「ショートショート」
ファンタジー
戦巫女の決断
とある小さな王国の王都、『塔ノ都』では、祭が盛大に行われていた。クライマックスは明日の武芸大会。王国中の腕に覚えのあるものが集まり、武器の腕を競うのである。
「お姉さま、勝負、がんばって!」
「ありがとう、リリス。必ず勝つわ」
長い黒髪をまとめた長身の娘は、信じきった目を向ける幼い妹に、そういって笑いかけた。二人とも、よく似た目をしていた。妹のリリスも、十年もしたら姉によく似た美貌の持ち主になるだろう。
そんな娘の前に、陰鬱な顔の男がやってきたのはそのときだった。
「お役人様?」
「ああ、貴殿が剣神の戦巫女、マリーヤか。ちと、こちらで話が」
役人はマリーヤに二、三、耳打ちした。
マリーヤの顔が、さっと曇った。厳しい顔でうなずく。
「わかりました。喜んで承ります、武人としての名誉ですとお伝えください」
役人はしばし、マリーヤに頭を下げると、「すまぬ」と呟いて姿を消した。
「お姉さま?」
マリーヤは妹に優しい目を向けた。
「大丈夫よ、あなたはなにも恐れることはないわ。ちょっとだけ、その耳をふさいで、その口を閉じていればいいの」
「いけません!」
知識ではなく知恵があることで諸国に聞こえた大臣のアゼムは、王に向かって諫言した。
「あくまでもこの大会は力と技を見るもの。生死を賭けた真剣勝負などとはもってのほか! これは神に捧げる儀礼であり、帝国で行われている卑しい剣闘士のそれとは違うのですぞ!」
王は顔を苦痛に歪めた。
「わしがそれを知らんと思うのか、アゼム」
重い息を吐く。
「全てはあの帝国の使節、ゲラードの意向なのだ」
「流血卿……」
王国の西に広がる巨大な帝国は、爛熟した文化を誇っていた。爛熟というが腐敗に等しい、とアゼムは常々思っている。皇帝はじめ貴族から平民に至るまで、好みの娯楽は奴隷剣闘士による流血と死。いくら血を飲んでも飽き足らぬ彼らのシンボル的存在が、流血卿と名を取る、ゲラード皇太子なのだった。
「あの男は故国から、傭兵上がりのよからぬ男を連れ帰り、この神聖な試合を乙女の血で汚そうとしておる」
「マリーヤでございますな。剣神アドアに使える戦巫女」
「その思いに気づいたとき、わしがどれほどあのトカゲのような男をわしの国から蹴り出そうと思ったかわかるか。だが、できぬことであった。そのようなことをしたが最後、帝国はわれらと戦争をする大義名分を得ることになる。どれだけ四方に使者を送って兵を募ろうとも、概算した数で十万対二万五千。とても勝てはせん」
アゼムは黙っていたが、やがて平伏した。
「陛下、申し訳ございませぬ。アゼムが愚かでした」
「なにがあろうと国土を戦火に巻き込んではならぬのだ……」
祭はにぎやかで、十歳の子供には刺激的なもので溢れていた。
ほんとうは、武芸大会で「大好きなお姉さま」のかっこいいところを見たいのだが、あいにくと大会は子供は立ち入り禁止なのである。
代わりに、お芝居を見ることができて、リリスは大満足だった。この王国では、先代の国王が無類の芝居好きで、設備や小道具が充実しているのである。
ぶらぶらしていると、あちこちでひそひそと囁かれる言葉が、リリスの耳にも入ってきた。
「戦巫女……気の毒に……真剣勝負……生きちゃいられまい……」
リリスは血相を変えた。
最終戦。
「貴殿か、わたしに対して真剣勝負を挑みし向こう見ずは」
いつも神殿で祝詞をあげるのに使うのと同じ、朗々たる声でマリーヤは相手を侮辱した。その顔は緊張に張り詰めていた。無理もなかった。戦巫女の正式な装備である板金鎧は腰から下しか身につけておらず、上半身は素裸だったのである。垂らされた長い髪が、背中にかかって、どこかエロチックだった。
