風渡涼一退魔行

    風渡涼一退魔行 第六話 誰かがそこに……

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    風渡涼一退魔行

    第六話 誰かがそこに……


     1

    「くうう、こういうのって、やっぱりいいですね。伝統的な妖怪ハンターという感じがしますよ。それで、妖怪をどうやって退治するんですか?」

    「何を盛り上がってるんだ、若造。それに、退治ばかりが仕事じゃないぞ」

     おれたち二人がいるのは、首都近郊の、繁華街に適当に近く、駅にも適当に近く、しかも駐車場までしっかり完備、という、ちょっとした豪邸だった。

    「えー、でも、幽霊屋敷って、ホラー映画の定番のネタじゃないですか。こういうところでは、普通は退治にかかるものでしょう」

     タブレット片手についてきた、このサラサラヘアの、ハーレクイン・ロマンスでは絶対にヒーローになるタイプの顔をした、サマージャケットのよく似合うスレンダーな若造に、おれは眼光鋭いと自分では思っている視線を向けた。昔から、渥美清とせんだみつおをミキサーで五分搗きにしてから、ダマになったそれを四角い型に流し込んで、ガスコンロの魚焼きグリルで焼いたような顔と呼ばれているおれの視線なのだ。尋常な人間のそれとは、破壊力からして違う。

    「お前な、何事も小説のように進むと思ったら大間違いだ」

     若造の名は塚原喜八郎。少女小説サークル「ぴゅしす」同人にして、いつデビューできるかわかったものではない小説を書き殴っている、こじらせたモラトリアム人間である。

    「ええ? 退治じゃなかったら、ほかになにをやるんですか、風渡さん。超A級退魔師の、風渡涼一ともあろうおかたが、妖怪退治をしなかったら、退魔師の名に傷がつくんじゃないですか」

     おれは「わかば」を一本取り出した。

    「いっておくがな、これまでお前といるととんでもない事例にばかり遭遇してきたが、実のところ、こういう話で、本物の化け物というものは、そうは『出ない』ものなんだ」

     おれは周囲を見回して、灰皿になるようなものを探した。この、すっかり荷物が片づけられて、がらんとした8LDKの屋敷には、そんなものなにひとつなかった。あるのは豪華なマホガニー製の床くらいのものだ。灰や吸い差しを落とすにははばかられる。携帯灰皿を忘れてきた自分のうかつさを呪ってから、おれは「わかば」を箱に戻した。

    「あのう……『出ない』って、どういうことなんですか。だって、風渡さん、超A級の退魔師でしょう?」

    「いちおう聞こう。ここに、超常現象の起きる屋敷があったとする。お前はそこを取り扱っている不動産屋だ。いいか?」

    「はあ」

    「お前は伝統的な科学的合理主義者だ。実際は迷信深くても、本人としては合理主義的でありたいと思い込んでいるタイプの、よくいる日本人だ。合理主義者としては、幽霊だの妖怪だの超常現象だのは信じたくない。しかし、顧客は頑迷にそれが出る、といい張り、下見段階だけで次から次へと退去してしまう。何度建て替えようと、そうなってしまう。OK?」

    「OKです」

    「不動産屋は主義を曲げて神頼みに走るが、効果はない。そうしている間も、この不良物件は懐をじわじわとむしばんでくる。超常現象さえ起きなければ、手放すには惜しい優良物件だし、周囲の業者も、噂を聞きつけているから、買いたたかれることを考えると転売もできない。そこで、おれたち退魔師の出番だ」

     塚原喜八郎はだんだん胡散臭そうなものを見る目つきになってきた。

    「そこで、何をするんですか?」

    「とりあえず一度中に入ってから、荷物を揃えて一週間から二週間程度泊まり込む。面白いもので、普通は何も出ないし、何事も起こらない。そして、不動産屋に『何も起こりませんでした』という報告書を提出し、かわりにゼロが何個も並んだ振込明細を受け取るわけだ。その際には、『超A級』という看板がものをいう。桁がひとつ違ってくるぞ」

