映画の感想
「この首一万石」見た
最近、モチベーションが低下する一方である。毎日ろくでもないことを考えながらツイッターにハマり、小説を書く分の想像力をTRPGのシナリオの方に振り向けてゲームマスターにいそしみ、4年目に突入した仕事に疲れを覚えはじめ、友人ともほとんど会わず、さらには睡眠時無呼吸症候群で「重症」とまでいわれてしまう。月末には気晴らしに大阪に旅行に行くのだが、その準備作業だけで半分疲れているようなありさまである。
かねてから見たいと思っていた映画「この首一万石」がNHKプレミアムでかかる、と、相互リンクしていただいているmiriさんに教えてもらい、録画したのが今月の4日であるが、焼いたDVDを実家で取ってきた9日に見るはずだったのが、ちょっと見そびれてしまい、今までずるずるとDVDのままほったらかしであった。
だって、この映画、もう、メチャクチャに暗いストーリーなのである。
「傾向映画」という言葉がある。戦前がユートピアではなかったのは公然の事実であるが(保守反動系の政治家にとってはどうだったかは知らぬ)、そんな中、反骨心を抱く映画人は、おのれの反体制的思想(だいたいは社会主義的な観点に基づくもの)を、映画を使って表現し、社会批判を行おうとした。しかし、当時は社会批判なんかをしたら危険思想として警察に捕まってしまうような時代である。そのまま社会批判をすると発表どころか命まで危ない。そこで彼らはどうしたかというと、「時代劇」を撮ることによって社会批判映画を発表することにしたのである。
その代表的監督のひとりが、この「この首一万石」の原作・脚本・監督をやっている伊藤大輔であった。伊藤いわく「御用提灯なら十や二十ぶった切ったところで検閲にはかかりません」。思想性だけではなく、豊富なエンターテインメント精神にも富んでいた伊藤大輔の映画は、とくにサイレント時代に大当たりした。大河内伝次郎と組んだ作品はその中でも特に名高い。主君に裏切られる下郎の話「下郎」、隻眼隻腕の怪剣士、丹下左膳を主人公にした「新版大岡政談」、庶民のヒーローの代表的人物であった侠客、国定忠次を、従来のスーパーヒーローから離れ、病に侵され手下にも次々と裏切られ、公権力に追いつめられていく悲劇的人物として描いた「忠次旅日記 三部作」などは、戦前サイレント映画だけではなく、日本映画のベストに挙げる人間も多い。惜しむらくは、その戦前作品のフィルムのほとんどが、天災(度重なる映画製作所の火事)と戦災(連合軍の空襲などの大火や戦中の検閲)と人災(ぶっちゃけた話、戦前の映画会社には、「作品を保存しておこう」という発想が根本的に欠けていたのだ。ビデオテープが安くなる前のテレビ局のテープ保管状況を見ていればおわかりだと思う。または現在の、インターネットのソシャゲの文化財的保存の状況がそっくりかも)により、現存していないことだろう。山中貞雄の作品が残っていないことを嘆く人が多いが、伊藤大輔の方が映画史的にはより重要であろう。
さて、前置きが長くなったが、この映画を観た最初の感想が、「伊藤大輔、昭和38年に傾向映画を撮ったのか!」であった。武士道と身分制度の偽善と不公正を徹底的に批判することで、現代社会を批判する、という傾向映画の方法を、この映画でも愚直なまでに変えていないのである。もうなんというか、見事に「伊藤大輔らしい」映画であった。さらにやりきれないことは、この映画で伊藤大輔が批判しているそのメッセージは、2018年の現代にいたっても説得力があるのだ。いや、2018年になって、よりその『危機感』と『怒り』が鮮明に受け取れるようになってきたというか。日本人、全然変わってないのとちゃうか、と、伊藤大輔らしいきっついストーリーと見事な画面を見ながら思ったのだった。(伊藤大輔らしい、というのは、きっつい精神的ダメージを与えるような脚本、戦前から伊藤大輔は書いていたからだ。フィルムが現存していないからここに書くが、戦前のサイレント時代の出世作の「下郎」なんて、仇討ちの旅の途上、見事に仇を討ったものの、トラブルを恐れた主人が、自分に代わって仇を討った当人である忠義者の自分の下郎に手紙を持たせて相手方に赴かせ、「読み書きができないわたくしの代わりにあなたさまにこれを読んでもらいたいと主人にいわれました」「どれどれ見せてみろ。えーと、『この者の命をどうなさってもかまいません。あなた方のお好きになさってください』と書いてあるな」、という、社会の不公正をえぐりにえぐる、救いがないにもほどがあるストーリーである)
