ってきた試作品を見た。
なにかがピンときた。ピンときた直後、おれはピンときた自分に驚いたが、こういうときは最初の直観に任せるべきなのだということも知っていた。
おれは試作品の大きさを測り始めた。大きめのアタッシェケースに入りそうだが、これを持ち歩くのはひと仕事だ。
戦争かよ、とおれは思った。
それは確かに戦争だった。ひと月の間、おれは毎日この駅に通った。……そして今に至る。
3
駅は線路の合間を驀進していった。
おれは鉄道唱歌を鼻歌で歌った。きーてきいっせいしんばしをー、ってあれだ。はやわがきしゃはーはなれたりー、と歌おうとして、ちょっとためらった。「汽車」ではなく、はやわが「駅」ははなれたり、とすべきかもしれなかったからだ。
「あのう……町は、どこいっちゃったんでしょう。ここらへんって、まだ、市街地のはずですよね。アメリカの西部じゃないですよね」
若造は明らかに泣きの入った声でいった。
「どっか、だな。シベリアの原野か、モンゴルの高原か、はたまた、きみのいうとおりに、アメリカの西部かもしれん。見ろ、あそこにあるのはエアーズロックじゃないか」
「エアーズロックはオーストラリアじゃないですか!」
おれは答えた。
「罪もない冗談にそんなに神経質になられても困る。駅がこんなにも早く進んでいる以上、まともな手段では飛び降りるわけにもいかないだろう。リラックスして対応を考えようぜ」
「こんな状態でリラックスなんかできますか! これから、この駅、どこへ行くんでしょう」
「さっきのアナウンスを聞かなかったか。地獄方面行き。ということは、おれたちは、現世を離れて、いま、黄泉比良坂あたりにいるんじゃないかな」
「いやですよ、黄泉の国なんて、縁起でもない」
「同感だ。だが、そうは思っていない連中もいるようだ」
おれはポケットから短剣を抜いた。
いつの間にか、おれたちは虚ろな目をした駅員に取り囲まれていた。
いや、違う。駅員にそっくりだが……。
「な、なんなんですか、この人たち。明らかに、どこかおかしいですが」
「ロメロ監督の映画を観たことあるならば、そんな愚問を吐くこともないだろう。バイオハザードとかで遊んだことはないのかい」
「そ、それじゃ、この人たち……」
「こいつらは死人だ。ゾンビーという奴だろうな。少なくとも、脳天に風穴があいて生きている人間というものは、聞いたことがない」
死人ではあるようだが、肌や肉体の崩れとかはそれほどないらしかった。おれは短剣を構えた。しかし、銀の武器を見せても、ひるむ様子は全くない。
「死人にくれてやる生命はないが、信仰心が足りないせいか、おれに死人の調伏は無理らしいぜ」
「そんなあ!」
駅員たちの後ろから、次々と、ゆらりゆらりと無表情な死人たちが数を増していった。
「あわわわわ」
若造は腰を抜かしたらしい。
おれたちは遠巻きにされていた。直接襲ってくることはなさそうだ。
奇妙なにらみ合いが続いた。とはいっても、にらんでいるのはこっちだけで、向こうは単にうつろな目でぼんやりとこちらを見ているだけだ。まるで煮干しの群れと対面しているようなもので、あまり気分のいいものではなかった。
ゆらりゆらりと現れ続ける死人たちの中に、おれはなじみの顔を見つけた。
依頼で見せられた防犯カメラの映像から消えた高校生の少女の顔だった。
死人たちの数は三十を超えていた。
「こ、これ、どうなっちゃっているんですか」
奥歯をガチガチ鳴らしながらしゃべる若造に、おれは振り返らず答えた。
「クライヴ・バーカーの『ミッドナイト・ミートトレイン』って知ってるか」
「え、ええと、図書館にあったな、ホラー小説でしたっけ」
「ホラーというよりスプラッタだな。地下鉄の列車が、まるまる、地下鉄を影で動かす魔物たちの食料供給車両になっていた、という話だ」
「こ、怖い話なんですか」
「怖いに決まっているだろ。結末まで読んでみな。夜中うなされることになるぜ」
おれは死人たちの顔を見た。虚ろな目。無表情な顔。生気のひとつない肌……。
「おれの想像だが、この駅は、地獄に特別な死人を供給する役割があったんだろう。何のためかは知らないし、知りたくもない。おれたちを取り囲んで手を出さないのは、おれたちには、このまま地獄へ行って、何らかの任務を帯びた死人になるしか道がないことを知っているからだ」