    「どうやってそんな暮らしができるようになったのか、おぼろげながらわかってきました。ぼくにもできそうですね」

    「できるさ」

     おれはにやりと笑って、座り込んだ。

    「ただ、たまに、ババ抜きでいうところの『ババ』をつかまされるやつが出てくる。そうなったら災難だぜ。知恵と力を駆使して、本気で戦わなくちゃならなくなるからな。そういう商売だから、当然だが」

    「それで、これからどうするんです? ただ二週間を、ここで座って待つだけですか?」

    「まあそういうことになる。とりあえず今晩の飯を確保するため、スーパーへ行こうか。だがその前に、不確定要素を片づけておこう」

     おれは背後に声をかけた。

    「おい、隠れてるやつ。そこにいるんだろ? 出て来いよ」

     塚原喜八郎は、くるりと振り向いた。

    「風渡さん、誰もいませんよ」

    「なんだって?」

     おれも後ろを向いた。たしかに、誰もいない。おれは背後が壁になるように座っていた。誰の姿もそこにはない。

    「なるほど」

     おれは壁面を叩き、しばらく眺めてからいった。

    「おれの気配を読む感覚は、自分でいうのもなんだが、けっこうなものだと思っている。視覚とどちらを信じるかだが、おれは感覚を信じてここまで生き残ってきた。この壁に、隠し部屋も隠し通路もなさそうだ」

     塚原喜八郎に向き直って、医者が病名を告げるかのようにいった。

    「どうやら、『ババ』を引いたみたいだ。当たりだぜ」


     2

     おれがこの家にやって来たのは、塚原喜八郎に話した通り、強欲な家主がからんでのことだ。四谷のほうに、その界隈では有名な、剛腕をもって鳴る整理屋のKというやつが住んでいる。イニシャルだけだとカフカの小説の登場人物みたいに見えるが、本人はカフカというよりは、同じKでも、今は懐かしい梶山季之の小説に登場するようなタイプの男だ。

    「家を売りたい」

     Kは代理人を通じてそういってきた。

    「霊が邪魔だ」

     とも。

    「金に糸目は付けない。やってくれ」

     わずか三行のメッセージで人をやる気にさせるのだから、上昇気流に乗っている男は違う。もちろん、ただ座っていさえすれば、携帯の電話番号くらいにケタ数のある入金があるのだから、おれに否やがあるわけがない。

     代理人が送ってきた書類には、その屋敷なるものの写真が同封されていたが、まあなんというか、デンジャラスでアクティブな仕事を好むタイプのアドベンチャービジネスマン向けの屋敷であった。和洋折衷といえば聞こえはいいが、大阪城とベルサイユ宮殿を融合させたような建物である。おれには、金とマホガニーをどうやって使えばこのような悪趣味な建物ができるかわからない。それはKも同じであったようだ。

    「暴力団のやつらが逃げ出すんだから、霊が住んでいるとしたらよほどのものらしいな。地縛霊とか、昔、つのだじろうの漫画で読んだが、実際にいるとはなあ」

     昨日、都心のビルの応接間でおれと面会したKはハバナ産のちびた葉巻をふかしながら笑ったものだ。指にはローマの将軍が印鑑に使うような太い黄金の指輪をはめていたが、まさかのときにブラス・ナックルのかわりを務めさせるつもりなのだろう。印鑑よりは、もっぱらサインを使うような銀行のほうに縁のある男に見えるからだ。チューリヒとか。

    「地縛霊とか背後霊とかは、あれはもともと新興宗教団体がいい出したことでしてね。おれたちのほうでは、特に気にしちゃいない。火山のトロイデとか、コニーデとかいう分類を、今の地学を学ぶ高校生が気にしちゃいないような形で、気にしちゃいないんですよ。一生懸命分類した、ドイツのカール・シュナイダーという学者には失礼だけど、要するに、無意味、ってことですな。その霊は、どういう悪さをするんですか?」

    「これといって悪さはしないそうだ。ある組長の話では、最初は『そこに何かがいる気配を感じるだけ』で、これといってなにも変化はないのだが、そのうちにだんだんと、カチコミの直前とか、暗殺予告を受けた後のように、ずうんと、腹の底あたりが気持ち悪くなってきて、二日目にはほうほうのていで逃げることになってしまうのだそうだ。ストレスに負けるというやつだな。まったく、最近のやくざは、根性がない」

