風渡涼一退魔行

    風渡涼一退魔行 第五話 怪転寿司フルコース

     ←日本ミステリ40位 弁護側の証人 小泉喜美子 →日本ミステリ41位 影の告発 土屋隆夫
    風渡涼一退魔行

    第五話 怪転寿司フルコース



     1

    「こんなもので、ぼくがごまかされると思ったら大間違いですからねっ」

     色白できゃしゃでサラサラヘアでどこか遠くの空でも眺めているような瞳の色をした、あごの細い女とも見まがうような顔の持ち主でありながら、塚原喜八郎というどこか昭和初期を思わせる名前をした若者は、黄金色の皿に乗った大トロをベルトからすくい上げてそういった。おれは肩をすくめた。

    「ごまかしはしてないさ。おれの好きな店といっただろう。それにおれの金で食うんだ、文句をいわれる筋合いはない」

    「だけどここ……」

     塚原喜八郎は周囲を見回した。

    「たしかに、専用の漁船を持っていることが売りの店ですけど、どういい繕おうとも、チェーンの回転寿司屋じゃないですか。こないだの高尾山の埋め合わせが、こんなものでできると、本気で考えているんですか、風渡さん?」

     ちょっとおれはカチンときた。

    「何か? 君は、回転寿司屋をバカにしているのか? それを店主の前で堂々と言えるか?」

    「いえませんけどね」

     若造はワサビをトロの上にちょんと乗せ、しょうゆをかけた。

    「でも、こんなところで寿司を食べても……うまい」

     若造の目が丸くなっている。はは、気持ちがいい。

    「なんだこれ。ほんとに回転寿司? めちゃめちゃうまいじゃないですか」

    「回転寿司屋に入って寿司を食うには鉄則がある。簡単な話だ。開店時間ちょうどに店に入ることさ。味が全然違うぜ」

    「だけど、朝の10時から寿司屋に入るなんて、ちょっと善良な一般市民のすることじゃないんじゃないですか?」

    「おれは善良な一般市民じゃないんでね。そんなおれにおごられているお前も同様だろう。それに、回転寿司屋は、昼飯時になったらもうアウトだと思ったほうがいい。ひからびたネタ、ひからびたシャリ、周囲は家族連れで夏休みの江の島みたいになっている。そんな中でうまいものを食おうというほうが間違いさ。開店後長くて三十分。その短い間にすべての勝負をかけるところに、回転寿司を食うことの面白さの神髄がある」

    「そんなもんですかねえ……」

     若造は流れてきたアジを取ってしょうゆをかけ、口に運んだ。

    「う……うまい」

     おれは液晶のボタンを押した。

    「何頼んだんですか」

    「生ビール」

    「あ、ずるい、ぼくも」

    「おい、コハダが逃げるぞ」

    「あっ」

     塚原喜八郎は隣のテーブルに流れていく直前にコハダの皿を取った。

     ウェイトレスが中ジョッキと椀を運んできた。

    「なんですかそれ」

    「豚汁」

    「ははあ、先に腹を温まらせておこうという作戦ですか」

    「まあ好きな皿を取ってくれ。食べたいものが流れてこなければ、好きなボタンを押してくれ」

    「いわれなくても押しますよ」

     塚原喜八郎を放っておいて、おれは豚汁に一味を軽く振り、ビールをぐいっと飲んでから、椀の中の熱い大根に取り掛かった。

     豚汁はけっこう酒の肴としてはいい。具材は意外とバラエティに富んでいて、辛めに味つけられた味噌ともマッチしている。それに、変に刺身皿など頼むよりは、量としてもちょうどいいのだ。

     おれは豚汁をちびちび飲みながら、ビールをぐいぐいと飲んだ。

    「けっこうウニがいけますねえ」

    「バランスよく食べたほうがいいぞ。色皿ばかり取るよりは、普通皿も混ぜたほうが利口だ。回転寿司屋にとどまらず、料理店で『金銭的に元を取ろう』などと考えるのは、商売をやっている店側に対する侮辱だ。プロレスラーの武勇伝で、焼肉食べ放題の店を何件潰した、などとあるのは、ただのヤボの骨頂にすぎん」