鎖かたびらを着込んだ相手の戦士は、無表情を崩さなかった。ほんとうは崩して、戦巫女のあられもない姿を鑑賞したかったのかもしれないが、アドアの戦巫女をなめてかかってえらい目に遭った先人のことを思い出しでもしたのだろう、精神を研ぎ澄ませているのが観客にもわかった。
「答えられぬとは、帝国の男とやらも墜ちたものよ。まあいい、わたしはいかなる卑劣な真似も、隠し武器も使わぬ。皇太子殿下も、ごらんになられてよくおわかりと思うが」
一段高い観客席にいた流血卿ゲラードは、目を血走らせて興奮を隠そうともしなかった。彼は真性の嗜虐者であり、この美しい女が血にまみれて斃れるところを見逃すまいとしていた。
マリーヤはひとりで胴丸を身につけ、髪をまとめた。観客席のゲラードは、「ちっ」とつまらなそうに呟いた。
「完全武装をするまでもない。貴殿ひとり、これで充分」
長剣を構えた戦巫女は、はじめて笑みを見せた。
ドラが鳴った。
「はじめいっ!」
なにが起こったのか正確にわかったのは、よほどの武術の達人をのぞけば、マリーヤ本人と相手の戦士本人だけだったろう。
マリーヤは飛鳥のように相手の懐に飛び込むと、鎖の継ぎ目に猛烈な突きを見舞ったのである。
信じられないという顔をしたまま、相手の戦士は腹に束元まで突き立った長剣を見、ゆっくりと斃れた。
信じられないという顔はゲラードも同じだった。
「魔術だ! あの娘、魔術を使ったな!」
錯乱したように叫ぶその声を、誰もまともには取り合わなかった。ゲラードのそばにいた、人格者で鳴る老いた伯爵がやんわりとたしなめた。
「なにを無礼なことを申されるか、皇太子殿下。あれこそ、戦巫女の戦技でありまするぞ」
マリーヤはくるりと振り向き、ゲラードを見すえ、にっこりと笑った。
その瞬間、マリーヤの口から血が吹き出、マリーヤは前のめりに倒れた。
「お姉さま!」
十歳くらいの少女が、観客席を割って飛び出してきたのはそのときである。
悪い予感を覚えて忍び込んだら、予感が当たってしまった。それもこんな形で。
リリスは泣きじゃくりながら、お姉さまの鎧を脱がせていた。倒れた身体でこんな重いものをいつまでも着ていたら、身体が参ってしまうと思ったからだ。
にかわの臭いがする中、リリスは背中から鎧を外した。
大混乱をきたしていた会場が、しんと静まり返った。
マリーヤの背中には、はっきりとした大きな刺し傷があったのである。
会衆の目が、ゲラード皇太子に向けられた。
最初に叫んだのは誰だったか。
「魔術だ! 帝国のやつらが、魔術を使ったぞ!」
会場は、輪をかけての大混乱に陥った。
ゲラードは、国王の近衛兵に守られながら、ほうほうの体でその場を逃げ出した。
『……やってない。おれはなにもやってない。いったいどんな魔術師が、あの娘の背に一撃を浴びせたのだ?』
わからなかった。
「大臣閣下、あの娘を連れてきました」
「ごくろう」
アゼムは、執務の手を止めてゆっくりと振り向いた。そこには、リリスが、不安そうな、それでいて芯の強さを感じさせる瞳をして立っていた。
連れてきた衛兵を下がらせると、アゼムはかがみ込んで、小さく、
「すまん」
といった。
「姉は、死んでしまったんですね」
「すまん」
「それについては、謝ってくれなくていいです、大臣……閣下。でも、ひとこと、お聞かせ願えますか?」
「わたしにできることなら、なんでも答えよう」
「では、お聞かせください。なぜ、姉の鎧から、にかわの臭いがしたんですか?」
アゼムは衝撃を受けたようだった。
「なに……なにをいっているのかな」
「あたし、怖いです。姉には、昔から、気づかなくてもいいことに気づき、しゃべらなくてもいいことをしゃべると注意されていましたが、自分も殺されてしまうかも知れないと思うと、怖いです。でも、聞かなくちゃ心がおさまりません。なぜ、姉は、あそこで肌を見せなければならなかったんですか?」