     おれは「わかば」をくわえて答えた。

    「根性がないかどうかは置いときましょう。で、いつまでその屋敷にいればいいですか?」

    「二週間の契約でどうだ。家具は全部運びだしてしまったし、ガスも電気も止まっているが、近所にはコンビニもあれば、ちょっと車を転がせば飲み屋もレストランもある。霊を呼ぶなら、ランプかろうそくのほうが気が利いているだろう。今は夏だ、蚊取り線香とマットさえあれば、夜もごろ寝するには乙なものじゃないのか。水道は止まっていないから、好きなように使うがいいさ」

    「二週間の間に霊か、それに準ずる者が現れなかったら?」

    「契約終了でいい。幽霊屋敷で二週間、ろうそくの明かりだけで無事に暮らしていた男がいた、となれば、男を売るのが仕事の職業の連中も、女子供みたいに逃げ出すわけにもいかないからな。お前さんが去った後に超常現象が起こっても、アウトローの看板を出している以上、おれに再び買い戻せ、というわけにもいくまい。後は野となれ、さ」

     おれは肩をすくめた。

    「なるほど。そもそも、どこからこんな物件を手に入れたんです?」

    「代々、財をなしてきた実業家の一族が、そろってアメリカへ移住することになってな。その際に、安く買いたたいたんだ」

    「へえ。その実業家の一族は、テロと暴力が頻発するこのご時世に、どうしてアメリカなんかへ移住する気になったんです?」

    「人にはいろいろと事情があるんだ。聞きたいかい?」

     おれは「わかば」をもみつぶした。

    「聞かない方がよさそうですね」

     実業家が整理屋なんかに目を付けられたら、それこそアメリカにでも逃げなくちゃ、腸内に生息する大腸菌の最後の一匹までむしられるほかないことを、おれはこれまでの経験上よく知っていた。

     ……というわけで、今この屋敷にいるわけであるが。


     3

    「最近はいつもこれだ」

     おれはぼやいた。

    「武器も道具もなにひとつないときを狙って現れやがる」

     塚原喜八郎は台所のゴキブリのような粘着的な視線でおれを見た。

    「それって、単に、風渡さんが士道不覚語だってだけのことじゃないですか?」

     おれも真っ向からその視線を受けた。

    「そうだよ。おれの士道不覚語だよ。で、それを認めたところで、事態がどう変わるかってことだな、問題は。粉飾決算をやっていた零細企業が、財政破綻を認めたところで、のしかかった借金は減りやしないのと同様だ。ちなみにこれは零細企業だからで、大企業になれば、債権者は喜んで借金の額を減らしてくれるから、世の中はわからん」

     若造の視線の粘着性は変わらなかった。

    「誰もそんな話なんかしてませんよ。これから、どうするのかという話をしてるんです。不振に喘ぐ日本経済の不公平の縮図なんか聞いたところで、しかたがない」

    「しかたがないついでに、あきらめる、というのはどうだ」

    「風渡さん、そういうタイプじゃないでしょ。どんなときでも、打開策はないかと、頭脳をフル回転させるタイプだ」

    「そしてお前は、それにただ乗りするつもりかよ。お前も、なにかアイデアくらい、出したらどうだ。藤子不二雄の『バケルくん』でも、主人公のバケルくんはデッドロックにぶち当たったフニャ子フニャ雄先生に自分のアイデアを語って打開させたんだからな」

    「知りませんよ、そんな昔の漫画」

     塚原喜八郎はタブレットを開いた。

    「超A級退魔師の先生が苦戦する様子をライブで見るのは小説の参考になりそうですよ」

    「なるかい、馬鹿」

     そうはいったものの、おれが内心ではかなり焦っていたのはたしかだ。ここに「何か」がいるのはわかった。つまり、やくざ屋さんの申し立てが正しいことはわかったわけだ。ジャーナリストや作家だったら、それを報告すれば仕事は終わりだろう。だがおれは、退魔師なのだ。退魔師である以上は、何らかの形で、この「何か」に活動をやめさせなくてはならないのだ。