    「じゃあ、どう食べるのが、いいんですか」

     おれはボタンを押して日本酒を注文した。

    「難しいことはない。楽しく食べればいいのさ。金銭的に元は取れなくても、精神的に元を取ることはそう難しいことじゃない。食べたいものを食べ、腹がいっぱいになったらやめる。それだけのことだよ」

    「なんか今日は妙におとなしいですね」

    「そうかい?」

     おれは豚汁の残りで、ウェイトレスが運んできた、よく冷えた日本酒をやりながら、液晶のボタンを押した。

    「何を注文したんです?」

    「当ててみろ」

    「……マグロ?」

     おれはにやりと笑った。

    「そのうちわかるさ。おい、白魚だぜ」

    「白魚はいいです。なんとなく、あの目が恨みがましくぼくを見るんです」

    「前世で白魚をいじめでもしたのか」

    「ぼくは白魚にいじめられていたクチだと思います。それを先生に密告したら、白魚がぼくを逆恨みして、いじめはエスカレートして、ぼくは自殺、それがマスコミに大々的に報道されて、白魚の家は一家離散、白魚は決まりかけていた大学の推薦枠をあきらめて、地方の零細企業に就職するんですけど、そこで新たなドラマがあって白魚はさらに因果応報の地獄に」

    「……そういえばお前は少女小説作家志望だったな。もういい。尋ねたおれがバカだった」

    「あ、とび子だ。ぼく、けっこう好きなんですよね。おっ、次はいくらか。次はシーチキン……」

    「ウニばかり頼んだせいだろうな。お前、寿司屋のコンピュータにナメられてるぞ」

     おれは名前こそ仰々しいが、たぶんどこかの蔵元に大量生産させたのだろう、自称純米大吟醸をちびちびと飲んだ。

    「……それにしても来ないな」

    「風渡さん、何を頼んだんです」

    「お好み焼きだが」

     塚原喜八郎は目を丸くした。

    「お好み焼き! そんなものを寿司屋で注文して、どうするんですか!」

    「食べるんだよ」

    「……なんか、風渡さんという人が、よくわからなくなってきました」

    「おれはうまいものが好きなだけだよ、それと、うまいものを開拓するのがね」

    「開拓のためならお好み焼きでも注文するんですか……ここは寿司屋だというのに。風渡さんって、意外とニヒリストの気があるんですね、顔に似合わず」

     おれは知り合い全員から。渥美清とせんだみつおをよく混ぜて、だし巻き卵を作る四角い型に流し込んで焦げ目がつくまであぶったような顔、と評される当年とって四十八になる顔をなでた。

    「お前ね、おごってくれてる人に、そんな口を利いてると、寿司の神様からバチが当たることになるぞ」

    「はあ。で、そのお好み焼きというのも、ベルトに乗って流れてくるんですか? 世も末ですね」

    「世も末ということは、新時代の幕開けということさ。それにしても、さっきから軍艦巻きばかり流れてくるな」

    「ええ。次は何でしょう」

     なにげなくレーンの先に目をやったおれは、はっとした。

     テーブル越しにむんずとばかりに塚原喜八郎の袖を引っつかみ、そのままテーブルから飛びのいて、通路の床に伏せた。

    「なにするんですか、痛いですよ、風渡さ……」

     目もくらむような閃光と轟音!