そのうえでいうが、伊藤監督の映画は、やはりモノクロでないと味が出ないのではないだろうか。また、間合いも、サイレント映画で弁士がしゃべるというあの感覚から、ちょっと抜け出ていないように感じる。伊藤監督の本領は、やはりモノクロサイレント時代にあると思う。再発見されたあの大傑作「忠次旅日記」の弁士・伴奏つき上映を見た後では、坂田三吉を主人公にした戦後のモノクロ映画「王将」も、この作品も、どこか食い足りないのだ。
だから、誰か早く「忠次旅日記 甲州殺陣編」と「信州血笑編」、それに「新版大岡政談」を発見してくれー! わたしが生きている間に! ついでに「斬人斬馬剣」と「長恨」も! 残存の断片だけであれだけ面白い作品が永遠に失われてしまったなんてうそだー!
……はあはあ。
失礼した。この「この首一万石」は、そうしたハードな脚本と、見事なカメラワークとに支えられた、老監督まだ老いていない、ということを再確認できる見ごたえある時代劇である。大川橋蔵のクライマックスの血まみれの殺陣は、まさに鬼気迫る、という言葉がぴったりくる。あまりにハードで見ごたえがありすぎて、考えすぎてドロドロになるので、これからわたしはノーテンキなカンフーアクション映画の古典的名作「燃えよドラゴン」を見て調整をはかる。傾向映画の唯一の欠点は、「見た後、現実の社会の不条理と不公正に対するもやもや感がいつまでも残る」ことだからなあ……。
かねてから見たいと思っていた映画「この首一万石」がNHKプレミアムでかかる、と、相互リンクしていただいているmiriさんに教えてもらい、録画したのが今月の4日であるが、焼いたDVDを実家で取ってきた9日に見るはずだったのが、ちょっと見そびれてしまい、今までずるずるとDVDのままほったらかしであった。
だって、この映画、もう、メチャクチャに暗いストーリーなのである。
「傾向映画」という言葉がある。戦前がユートピアではなかったのは公然の事実であるが(保守反動系の政治家にとってはどうだったかは知らぬ)、そんな中、反骨心を抱く映画人は、おのれの反体制的思想(だいたいは社会主義的な観点に基づくもの)を、映画を使って表現し、社会批判を行おうとした。しかし、当時は社会批判なんかをしたら危険思想として警察に捕まってしまうような時代である。そのまま社会批判をすると発表どころか命まで危ない。そこで彼らはどうしたかというと、「時代劇」を撮ることによって社会批判映画を発表することにしたのである。
その代表的監督のひとりが、この「この首一万石」の原作・脚本・監督をやっている伊藤大輔であった。伊藤いわく「御用提灯なら十や二十ぶった切ったところで検閲にはかかりません」。思想性だけではなく、豊富なエンターテインメント精神にも富んでいた伊藤大輔の映画は、とくにサイレント時代に大当たりした。大河内伝次郎と組んだ作品はその中でも特に名高い。主君に裏切られる下郎の話「下郎」、隻眼隻腕の怪剣士、丹下左膳を主人公にした「新版大岡政談」、庶民のヒーローの代表的人物であった侠客、国定忠次を、従来のスーパーヒーローから離れ、病に侵され手下にも次々と裏切られ、公権力に追いつめられていく悲劇的人物として描いた「忠次旅日記 三部作」などは、戦前サイレント映画だけではなく、日本映画のベストに挙げる人間も多い。惜しむらくは、その戦前作品のフィルムのほとんどが、天災(度重なる映画製作所の火事)と戦災(連合軍の空襲などの大火や戦中の検閲)と人災(ぶっちゃけた話、戦前の映画会社には、「作品を保存しておこう」という発想が根本的に欠けていたのだ。ビデオテープが安くなる前のテレビ局のテープ保管状況を見ていればおわかりだと思う。または現在の、インターネットのソシャゲの文化財的保存の状況がそっくりかも)により、現存していないことだろう。山中貞雄の作品が残っていないことを嘆く人が多いが、伊藤大輔の方が映画史的にはより重要であろう。