    「おい、若造」

     おれはタブレットの上で指をぽんぽんさせている塚原喜八郎に声をかけた。タブレットが進化したといっても、まだキーボードにとって代わるブラインドタッチ可能なデバイスになったという話は聞いた覚えがない。どうせ所在なげに指を動かしているだけだろう。

    「なんですか」

    「なんでもいいから、思いついた言葉をいってみろ」

    「どういうことですか、急に」

    「自由連想法というやつだ。おれが自分でやってもいいんだが、おれがやったんじゃ、自由連想の『自由』に限界がある。お前の何も考えてない脳味噌が欲しい」

    「ひどいいわれ方だなあ……」

     塚原喜八郎はいたく気分を害したようだったが、それでも律義におれの言葉に答えた。

    「風渡さんでしょ? えーと、飯」

    「ビンゴ」

     おれはいった。

    「おれが過去にお前に対して何をいったかどうかはもう水に流してくれ。お前は天才を示した」

    「まだ、『飯』としかいってませんよ?」

    「だからお前は天才だというんだ。問題の根本を、ずばりと指し示す洞察力を持っている。クリスティの『ABC殺人事件』のヘイスティングズ大尉みたいにな」

    「あのう、ぼくたちが直面している課題は、現在の状況の打開策ですよね」

    「そうだ」

    「『飯』が、どんな打開策になるっていうんです」

    「まあ見ていろ。お前にも協力してもらうぞ」

    「なにをすればいいんです」

    「そうだな……」

     おれはこれ見よがしに首をひねってから、にやりと笑った。

    「まず、ヴィヴィッドな形で思い出せる中で、一番うまい飯のことを話してみろ」

    「え? えーと、こないだマダムたち『ぴゅしす』の同人といっしょに食べた、食べ放題の無煙焼肉」

     おれは頭を抱えた。

    「……お前ね、いちおうはいいとこのボンボンなんだろ、もうちょっと気の利いたうまいものを思い出せよ。だが、当面はこれで行ってみようか」

    「行ってみる? ……焼肉屋に?」

    「気分だけはな。おい、そこに座れ」

     正座したおれの横に、塚原喜八郎はちょこんと座った。なるほど、しっかりした教育は受けたようだ。正座して、姿勢にぶれがない。

     おれは、それを確認すると、誰もいない壁を向いて、深々と一礼した。

    「おい、お前も頭を下げろ」

    「へ?」

    「いいから!」

     横で若造が頭を下げるのを確認し、おれは、『一人芝居』を始めた。

    「これはこれはあなた様には、長きにわたり深く深くご無礼ご迷惑をおかけしました。これから山海の珍味を持ちましてご饗応いたします」

     頭を上げると、塚原喜八郎は頭のおかしい人間を見るような目でおれを見ていた。

     本格的におかしくなるのはこれからなのだが。


     4

    「まず取りいだしましたるは、牛の中でも肋骨近く、ばら肉と呼ばれるカルビにございます。これなる赤身肉に下味をつけまして、この通り起こした炭火に鉄網を張り、脂を落としながらじゅうじゅうと音を立てて焼きましたものを秘伝の漬けだれに漬けまして、この通り食べますと、柔らかくうま味に富んで、まさに地上の美味」

     おれは呆然としている若造の肩を叩くと、小声でいった。

    「ほら、お前もやれ」

    「やれ、って……ここには炭火も金網も、それ以前に肉自体がないですよ」

    「それでもやるんだよ。おれに続いて、形だけでも食う真似をしろ。しなかったら、9ミリパラベラムをぶち込んでやるからそう思え」

     不承不承、という感じで、塚原喜八郎はおれがやったようにカルビを食べる真似をした。

    「もっとうまそうに食えんのか」

    「だって……」

    「まあいい。うまそうに食うことに注意を払いながら、おれに続くんだ」

     若造にそういうと、おれは再び頭を下げた。

    「重ね重ね失礼をいたしました。さて、次なる美味は、牛のちょうど肩から背中にかけての肉、いわゆるロースと申すものでございます。このロースたるや、適度な脂身と、柔らかい肉質により、古来より好んで食べられてきたものにございます。これをば同じく下味をつけ、炭火であぶり、たれに漬けて食べますと、口中に肉汁があふれ出し、まことに焼肉の王道にございます」