     おれはたしかに火の筋を認めた。

    「な、なにがあったんですか、風渡さん……」

    「おれのカンでは、あれに当たったほうが痛かったと思うぜ。いや、痛みを感じる間もないかな」

     悲鳴の上がった店内で、おれは懐のグロックを抜いた。

    「さっき流れてきた軍艦巻きに乗っていたネタ、おれの知識に狂いが無かったら、たぶん、重巡『愛宕』の艦上構造物だぜ……」

    「この店はソシャゲ会社かどこかと契約してるんですか?」

    「そんな話は聞いたことがない。それにしても見事な単縦陣だぜ。いや、二列の場合はなんていうんだ?」

    「知りませんがね。ベルトコンベアで流れてくるんですよ! 縦陣になるのは当たり前でしょう!」

     次々と流れてくる、軍艦巻きが、これまた次から次へと火砲を打ちまくってくる。壁とガラス窓にはいくつも大穴が開き、客や店員が、絶叫しては頭を吹き飛ばされていく。おれはレーンのベルトのモーターか、歯車の急所と思われる部分に、グロックの9ミリ弾を三発叩きこんだ。レーンはグニャリと生き物のように曲がると、開いた穴から緑色の体液を出した。

    「止まらない!」

     塚原喜八郎が悲鳴を上げた。

    「これがほんとのアズールレーンというやつらしいぜ」

     おれは上着を脱いだ。

    「なにしてるんですか!」

    「うるせえ。間に合わせの煙幕だ」

     おれは寿司の上にばさっと背広をかけると、身を伏せ、匍匐前進で移動した。

     寿司屋で匍匐前進。なんてこった。


     2

     軍艦巻きとは、1941年に銀座の某寿司店が考案した、俵型にしたシャリの周りに海苔を巻き、その上にイクラだとかウニだとか、握るには不向きな食材を載せた寿司の一種である。

     1941年ということが時代を感じるが、平和な時代に考案されたとしても、「軍艦巻き」以外のぴったりした名称を考えるのは、おれには無理みたいだ。前にどこかのマニアがツイッターで、「軍艦巻きを名乗るのならば艦首はダブルカーブを描いていなければならないはずだ」などとのたまっていたが、たぶんそいつは日本の軍事用の艦艇にも、スプーン型の船首を持つものがあるということを知らなかったに違いない。

     しかし現在のおれたちにとっては、重要なのはその軍艦巻きたちの艦上構造物だった。

    「あれは愛宕じゃないですよ。愛宕に似てますが、同じ高雄型重巡洋艦三番館の鳥海です」

    「愛宕でも妙高でも構わねえ。こちとらは戦争に巻き込まれた一般人なんだぞ。お前もだ。寿司の藻屑となりたくなかったら、とにかくこの店を脱出することだけを考えろ」

     そうはいったものの、困難だ、と思われた。

     おれたちはテーブルとテーブルの合間を、潜水艦が海底すれすれを進むように匍匐前進した。匍匐前進にはいろいろと欠陥があるが、その中でも大きいのは、熟練してもなかなかスムーズには進めないということである。特に、テーブルのほうから、黒くなった血がじわじわとしみ出してきているとなったら、食欲どころか生存本能までもが減退してしまうというものだ。

    「風渡さあん……」

    「なんだよ艦これ野郎」

    「アイフォンが通じません……」

     おれは舌打ちした。この空間だけが、現世から切り離されているか、はたまた……。

    「『敵いまや我が腹中にあり』か」

    「なんですそれ?」

    「大戦末期に、頭がおかしくなった日本の軍部が唱えた一種の寝言だ。今のおれたちの状態をよく表している言葉でもある」

    「へ?」

     冷水器のところに到達したとき、積み上げてある湯呑みが、機雷のようにがらんがらんがらんと落ちてきた。

     当たったら死ぬ!