「君は、なぜだと思うね」
アゼムの声からは、年少者に対する色合いが消えていた。
「あたし、こう思ったんです。みんなが、肌を見せた、といっていたのは、姉は、肌を見せたくなかったからじゃないのかなって」
「続けて」
「傷が、あの勝負の最中につけられたものではないとすると、もっと前につけられたものだと考えるのが理にかなっています。それでは、どうやってそれを秘密に? そこであたしは思い出しました。先代の王様は芝居好きです。とすると、肉襦袢があるかもしれない。肌を見せる場面で、芸人のかたが着ているあの衣服です」
「ほう」
「姉は、傷の上から肉襦袢をはおり、それを目立たなくするために、髪を垂らし、胸を見せたのでしょう。どうしても、そちらに目が行ってしまいますから。襦袢と肌との境い目は、おしろいかなにかで埋めたのでしょうね。あたしがかいだにかわの臭いは、あの帝国人に気づかれないように襦袢を背からはぎとるため、鎧の背中側に塗られていたんでしょう。うまく襦袢がくっつけば、鎧を外したときに、くっついていっしょにはがれますので」
「なるほど」
「お願いします、お教えください、大臣閣下。姉を刺したほんとうの下手人は、誰ですか! その人に、なぜそんなことをやったのかを聞くまでは、あたし、あたし……」
アゼムは重々しくいった。
「泣くのではない。ちゃんと教えてやろう。その理由も。なぜなら、刺したのは、このわたしなのだから」
リリスは衝撃を受けたように、よろっとよろけた。
「大丈夫かね?」
「……はい。大丈夫です。大臣閣下」
「君にもわかるとは思うが、一切口外無用だぞ。この無法な勝負が、あの流血卿のさしがねだということはわかるな」
流血卿は客人である。である以上、なんらかの形で手出しをしたら、帝国との戦争は避けられない。また、大会に参加した帝国の戦士を、真剣勝負とはいえ殺してしまったら、帝国との戦争は近づくだろう。そうでなくとも、殺したマリーヤはなんらかの形で帝国に連れて行かれ、死よりもおぞましい運命に遭わされかねない。
「わたしは、マリーヤを救おうとしたのだ。勝負の前に出場者が傷ついたら、帝国の戦士の不戦勝として話をまとめることができる。しかも勝負は、大会の最終戦だからな。わたしは、訓令を与えるという名目でマリーヤを呼び出し、隙を見て、背中を突いた」
「なぜ、姉にその旨を話さなかったのですか」
「誇り高いアドアの戦巫女が、そんな話に乗るわけがないだろう。続けよう。わたしは突いたが、下手糞だった。また、マリーヤもとっさに身をかわしたが、それが災いした。わたしは軽い傷を負わせようとしたのだが、マリーヤにとっての致命傷となってしまったのだ」
「……この企みを考えたのは大臣閣下ですか」
「マリーヤだ。あの戦巫女は、戦巫女なんかにしておくのは惜しい娘だった。男なら帝国の宰相にもなれただろう。彼女の考えで、極秘のうちににかわと肉襦袢が持ってこられた。使い走りをしてくれたのが、さっき君も遭った、あの衛兵だよ」
アゼムは苦悩に顔をしかめた。
「マリーヤの企みを聞き、わたしはこれが、帝国に対する恩を売るのにいい機会だということに気づいた。マリーヤもそのつもりだったろう。魔術をかけた疑いを抱かれた帝国の公人を、王国が必死でかばって、無事に帝国に送り届けるのだ。むろん、あの流血卿が魔術を使ったという状況証拠を作っておくことも忘れないがな。帝国は、めんどうな問題を蒸し返すのを恐れて、当分われわれのもとには手を出して来るまい」
「そのためにお姉さまは」