「ええー!」
「おい若造、お前なんて名前だ」
「つ、塚原です、塚原喜八郎」
「よし、塚原くん、きみがバイトで入ってきたのはいつだ」
「バイトじゃないですよ。店長です。これでも調理師免許持ってるんですから」
「それは失礼。で、入ってきたのは」
「今日が初仕事です……」
「そうだな。体重は?」
「体重? 55キロくらい……」
「おれが85キロちょいだ。もうちょっと鍛えないとそば屋の店長は無理だぜ」
「この状況でそば屋もなにもないでしょう!」
おれはにやりと笑った。
「じゃあ、目はいいか。進行方向に何が見える」
「ここを出ないと、進行方向まで見えません」
おれはあごをしゃくった。
「じゃあ、出るんだ」
「え、でも、ここを出たら、ゾンビーに……」
「馬鹿。相手にこれだけ数がいたら、デビー・クロケットが立てこもっていても、そば屋の店舗なんて簡単に突破されて陥落しちまうぜ。アラモの砦も『300』のテルモピュライも、結局は陥落したんだからな」
おれは周囲の風景を見ていた。なにもない、だだっ広い荒野だ。時おり枯れ木が通り過ぎていく。駅は線路の間を進んでいっているらしいが、死人どもにはばまれて、よく見えない。
塚原喜八郎はおそるおそる、という感じのへっぴり腰でそば屋の店舗から出てきた。
おれはその肩をガシッとつかんだ。
「塚原くん、数学は得意か?」
「数学?」
「数学で悪いなら算数だ」
「算数……」
「時速70キロメートルで走っている電車があります。300メートル走るのに必要な時間は?」
「20……じゃなくて、30……じゃなくて」
おれはアタッシェケースのボタンを押して、正解を言った。
「時間切れです。正解は……今だよ! 全力疾走! まっすぐ走れ! いちにのさん!」
おれは塚原喜八郎の身体を抱えるようにして、ゾンビーの群れに頭から突っ込んでいった。
4
ラグビーというもので、敵の戦列を正面突破したことはあるだろうか。残念ながら、おれはない。
だが、アメリカンフットボールで、敵のラインの中央突破をした経験なら、意外とあるのだ。こう見えても、ランプレイの大好きなクォーターバックだったこともある。
フットボールの試合と違って、今のおれにはヘルメットもプロテクターもなかったが、死人どもの動きは鈍かった。ハイスクールのチームのディフェンスラインだって、もうちょっと強い。
おれは線路のほうへと突進した。さすがに、ホームの細い方である。厚いラインを作るのは往年のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズでも無理だったろう。減量して85キロのおれでも、突破するのには申し分ない。
がくりと駅が方向を変え、スピードが落ちたそのとき、おれは塚原喜八郎とともに、ホームの外に頭から転がり落ちて行った。
おれは塚原喜八郎が死なないように、抱きかかえるようにしてごろごろと転がって衝撃を殺すと、走っていく駅を見送った。
危ういところだった。鉄路の上で、おれは駅を見た。
駅の進んでいく方向には、大きな川と、橋があった。やっぱりだ。思ったとおりである。
顔をすりむいた若造が、涙目でよろよろと身を起こした。
「なにがどうなったんですか?」
おれは慌てて若造に飛びかかると、その頭を押さえつけた。
「黙って伏せて、口を開けて目を閉じていろ!」
「もがああああ」
おれは心の中でカウントを始めた。15……14……13。
駅は橋を渡り始めた。おれは伏せ、目をつぶって口を開けた。
3……2……1。
ゼロになった瞬間、強烈な爆風が吹きつけてきた。閉じたまぶたを通しても、目の前が真っ赤に染まった。たぶん、大火球が上がったのだろう。
「もがああああ」
若造がわめいた。
爆風はかなりの時間続いたようだったが、実際はそれほどでもなかったらしい。
おれが目を開けた時、駅はその場に存在せず、橋は途中から消失していた。
「もういいぜ。立ちな」
「は、はにが、はにがのうなったんねすか」
「馬鹿、それをいうなら、何がどうなったんですか、だ。日本語くらいまともにしゃべれないのか」
「あんな爆発の後で何がしゃべれるんですか!」
「そう。その調子だ」
若造はあごの位置を手で修正しながら、おれにいった。
「あの爆発は何なんですか!」
「携帯用のFAEだ」
「FAE?]