     本能の判断に逆らうとろくなことがないのは知っていた。おれはごろごろと転がって避けた。

     本能は正しかった。湯呑みは機雷のように落ちてくるだけではなかった。機雷のように爆発しやがったのだ。タイミングが一瞬遅れたのは、遅発信管を使っているからだろう。

    「くそっ」

     アルミ製の冷水器が妙な形に歪んだ。おれは下方からグロックを撃った。

     ぶしゅっ。

     冷水器から漏れ出たものは特徴的な臭いがあった。

     おれは後方の塚原喜八郎を引っ張り、その揮発性の何かから離れるように、レーンの角を曲がった。

    「なんですか、あの液体?」

    「軽油だ。ディーゼル臭がした」

     おれののどはカラカラだった。

    「軽油だけだったら、ただ燃えてくれればいいが、もし、高熱が、高圧で蓄えられている重油を引火させたら……」

    「どうなるんです?」

     軍艦巻きがでたらめに放った一発の砲弾が、その解答を教えてくれた。

     轟音。破裂音と火の玉。

     おれは中腰になって火の玉の後の惨状を見た。

     床一面にあふれた重油が燃えていた。

    「しょ、消火器……」

    「期待しないほうがいいぜ」

     おれは丁寧に解説してやった。

    「消火器どころではどうにもならないのが、重油火災の恐ろしいところなんだからな。それに、こんな異常な寿司屋の消火器が、まともに額面通りだと思うか?」

     塚原喜八郎はぶるぶると首を左右に振った。

    「で、でも……」

    「でも、何だよ」

    「でも、そうだとすると、出口への道が、完全に、重油火災とやらで塞がれてしまったことになりませんか?」

    「ほう。それに気づいたとは感心感心」

     おれは窓の外を見て、舌打ちをした。

    「入口から出られないなら窓をぶち破って、とか思っていたが、外も外で面白いことになっていやがる」

    「面白いことって……ええっ!」

     塚原喜八郎は、歯の根が合わないようだった。ひとことしゃべるごとに、舌をもつれさせていた。

    「外が、一面の海じゃないですか! ここ……どこです?」

    「なんだよ、艦これだかアズレンだかを遊んでいて知らないのか?」

     おれは窓の外に見える島のシルエットを指さした。

    「あれはサボ島。あっちに遠く見えるのはフロリダ諸島だ。たぶん反対側にはガダルカナル島の姿が見えることだろうな。間違いなくここは鋼鉄海峡、アイアン・ボトム・サウンドだ。何回か、観光旅行でダイビングに行ったから見覚えがある」

    「アイアン・ボトム・サウンドって……あの、第二次大戦中、何度も何度も海戦が行われて、日米の艦艇が沈みまくったから、その結果、海底が鋼鉄で舗装されたみたいになっちゃった、ていう伝説の残る、あれ?」

    「知ってるじゃないか。感心感心」

    「褒められても嬉しくもなんともないですよ!」

    「おれも、お前なんか褒めても嬉しくもなんともない」

     塚原喜八郎が泣きそうな顔をした。おれは続けた。

    「だが、お前を褒めることは、前向きな何かをするってことだ。生きて出たければ、前向きに考えて、実行する癖をつけるんだな」

     おれは店内を見渡した。

    「どうやら、この店は、『第二幕』を始めるようだぜ……」


     3

     店はその様相を本格的に変えようとしていた。

     店内のすべてのものが、ドロドロに溶解し、ずるっ、べたっ、ずるっ、べたっ、と、アメーバが動くようにずりずりと位置を変えていく。

     それでいながら、ここが「回転寿司屋」であることだけはわかった。それは壁に溶け残ってそんざいする「活〆まだい」の札であったり、ぼこりと突き出した客席とテーブルであったり。そういえば、レーンにかけたおれの上着も、そのままで残っている。布地はぼろぼろだから、生きて出られても二度と着ることはあるまい。ゴミ箱に捨てるか、研究所へ持って行って、この異常な事件を今後の参考にするため分析してもらうか、だ。

    『後者だな』

     おれは思った。店内がこんなになってしまったことで、寿司屋はおれに感謝して労賃を払ってくれるとも思えない。それなら、研究所へ上着の残骸を売って、銃弾代だけでも取り返さないと嘘だろう。

    『9ミリパラベラムも、タダじゃないんだぜ、この野郎』

     心の中でそう毒づいたとき、塚原喜八郎がいった。

    「あのう……」

    「なんだ」

    「この店、何かになろうとしていませんか? 船の一部みたいなものに」

    「ああ」

    「何になるんでしょう。艦橋でしょうか?」

     おれはぐすっ、と低く笑った。

    「艦橋に思えるか」

    「へ?」

    「世の中は、そこまで甘くできてないぜ、普通。そりゃあ、艦橋で指揮を執る艦長や司令官に交じって、船の行く末を憂慮する、というのは、かっこいいし、いかにもありそうだ。だが、この店内を妄想じみた状態にしたやつが、そんな甘っちょろい展開に持っていくかどうか……」