「……そうだ。これが、汚い国と国のだまし合いの裏舞台だ。君にわたしができることは、ひとつだけだ……」
アゼムは頭を下げた。
「すまん」
リリスはなにかを考えているようだった。
三十年後、諸王国は帝国の侵略に直面した。このとき、剣神アドアを奉ずる神官戦士団を率いたひとりの女神官が、卓越した指揮と作戦により、諸王国連合軍に数倍する帝国軍を堂々の野戦で撃破することになる。
帝国没落の転換点ともなったこの戦いの主役ともいえる女神官について、詳しい記録は一切残っていない。リリスという名を除いては。
「お姉さま、勝負、がんばって!」
「ありがとう、リリス。必ず勝つわ」
長い黒髪をまとめた長身の娘は、信じきった目を向ける幼い妹に、そういって笑いかけた。二人とも、よく似た目をしていた。妹のリリスも、十年もしたら姉によく似た美貌の持ち主になるだろう。
そんな娘の前に、陰鬱な顔の男がやってきたのはそのときだった。
「お役人様?」
「ああ、貴殿が剣神の戦巫女、マリーヤか。ちと、こちらで話が」
役人はマリーヤに二、三、耳打ちした。
マリーヤの顔が、さっと曇った。厳しい顔でうなずく。
「わかりました。喜んで承ります、武人としての名誉ですとお伝えください」
役人はしばし、マリーヤに頭を下げると、「すまぬ」と呟いて姿を消した。
「お姉さま?」
マリーヤは妹に優しい目を向けた。
「大丈夫よ、あなたはなにも恐れることはないわ。ちょっとだけ、その耳をふさいで、その口を閉じていればいいの」
「いけません!」
知識ではなく知恵があることで諸国に聞こえた大臣のアゼムは、王に向かって諫言した。
「あくまでもこの大会は力と技を見るもの。生死を賭けた真剣勝負などとはもってのほか! これは神に捧げる儀礼であり、帝国で行われている卑しい剣闘士のそれとは違うのですぞ!」
王は顔を苦痛に歪めた。
「わしがそれを知らんと思うのか、アゼム」
重い息を吐く。
「全てはあの帝国の使節、ゲラードの意向なのだ」
「流血卿……」
王国の西に広がる巨大な帝国は、爛熟した文化を誇っていた。爛熟というが腐敗に等しい、とアゼムは常々思っている。皇帝はじめ貴族から平民に至るまで、好みの娯楽は奴隷剣闘士による流血と死。いくら血を飲んでも飽き足らぬ彼らのシンボル的存在が、流血卿と名を取る、ゲラード皇太子なのだった。
「あの男は故国から、傭兵上がりのよからぬ男を連れ帰り、この神聖な試合を乙女の血で汚そうとしておる」
「マリーヤでございますな。剣神アドアに使える戦巫女」
「その思いに気づいたとき、わしがどれほどあのトカゲのような男をわしの国から蹴り出そうと思ったかわかるか。だが、できぬことであった。そのようなことをしたが最後、帝国はわれらと戦争をする大義名分を得ることになる。どれだけ四方に使者を送って兵を募ろうとも、概算した数で十万対二万五千。とても勝てはせん」
アゼムは黙っていたが、やがて平伏した。
「陛下、申し訳ございませぬ。アゼムが愚かでした」
「なにがあろうと国土を戦火に巻き込んではならぬのだ……」
祭はにぎやかで、十歳の子供には刺激的なもので溢れていた。
ほんとうは、武芸大会で「大好きなお姉さま」のかっこいいところを見たいのだが、あいにくと大会は子供は立ち入り禁止なのである。
代わりに、お芝居を見ることができて、リリスは大満足だった。この王国では、先代の国王が無類の芝居好きで、設備や小道具が充実しているのである。
ぶらぶらしていると、あちこちでひそひそと囁かれる言葉が、リリスの耳にも入ってきた。
「戦巫女……気の毒に……真剣勝負……生きちゃいられまい……」
リリスは血相を変えた。
最終戦。
「貴殿か、わたしに対して真剣勝負を挑みし向こう見ずは」