「燃料気化爆弾の略語だ」
燃料気化爆弾とは、周囲に霧状の燃料を振り撒き、それが気化することにより猛烈な勢いで待機に充満したその瞬間、引火させて爆発させるシステムの爆弾だ、と、おれは若造に説明した。
「おれが押したボタンは時限スイッチだ。時間が来れば、燃料を積んだカプセルが上空へ飛びあがり、そのまま燃料を噴霧し、爆発するようになっていたのさ。FAEは、局地的には、核兵器に匹敵する爆発力を示せるだけの性能がある。もっとも、対人殺傷能力に比べれば、建築物破壊能力は微々たるもんだがね。対人殺傷能力の半径が100メートル。建築物破壊の半径は50メートルというところだ」
「なんでそんな恐ろしいものをあなたが持っているんですか!」
「持っていたのは、野性の勘からさ。どうやって手に入れたかや、どこにそんなもの置いているのかについては、それは、きみに教える必要もないだろう。武器しか使えない退魔師の限界というやつだと思ってくれ」
「退魔師だか何だか知りませんが、で、どうして橋を破壊する必要があったんですか?」
「あの川が何なのか、きみには想像がつかないのか?」
「想像なんかつきませんよ! きょう一日だって、地獄でしょ! 黄泉比良坂でしょ! 退魔師でしょ! その上に川なんて! 川……」
若造の顔が、さあっと青くなっていった。
「川……川って……」
「そう。その通り。三途の川さ。あそこを渡りさえすれば、もうそこは地獄だよ。六文銭は持ってるかい? 持ってない? よかったな、渡る前で。六文銭が無かったら、泳いで渡ることになるところだったぜ」
おれはポケットから「わかば」を取り出し、火をつけた。
「生き返るねえ……」
「駅はものすごい勢いで走っていたようだけど、いったいどうやって飛び降りるポイントがわかったのか、教えてくれませんか」
「そうだな。駅で運ばれていく間、何度か駅が方向を変えるのが、風向きの微妙な変化でわかった。それを頭の中で地図と路線図と対応させると、ちょうどカーブに差し掛かったところであることに気づいた。だからおれは、駅の曲がるタイミングが、それなりに予測できたのさ。後はカーブの地点と、地点間の距離を進むのにかかった時間から、駅の進む速度を割り出した」
おれは紫煙を吐いて、話を続けた。
「頭の中で地図を広げていくと、そう遠くないところで川に差し掛かることに気づいた。そのときには、さしものおれも慌てたね。オルフェウスでもない限り、三途の川を渡ったら、もう二度と戻って来れないのが、普通だからな。同時に、川にかかる橋をぶっ壊せば、地獄から使者がこうしてやってくることもないことにも気づいた。ためらう理由は、考えつかなかったな。地図では、川の300メートルほど手前に、きついカーブがあった。そこしか飛び降りるポイントは残っていなかった。あそこで飛び降りてなければ、そのまま川を渡っていたことだろう。そうなったら……まあ想像に任せるしかないな」
若造は、じいっとおれの顔を見ていた。
「あのう……退魔師さん」
「なんだよ」
「どこかで、お会いしたことありませんでしたっけ?」
「そんなこと、聞かない方が身のためだぜ。おれなんかには、関わらないほうが、世の中を安心して泳げるからな」
おれは吸い差しを踏みつぶし、携帯灰皿に入れると、立ち上がった。
「よし、行こうか」
「行くって、どこへ……」
「帰るんだよ。レールを後戻りしていけば、現世にたどり着けるさ。まだ生きているのならな。ここにいたって、始まらないだろ」
「え、ええ……」
「じゃあ、前進あるのみだぜ。前進!」
おれたちは来たレールを後戻りしていった。
どこがどうつながっていたのかはわからない。おれたちが発見されたのは、岩手県の、廃線となった線路のうえだった。
おれたちを発見したパトロールの警官に指摘されて、ふっと辺りを見回せば、びっくりするほど近いところに恐山が見えた。
K駅では、何事もなかったかのように、まばらな乗客が、まばらに乗り降りしている。あれ以来、利用客が消えた、という話はまったく聞かない。JR東日本は、おれに契約通りの報酬を払ってくれたので、おれがそれ以上首を突っ込む理由もなかった。
違うのはただひとつ、駅の立ち食いそば屋が、日本レストランエンタプライズの、「あじさい茶屋」へと変わったことくらいである。
K駅へ行きたいなら、いつでも案内しよう。だがおれは、頼まれたって、降りないがね。
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Re: ダメ子さん
ちっちっちっ。
「モダン・ホラー」といってもらいたいですね。
死語だけど(笑)
「モダン・ホラー」といってもらいたいですね。