    「じゃあ、ぼくたちはどうなっちゃうんですか」

    「宇宙戦艦ヤマトだったら、完全に、第三艦橋勤務だろうな。だが、安心しろ、現実の艦船に、第三艦橋、などというものはない」

    「風渡さん、前向きに、前向きに!」

     窓が、天井から滴ってきたドロドロの何かによって埋められていく。

     客たちの死体も、いつの間にか、着ているものは海軍の軍服へと変わっていた。

     日本兵にしては変な形だが……。

    「塚原くん」

    「なんです改まって」

    「おれはカン違いをしていたようだ」

    「どんなカン違いですか?」

    「この寿司屋を乗っ取った何かは、日本の艦じゃない。これは、アメリカの艦だ。艦以前に、これはPTボートだぜ」

    「あれですか?」

     塚原喜八郎が「あれ」と呼んだのも無理はない。PTボートとは、いちおう、アメリカ海軍の魚雷艇扱いにはなっているが、ほぼ木製の、モーターボートに魚雷と機銃を積んだだけの代物である。当時のモーターボート技術の粋を凝らして作ってあるので、日本の大発よりもはるかに速い速度を出せるが、しょせんはそれだけの代物である。

    「この寿司屋を選んだ理由も、今となってはよくわかる。ほとんど、内装は木だもんな。それに、アメリカの船だったら、帝国海軍の重巡なんて殺戮者であり敵でしかないわけだ」

     ゆっくりと、店内は形を変えてきた。大型のモーターボートのそれに。

    「それならアメリカにいればいいのに。なんで現代の日本なんかでこんなこと」

    「わからん。だが、相手がアメリカとはっきりしたことで、対策を立てやすくなったのも事実だ。キルジャップで狂っている存在なら、鬼畜米英で狂っている存在よりはいくらか話が通じやすかろう」

    「ぼく、英語なんかできないですよ」

    「安心しろ、おれはできる。ア・リトルだが」

    「それって結局、できないんじゃないですか!」

    「できなかったら、気合で何とかすればいい」

    「そんな無茶な」

    「前向き思考だぜ。どうやらキャビンは、元の寿司屋では奥の調理室に当たるところらしいな。早く行かないと、このままお陀仏だ」

    「見りゃ、わかりますよ。重油火災、全然、消える様子すら見せてないですから……」

     急に、世界がぐらりと揺れ、塚原喜八郎がバランスを崩した。

    「地震だ!」

    「なにをいってるんだ。バカ、船が波に揺れ始めたんだよ。こりゃ、本格的になって来たぞ。早いとこなんとかしないと、アイアン・ボトム・サウンドの英霊になっちまう。おれはダイビングはやるけれど、海の底自体はそれほど好きじゃないんだ。ドライスーツを着て厚着していても、身体が冷え切ってしまうくらい寒いからな」

     寿司店は大きく揺れ始めた。ローリングしているらしい。

     火災はこの寿司屋だか船だかわからなくなっているものの、半分ほどを焼くまでになっていた。更に燃え広がったら、キャビンに飛び込むのは無理になってしまう。なにがあるにしても、その元凶はキャビンと、そこにある何かだ。