     おれが食べる真似をするのを見て、若造も観念したらしく、殊勝に食べる真似をしていた。なかなか堂に入った食べ真似である。

    「さて次なるは、ハラミ、牛の横隔膜にございます。牛の身体には滋養というものが豊富にございますが、その滋養が凝縮されておりますのがいわゆるモツと呼ばれる五臓六腑の部類、伝え聞くところによりますと、百獣の王たる獅子が獲物を狩りますと、まず最初に食するのがこの五臓六腑にございます。これなるハラミは、その焼き加減と同時に歯ごたえをお楽しみ下さいませ」

     若造は口をもぐもぐしていた。ハラミを食べている感じがよく出ている。

    「次にサガリでございます。サガリと申しますのは、牛の横隔膜の、背中側、いわゆる腰椎に接する部分のことでございます。ハラミとはまた違った食感をお楽しみください」

     おれは焼く真似をしながら語り続けた。ホルモン、ミノ、ハツと説明したところで、若造が袖を引いた。

    「あのう、風渡さん」

    「なんだよ」

    「ぼく、レバーが好きなんですが」

     なんてのりやすい男だ。おれは頭痛を覚えた。

    「わかっている。今やるよ。ええ、次は、五臓六腑の中でも特に滋養に富んだ、肝臓にございます。これをレバーと申しまして、味の濃いたれに漬け込んだものを焼きますると、独特の香ばしい香りとともに、滋養それ自体の持つ豊かな味わいが感じられ、格別の美味にございます」

     おれもレバーは大好きだ。この仕事が終わったら、ひいきの小さな定食屋で、あのレバニラ炒めを食おう、などという考えが頭をよぎったが、今は仕事に集中しなければ。

    「さて、次は、牛の舌、牛タンにございます」

    「待ってました」

     若造が軽薄な声でいった。おれは無視した。

    「この牛タンは、昔から格別の美味といわれましたところで、西欧ではとろりとするまでよく煮込み、タンシチューにするものと聞き及んでおります。しかしここではあえて、薄切りにしたものをタレに漬け込み」

    「風渡さん」

    「焼きましたるものを」

    「風渡さん!」

    「なんだよ!」

    「せっかくの牛タンを、タレに漬けて焼くなんて、牛タンが台なしになるじゃないですか! 牛タンは塩でもってですね、あ、レモンはいりません」

    「うるせえ。おれはタレのほうが好きなんだ」

    「でも世間の潮流は塩を支持して」

    「焼いているのはおれだ。ぐだぐだ抜かすと張っ倒すぞ!」

     修羅場をくぐっている回数ではおれのほうが断然経験豊富だった。若造は黙り込んだ。おれはなんとなく罪悪感を覚えながら説明を続けた。

    「ええ、次はセンマイにございます。牛には胃袋が四つございまして、センマイはその第三胃でございます。これも、味というよりは食感を楽しむものでございまして、一時は刺身にして楽しむのが流行いたしましたが、ここは伝統にのっとって、焼いてお出しいたします」