さて、前置きが長くなったが、この映画を観た最初の感想が、「伊藤大輔、昭和38年に傾向映画を撮ったのか!」であった。武士道と身分制度の偽善と不公正を徹底的に批判することで、現代社会を批判する、という傾向映画の方法を、この映画でも愚直なまでに変えていないのである。もうなんというか、見事に「伊藤大輔らしい」映画であった。さらにやりきれないことは、この映画で伊藤大輔が批判しているそのメッセージは、2018年の現代にいたっても説得力があるのだ。いや、2018年になって、よりその『危機感』と『怒り』が鮮明に受け取れるようになってきたというか。日本人、全然変わってないのとちゃうか、と、伊藤大輔らしいきっついストーリーと見事な画面を見ながら思ったのだった。(伊藤大輔らしい、というのは、きっつい精神的ダメージを与えるような脚本、戦前から伊藤大輔は書いていたからだ。フィルムが現存していないからここに書くが、戦前のサイレント時代の出世作の「下郎」なんて、仇討ちの旅の途上、見事に仇を討ったものの、トラブルを恐れた主人が、自分に代わって仇を討った当人である忠義者の自分の下郎に手紙を持たせて相手方に赴かせ、「読み書きができないわたくしの代わりにあなたさまにこれを読んでもらいたいと主人にいわれました」「どれどれ見せてみろ。えーと、『この者の命をどうなさってもかまいません。あなた方のお好きになさってください』と書いてあるな」、という、社会の不公正をえぐりにえぐる、救いがないにもほどがあるストーリーである)
そのうえでいうが、伊藤監督の映画は、やはりモノクロでないと味が出ないのではないだろうか。また、間合いも、サイレント映画で弁士がしゃべるというあの感覚から、ちょっと抜け出ていないように感じる。伊藤監督の本領は、やはりモノクロサイレント時代にあると思う。再発見されたあの大傑作「忠次旅日記」の弁士・伴奏つき上映を見た後では、坂田三吉を主人公にした戦後のモノクロ映画「王将」も、この作品も、どこか食い足りないのだ。
だから、誰か早く「忠次旅日記 甲州殺陣編」と「信州血笑編」、それに「新版大岡政談」を発見してくれー! わたしが生きている間に! ついでに「斬人斬馬剣」と「長恨」も! 残存の断片だけであれだけ面白い作品が永遠に失われてしまったなんてうそだー!
……はあはあ。
失礼した。この「この首一万石」は、そうしたハードな脚本と、見事なカメラワークとに支えられた、老監督まだ老いていない、ということを再確認できる見ごたえある時代劇である。大川橋蔵のクライマックスの血まみれの殺陣は、まさに鬼気迫る、という言葉がぴったりくる。あまりにハードで見ごたえがありすぎて、考えすぎてドロドロになるので、これからわたしはノーテンキなカンフーアクション映画の古典的名作「燃えよドラゴン」を見て調整をはかる。傾向映画の唯一の欠点は、「見た後、現実の社会の不条理と不公正に対するもやもや感がいつまでも残る」ことだからなあ……。
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多くの人に見て頂きたい映画ですね☆
>この「この首一万石」は、そうしたハードな脚本と、見事なカメラワークとに支えられた、老監督まだ老いていない、ということを再確認できる見ごたえある時代劇である。大川橋蔵のクライマックスの血まみれの殺陣は、まさに鬼気迫る、という言葉がぴったりくる。
本当にその通りです。
大川さんのイメージが変わってしまいました。
見た直後にウロウロ歩いたこと、
いつまでも忘れられないと思います。
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本当にその通りです。
大川さんのイメージが変わってしまいました。
見た直後にウロウロ歩いたこと、
いつまでも忘れられないと思います。
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Re: miriさん
ウロウロ歩きたくなる気持ち、わかります。
NHKも光るチョイスでしたなあ……?