     おれはレーンだったものと、客だったものの死体を飛び越えて、ついでに背広も回収しつつ、キャビンへと向かった。

    「置いて行かないでくださいようー」

     悪いが、塚原喜八郎の声にこたえられるだけの余裕は捻出できそうにない。重油の炎を背広を振って払い、おれは厨房に飛び込んだ。

     そこにあったのは、骨だった。


     4

     何があったのか、おれにもおぼろげながらわかりかけてきた。

     骨……もっといってしまおう、人骨だ。それが、肉のない身体を起こして、おれのほうに指を突き出している。頭蓋骨の下で、あごの骨がカタカタと鳴っていた。

    「お前は……アメリカ海軍の兵士か」

     厨房の機器が残る中、かちりかちりと音を立てながら、骨が成長していく様は、あまり気持ちの良いものではなかった。炎が回り始めているのも気に食わない。

    「マックスウェルの悪魔現象が起こったんだな。何らかの理由で、局地的に、エントロピーが逆転したんだ」

     エネルギー保存則により、物事の状態は、トータルで見ると、よりでたらめな、ノイズそのもののような状態へと移行していく。トランプを切ってみよう。カジノのディーラーのやるごとく、シャッフルを行えば、カードの並び順はばらばらに、混沌とした方向へ移行していく。それだからわれわれはゲームができるわけだ。

    「だが、お前は、そのカードを切る行為の中で、たまたまできたロイヤル・フラッシュだった、というわけだ。麻雀でいう、四暗刻字一色大三元天和というやつだな」

     ばらばらにするのが完全にランダムな何かに基づくのなら、確率論的に、ごく限られた範囲で、そのランダム性により、ものがある規則的な並び方を取り戻すことがある。ごくごく稀にだが、その取り戻された規則性が、ある閾値を超えてしまうこともあるだろう。

    「お前は第二次大戦中に、アイアン・ボトム・サウンドで戦死した。その肉体は、腐食し、海流に流され、魚に食われ……そうした形で、完全に太平洋のノイズとなった……はずだった。それが、どういう偶然かは考えたくもないが、海水に溶けた分を魚が飲み飲まれし、食物連鎖の中で、数匹の魚にまで、お前の身体を作っていた成分が、濃縮されていったんだ。その数匹の魚は、この寿司屋の寿司ネタとなって運ばれた」

     おれはグロックを構えた。

    「濃縮されたお前は、濃縮された怨念となって蘇り、今ここで、身体を取り戻そうとしているんだな。だが悪いが、戦争は終わったし、日本人は今はアメリカのパートナーもしくは飼い犬だぜ。キル・ジャップス大会をやることができたお前さんには、数十年の胸のつかえが下りる痛快事だったろうが、おれたち日本人にとっては、単にイタいだけさ」

     炎がどんどん回ってくる。

    「貴官の任務を解除する」

     おれは引き金を引いた。9ミリの拳銃弾とはいえ、3点バーストの威力は絶大だった。名も知れぬ元アメリカ海軍の軍人は、頭蓋骨を粉々に吹き飛ばされた。

     入口の方から、塚原喜八郎の声がした。

    「終わったんですか?」

    「ああ」

     おれはグロックをホルスターに戻した。

    「あの、風渡さん」

    「なんだ」

    「いいにくいんですが」

    「だからなんだ」

    「終わってないみたいです」

     その指摘に、おれは床を見た。頭蓋骨の破片が、こそこそと動いている。再び寄せ集まろうというのだ!