     タケノコからコブクロまで、上から下まで説明し終えてから、おれは頭を下げた。

    「以上、牛一頭を、つたないながらもすべてお出しいたしました」

     おれが怒鳴ったのが腹に据えかねたのか、若造はぶぜんとした顔をしていた。

     おれは見えない相手がそこにいるかのように手を取り、身体を支えた。

    「身支度の用意はすでに整ってございます。失礼ながら御着替えを手伝わせていただきます」

     おれは見えない相手への和装の着付けをてきぱきとこなした。退魔師なんて仕事をやっていると、そのくらいの雑学は嫌でも身につくのだ。

    「では、先導いたします。こちらへおいで下さい」

     おれはゆっくりと戸口へ歩き、玄関から見えない相手を送り出すと、ふっと息を吐いた。額に汗をびっしょりかいていたことに、おれは気付いた。

    「おい、少女小説家」

     おれは部屋の中に声をかけた。

    「おれは契約通りあと二週間ここにいるが、お前も付き合うか?」

    「ごめんですよ」

     若造はにべもなかった。

    「わけがわからない。こんな精神病院の治療みたいなことにつきあうくらいだったら、もうぼくは帰ります」

     その気持ちはわからなくはなかった。おれは、憤然としながら帰っていくその後姿を見送った。


     5

     二週間が無事に過ぎ、「ソフィア」に顔を出すと、マダムとバーテンダーがおれを出迎えてくれた。隅には、いくらかやせたような感じの若造が座って、バーボンを飲んでいた。

    「涼ちゃん、とうとう頭がおかしくなったんだって?」

     織江の遠慮会釈ない問いに、おれは足がもつれるのを覚えた。

    「とうとう精神病者扱いかい」

    「だって、そこの被害者が」

    「失礼だな。おれはオーソドックスなことしかしてないぜ」

     若造はバーボンの瓶を抱えてわめいた。

    「どこがオーソドックスなんですか! 焼肉を食べる一人芝居をしていただけじゃないですか! しかも人にそれに同調するのを強制して!」

    「お前、『アエノコト』って、聞いたことあるか」

     塚原喜八郎は目を二、三度しばたたいた。

    「なんです、それ?」

    「石川県奥能登地方で古くから行われている伝統的風習だ。重要無形民俗文化財であり、ユネスコの世界無形遺産にも登録されている」

    「それがどうしたんですか? 奥能登なんかに、ぼくは何のかかわりもないんですけど」

     おれは無視してカウンターの椅子に座ると、バーテンダーにいった。

    「梅酒をくれ。織江の実家から送ってきた奴をだ。あれがこの店の酒ではいちばんうまいからな」

     織江は西洋煙草をもみ消し、笑った。

    「涼ちゃん、甘党だからねえ。この季節になると、いつもそれ」

    「あの梅酒のファンは、おれだけじゃないだろう。いつも、一週間と経たずに飲み干されちまうじゃないか」

     おれはバーテンダーから梅酒のグラスを受け取り、一口なめて、舌の回りをよくしてから、説明にかかった。

    「アエノコトってのは、田んぼの神様を、家に招いて行う、五穀豊穣の儀式だ。主人は正装で田んぼへ赴き、礼を尽くして神様を家に招き入れ、炉端で休息させ、風呂に入れ、神饌、神に捧げる食べ物だな、それをひとつひとつ説明しながら、神様を饗応する。面白いのは、それが、はたから見ると『一人芝居』以外の何物でもないことなんだ」

     おれは梅酒を口に含んで、さらに舌の動きをよくした。

    「おれがしたのは、それの逆バージョンだ。一人芝居をして饗応し、身支度を整えさせ……」

    「神様に帰ってもらう!」

     塚原喜八郎の瞳に、ようやく、了解の色が浮かんだ。

    「じゃ、じゃあ、あの屋敷にいた、気配だけの『何か』って……」

    「だいたいの推測だが、おれたちが、日頃、『福の神』と呼んでいるものとみなしていいだろう。皆に精神的圧迫感を与えていただけだったのは、誰も祀り方を知らなかったからだ。祟らないだけまだ幸運だったのかもしれん」

     おれがそういうと、織江は次の西洋煙草に火をつけた。

    「そうだとすると、その、依頼人の整理屋さんは?」

    「やつは満足そうだったよ。もうあの屋敷に、なんの超常現象も起こらないだろうことを、二週間滞在したことで、おれが身体を張って証明してやったわけだからな。ただし、超常現象は起こらないが、あの家が福を呼ぶことも二度とないだろう。Kは自分から望んで福の神を追い出した。そして、福の神というものは、追い出すと、連鎖的に出ていく傾向がある」

     おれはにやりと笑った。

    「Kの金銭的な栄華も、もう長くはもたないだろうよ。おれは銀行口座に入金があればそれで構わないから、やつの言葉じゃないが、後は野となれ、だがね」

    「でも、そうだとすると、元の家の持ち主の一家は、どうして、福の神をアメリカまで連れて行かなかったんですか?」

    「福の神を祀る儀式が、細かいところまで伝わっておらず、遷しかたがわからなかったんだろう。祟りの恐ろしさを考えると、それこそ、海を渡ってアメリカへでも逃れないとおっかなくて安眠できないだろうしな。あの一家には同情するよ」