死語だけど(笑)
NoTitle
色んなネタを抛りこんで来てますね。
物語を書くのも色んな知識が必要なんですね。
ラスト一行。ちょっとかっこよかったんだがね。
物語を書くのも色んな知識が必要なんですね。
ラスト一行。ちょっとかっこよかったんだがね。
- #19407 面白半分
- URL
- 2018.05/26 20:50
- ▲EntryTop
Re: blackoutさん
ホラーに見えて肩の凝らない読み物を目指しているので、たまにはアクション話も入れないと、ということでやってみました。
かきあげに一味を振った後、汁の底に潜らせるのがポイントなんです。そうすると、余計なトウガラシが汁に落ち、さらにかき揚げが汁を吸ってふわふわになるんです(^^)
そんなことを前に東海林さだおさんがエッセイで(笑)
かきあげに一味を振った後、汁の底に潜らせるのがポイントなんです。そうすると、余計なトウガラシが汁に落ち、さらにかき揚げが汁を吸ってふわふわになるんです(^^)
そんなことを前に東海林さだおさんがエッセイで(笑)
Re: 矢端想さん
塚原君の名前については、ノリと勢いで決めました。
濃い顔のおっさんが風渡涼一という涼しげな名前で、キラキラ美青年が塚原喜八郎、というギャップと、第一話でのミスリードを狙ったんですが、あまりミスリードされた人はいなかったみたい(^^;)
次回はぬりかべをやってみたいと思います。
濃い顔のおっさんが風渡涼一という涼しげな名前で、キラキラ美青年が塚原喜八郎、というギャップと、第一話でのミスリードを狙ったんですが、あまりミスリードされた人はいなかったみたい(^^;)
次回はぬりかべをやってみたいと思います。
Re: 椿さん
ふっふっふ、まんまと飯テロの罠にはまったな(笑)
塚原喜八郎くんについては、前回明かすつもりだったんですが、気絶しやがりましてあいつ(笑)
体重が軽いことについては、スレンダーな若者だからということで(笑)
いつかは銃撃戦もやってみたいですね~。菊地秀行か夢枕獏かというようなバイオレンスアクションでね~(笑)
塚原喜八郎くんについては、前回明かすつもりだったんですが、気絶しやがりましてあいつ(笑)
体重が軽いことについては、スレンダーな若者だからということで(笑)
いつかは銃撃戦もやってみたいですね~。菊地秀行か夢枕獏かというようなバイオレンスアクションでね~(笑)
NoTitle
今回は結構アクションものの要素がありましたね
ええ
自分は意外とアクションものが好きだったりしますw
自分で書けないから余計にかも、ですが(汗)
しかし、かき揚げに一味つけすぎでしょうw
これでは一味の味しかしないではないですかw
まぁ、天ぷらそばが画一的な味で、それを1ヶ月間食い続けたということなら、自分も確かにかき揚げを赤色に染めたくはなりますねw
ええ
自分は意外とアクションものが好きだったりしますw
自分で書けないから余計にかも、ですが(汗)
しかし、かき揚げに一味つけすぎでしょうw
これでは一味の味しかしないではないですかw
まぁ、天ぷらそばが画一的な味で、それを1ヶ月間食い続けたということなら、自分も確かにかき揚げを赤色に染めたくはなりますねw
NoTitle
この調子のトンデモストーリー、これからも楽しみです。ちなみに僕は塚原くんより軽いです。
「塚原」って名前、墓地みたいなイメージですね(全国の塚原さんへの悪意はない)。
「塚原」って名前、墓地みたいなイメージですね(全国の塚原さんへの悪意はない)。
NoTitle
サクサクの天ぷらそばが! 食べたい!!(まんまと飯テロされた)
まさかの彼が再登場、レギュラーキャラだったとは……
顔と名前のギャップ、そして体重軽っΣ(゜o゜)
男性は意外に体重軽いので、時折クリティカルヒットを喰らいます。
退魔(物理)な戦い方が燃えますね。
AK-74やグロックでの戦いも見たいです。次も楽しみにしています^^
まさかの彼が再登場、レギュラーキャラだったとは……
顔と名前のギャップ、そして体重軽っΣ(゜o゜)
男性は意外に体重軽いので、時折クリティカルヒットを喰らいます。
退魔(物理)な戦い方が燃えますね。
AK-74やグロックでの戦いも見たいです。次も楽しみにしています^^
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Re: 面白半分さん
TRPG「クトゥルフの呼び声」はこういうモダン・ホラーを書くときにはものすごく重宝しますね。
最後の一行は、毎回気を配って書いてます。カッコよく思って下さったらありがたいです(^^)