    「こいつ死なないのか!」

     おれの背筋に鳥肌が立った。

    「おい、塚原。お前は信心深いほうか」

    「信心深くはないですが、今だったらなんだって信じられると思います」

    「『アーメン』はいえるか」

    「必要ならば何回でも」

    「その素質、買わせてもらうぜ。生きのびられるかどうかはそこにかかっていそうだからな」


     5

    「『回転寿司店、白昼の大爆発』ねえ。『死者・重軽傷者多数』『問われる企業の危機管理体制』」

     織江は読んでいた新聞をたたんだ。

    「重軽傷者ってのは、涼ちゃんとキハちゃんのことね」

    「そうだよ」

     店内の客と従業員の中で、生き残ったのは、おれと塚原喜八郎だけだったからな。

    「ほんと、涼ちゃんもキハちゃんもよく五体満足で戻れたこと」

     おれはソルティ・ドッグをなめながら、生命の旨味というやつを味わっていた。

     塚原喜八郎は、不機嫌そうな顔でバーボン・ウイスキーをさっきからあおっていた。

     おれは織江に説明を開始した。

    「考え方が間違っていたんだ」

     グレープフルーツジュースの味が快い。

    「あの海兵が誰であれ、ジャップを殺して意趣返しして盛り上がろうとはまったく思っちゃいなかった。彼が望んでいたことはただひとつ、また海の中で眠ることだったのさ」

    「じゃあなんでそんな殺戮をしたのよ」

     織江は首を傾げた。

    「風渡さんがいうにはですね、あいつは、戦争の恐怖をそのままの形で持ってくる以外に、生き返ってからの身の振り方を知らなかったんだろう、って。不器用なやつだったんだろうって」

     塚原喜八郎はバーボンをあおった。

    「それで、ぼくたちは、急遽、葬式ごっこをやることになったんです」

    「ごっことは何だよ。これでも、キリスト教とアメリカ海軍の儀礼にのっとった、正式な水葬を行ったつもりだぞ。骨を集めて、静かに祈って、ぶち壊した窓から海へ帰しただろ」

     おれはちょっと不快になった。

    「聖書の祈りの文句を唱えて、アーメンをいって、粛々とあのガイコツさんを海に流したじゃないか。あとはエントロピーの法則が、やつの身体をばらばらにして、海の藻屑に変えてくれるさ。現に寿司屋はもとの現代日本に戻ってきたんだし、おれたちはそこから脱出できた。何の文句があるんだ。そもそも、寿司屋が吹っ飛んだのは、おれたちが出た後だし、重油火災がガス管に引火したからであって、それこそ不可抗力というもんだぜ」

    「それ自体に気を悪くしてるんじゃありませんよ、ぼくは」

     塚原喜八郎はバーボンのグラスをおれの方に突き出して、サミー・デイビス・ジュニアみたいな調子の声でいった。

    「風渡さん、どうして、ぼくよりも、英語がうまいんですか!」

    「え?」

    「なにが、ア・リトルですか。めちゃくちゃ英語ができるじゃないですか。あの『主の祈り』、完全に暗記しているんでしょう? 韜晦にもほどがありますよ。韜晦を通り越して、あれは単なる嫌味です。ちぇっ、ぬりかべ事件のときに、インドの文献を生で読んだということから、語学力がないわけがないことに気が付いておくんだった」

    「いや、おれは言語の中では英語はそれほど得意じゃない方で。むしろギリシア語とかラテン語のほうが、仕事上よく使う……」

    「そういうのを嫌味っていうんです!」

     いつの間にかバーボンの瓶が空になっていた。

     塚原喜八郎は大声で叫んだ。

    「バーボン、おかわり!」

     おれは織江に小声でささやいた。

    「あいつ、どうしたらいいと思う? このままじゃ、店にも迷惑だろ」

    「そうねえ」

     織江は首をかしげていたが、やがてにやりと笑った。

    「あの子が望んでいることを、やってあげたらどうかしら。涼ちゃんがごひいきの中華料理店に、あたしたち全員を連れて行ってパーティーをするの。名案だと思わない?」

    「冗談じゃない」

     おれは背筋に震えを感じた。

    「今回はたまたま、話の分かるアメリカ兵だったからよかったけど、日中戦争十五年の恨みをもった中国人のゾンビが出てきたら、さすがにおれも勝ち目がないぜ……」

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    ~ Comment ~

    Re: blackoutさん

    いや、だからそう、外国に対する敵愾心をあらわにしなくても(^^;)

    あくまでもこの小説は「気楽に読めるホラーミステリー」なんですから、もうちょっと楽しいことを考えてですね(ホラーの書き手とは思えんセリフであるわれながら(笑))

    最近うまいチェーンといったらやっぱりスシローかなあ。一時期はガタガタだったけれど、今は持ち直しているし。

    はま寿司ではもっぱらサイドメニューばかり食べています。

    純粋に寿司の味だけで評価したら、スーパーのパック寿司のほうがうまいようなチェーンもあるので、注意しないとなあ……。

    アナゴはわたしも大好き(^^)