    「一家としては、自分の家や土地を取り上げたやつらに、福の神の秘密や、祀るための方法を教える何の理由もない、というわけなのね。なるほど、すべてが、収まるところに収まったようね」

    「収まってないぜ」

     おれは梅酒を飲み干すと、バーテンダーにいった。

    「おかわり」

     バーテンダーが作ってくれる間に、おれはカウンターの椅子をくるりと回すと、織江にいった。

    「収まってないんだ。おれはあの場で、神様を戸口から追い出したが、その後の神様の行方は誰も知らない。よそへ移って祟りでもなすんじゃないかと考えると、それだけが心残りでね」

     織江は爆笑した。

    「収まってるのよ」

     困惑するおれをよそに、織江はいった。

    「ほら、そこの被害者、相談事をこの超A級退魔師さんにいってごらんなさい」

     情けなさそうな塚原喜八郎の顔を見た瞬間、おれの疑問は氷解した。

    「おい、少女小説家! お前……」

    「あれから毎日、『あれ』の存在を感じるんです」

     若造はバーボンをあおってから、泣きそうな口調でおれに尋ねてきた。

    「風渡さん、いったい、『あれ』、どうしたら落ち着いてくれるんですか?」

    「さあね」

     おれはたまには意地悪くもなれる。

    「いずれにしても、大事にしてやるんだな。うまく祀ることができたら、福の神だ、お前の家に福をもたらしてくれるぜ。家は百年経っても安泰さ」

    「でも……」

     おれはバーテンダーから梅酒のグラスを受け取った。酔いがまわってきたのか、おれはいい気分になって先を続けた。

    「だが注意しろよ。神様というものは、扱いを間違えたら、あっという間に貧乏神になるんだぜ。それが日本の伝統的な文化ってやつだ。触らぬ神に祟りなし、と同様に、これから退魔師に関わることも自重することだな。バーテンさん、おかわりを頼む。今日は胸がすかっとしたから、飲み倒すだけ飲み倒すぜ。はっはっは!」

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    ~ Comment ~

    Re: blackoutさん

    あの肉は食いたくないような(笑)

    ……ごくふつうの焼肉食いたい(笑)

    それも食い物をめぐる醜い争いがない状態で食いたい(笑)

    NoTitle

    今回は焼肉でしたね
    しかし、牛1頭とはw
    さぞかし神様も満足されたんぢゃないかとw

    自分の小説でも肉が出てきますよw
    それも生肉、且つ、う、ゲホンゲホンw

    しかし、塚原君に憑いてしまうとは(汗)
    上手く扱えるんですかねぇ…
    個人的に、彼はその手の扱いが下手そうで、ちょっと先が思いやられますな

    Re: ダメ子さん

    牛というものは昔から神に捧げるものでした。

    ギリシア神話では……(ギリシアかい!(笑))

    大事なのは「儀式」としての「おもてなし」の心で(おもてなしかいっ!(笑))

    NoTitle

    まさか福の神様が焼肉好きだったなんて!
    神様もいつも米で飽きてるんでしょうか?
    とはいえモツまでがつがつ食べるとは…

    Re: 椿さん

    高くなりましたよね……食べ放題系の店が主流になってからは特にそう感じます。

    ビビンバか冷麺に、わかめスープとキムチの小皿、そこにカルビかロースが一皿ついてセットで税込み980円、くらいでいいのですが、そういう店、いまや絶滅状態ですからなあ。とほほ。

    焼肉やりたい(笑)

    NoTitle

    やーーきーーにーーくーー!!
    ハヤシライスと違って焼肉は高いのに! この飯テロは非道です。(ハヤシライスは食べました)
    レバーたっぷりの取材はここに生かされたのですね。
    塚原くんは大変なものをお持ち帰りしてしまったようですが、うまくやっていけるといいですね。
    ……それにつけても焼肉食べたい。
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