    Re: ダメ子さん

    そういえば、昔、「結婚回数世界一」の男が出てくるテレビ番組見たけれど、「この人の職業は牧師です」というオチがついていたなあ(笑)

    それに比べれば、異教徒がキリスト教の儀式に基づく葬式やったって別にいいような(日本人的発言(笑))

    NoTitle

    そういえば回転寿司は、20代の頃何回か行ったことありますが、結構美味かったのを覚えてますね

    さすがに開店直後の時間帯はないですが、夜の8時ごろで、たまたまいいネタが出回ってたってだけかもですがw

    白身のネタは食わないですねw
    ほぼ赤身ばっかですw
    意外なところでは、卵焼きとか穴子も好きだったりしますw

    ええ、自分も食いたいものを食えばいんだよ!ってヤツですw

    まさか食物連鎖の生物濃縮を持ってくるとは…
    でも、個人的にはあるあるだと思います

    全ては、間接的に連綿と続いてると思いますし、地下水脈のように繋がってるとも思いますし

    中華…

    日中戦争、文革以外だと、満州とか南京もありますよ?w

    それにお隣のロシアではシベリア抑留とか、ドイツではホロコーストとか、どんだけやれば気が済むんだってコトが山のようにありましたからねぇ(汗)

    そういう日本も、4〜6世紀の古代期ごろから色々あったみたいですし
    たぶんホロコースト的なこともあったんじゃ?って感じらしいです

    NoTitle

    ashes to ashes, dust to dust
    まさかの葬式ごっこ
    葬式プランナーにもなれそう

    Re: miss.keyさん

    ちょっとさすがにない(笑)

    そこを真面目に書いてしまうと、「ホラーっぽくてミステリっぽくて冒険小説っぽいノンジャンルの軽い読み物」という「モダンホラー」としての立ち位置が危うくなるので(笑)

    とりあえずディーン・R・クーンツを読んで失ったパワーを補充しよう(笑)

    Re: 椿さん

    ああ、あのはま寿司の(笑)

    こっちにはココナッツ来なかったんですよね~。もしかしたら来たけれども売切れちゃったのかな。

    スーパーアクション回の割にはそれほど銃器が通用する相手じゃなかったのがちょっと自分でも残念だったところ。

    次回はもうちょっと銃器が活躍する展開にしたいものであるのう。

    愛宕の艦上構造物がきちんと答えられる人間が軍艦マニアなだけだという話も。最近では艦これだかアズレンだかのせいで、「丸」も読んでないくせにきちんと答えられる輩が増えて、古典的なシミュレーションゲームファンはちょっと面白くないのでした(笑)

    Re: 面白半分さん

    いちおう、モデルとしたのはこの人です。

    http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/51351652.html

    泉昌之先生のマンガの諸作に出てくる「本郷」。こういう暑苦しい人が飯を食って文句をいいながらゴーストハンティングしたら面白いんじゃないかと、まあ、それだけの発想で書き始めました(笑)。

    だからもし本書が何かの形で出版されたら、カバーイラストは絶対泉昌之の作画担当の和泉晴紀先生にお願いしたいと思ってます(笑)。

    日中戦争より文革の方が

    日中戦争の死者より、文革の死者の方が多い。しかも余程不条理だ。恨み辛みはさぞ大きかろう。そっちの出演予定はございませんか?

    NoTitle

    序盤ののどかさから一転してのスーパーアクション回でしたね!
    最初の襲撃とかもうシュールで大好きすぎる。
    自分が艦これもアズレンもやっていないので愛宕の甲板がどうなっているのかが分からないのが残念でした。

    そして最近はすっかり、回転寿司でラーメンを食べるのもポテトを食べるのも普通な気がするようになった自分です。
    ココナッツ(丸ごと)が回ってきた時はさすがに自重しましたが。

    NoTitle

    風渡氏の顔だちは桂小益か?!
    ”四角い”からの連想ですが他の要素も結構あっている気がしてしまいました
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