いつも神殿で祝詞をあげるのに使うのと同じ、朗々たる声でマリーヤは相手を侮辱した。その顔は緊張に張り詰めていた。無理もなかった。戦巫女の正式な装備である板金鎧は腰から下しか身につけておらず、上半身は素裸だったのである。垂らされた長い髪が、背中にかかって、どこかエロチックだった。
鎖かたびらを着込んだ相手の戦士は、無表情を崩さなかった。ほんとうは崩して、戦巫女のあられもない姿を鑑賞したかったのかもしれないが、アドアの戦巫女をなめてかかってえらい目に遭った先人のことを思い出しでもしたのだろう、精神を研ぎ澄ませているのが観客にもわかった。
「答えられぬとは、帝国の男とやらも墜ちたものよ。まあいい、わたしはいかなる卑劣な真似も、隠し武器も使わぬ。皇太子殿下も、ごらんになられてよくおわかりと思うが」
一段高い観客席にいた流血卿ゲラードは、目を血走らせて興奮を隠そうともしなかった。彼は真性の嗜虐者であり、この美しい女が血にまみれて斃れるところを見逃すまいとしていた。
マリーヤはひとりで胴丸を身につけ、髪をまとめた。観客席のゲラードは、「ちっ」とつまらなそうに呟いた。
「完全武装をするまでもない。貴殿ひとり、これで充分」
長剣を構えた戦巫女は、はじめて笑みを見せた。
ドラが鳴った。
「はじめいっ!」
なにが起こったのか正確にわかったのは、よほどの武術の達人をのぞけば、マリーヤ本人と相手の戦士本人だけだったろう。
マリーヤは飛鳥のように相手の懐に飛び込むと、鎖の継ぎ目に猛烈な突きを見舞ったのである。
信じられないという顔をしたまま、相手の戦士は腹に束元まで突き立った長剣を見、ゆっくりと斃れた。
信じられないという顔はゲラードも同じだった。
「魔術だ! あの娘、魔術を使ったな!」
錯乱したように叫ぶその声を、誰もまともには取り合わなかった。ゲラードのそばにいた、人格者で鳴る老いた伯爵がやんわりとたしなめた。
「なにを無礼なことを申されるか、皇太子殿下。あれこそ、戦巫女の戦技でありまするぞ」
マリーヤはくるりと振り向き、ゲラードを見すえ、にっこりと笑った。
その瞬間、マリーヤの口から血が吹き出、マリーヤは前のめりに倒れた。
「お姉さま!」
十歳くらいの少女が、観客席を割って飛び出してきたのはそのときである。
悪い予感を覚えて忍び込んだら、予感が当たってしまった。それもこんな形で。
リリスは泣きじゃくりながら、お姉さまの鎧を脱がせていた。倒れた身体でこんな重いものをいつまでも着ていたら、身体が参ってしまうと思ったからだ。
にかわの臭いがする中、リリスは背中から鎧を外した。
大混乱をきたしていた会場が、しんと静まり返った。
マリーヤの背中には、はっきりとした大きな刺し傷があったのである。
会衆の目が、ゲラード皇太子に向けられた。
最初に叫んだのは誰だったか。
「魔術だ! 帝国のやつらが、魔術を使ったぞ!」
会場は、輪をかけての大混乱に陥った。
ゲラードは、国王の近衛兵に守られながら、ほうほうの体でその場を逃げ出した。
『……やってない。おれはなにもやってない。いったいどんな魔術師が、あの娘の背に一撃を浴びせたのだ?』
わからなかった。
「大臣閣下、あの娘を連れてきました」
「ごくろう」
アゼムは、執務の手を止めてゆっくりと振り向いた。そこには、リリスが、不安そうな、それでいて芯の強さを感じさせる瞳をして立っていた。
連れてきた衛兵を下がらせると、アゼムはかがみ込んで、小さく、
「すまん」
といった。
「姉は、死んでしまったんですね」
「すまん」
「それについては、謝ってくれなくていいです、大臣……閣下。でも、ひとこと、お聞かせ願えますか?」
「わたしにできることなら、なんでも答えよう」
「では、お聞かせください。なぜ、姉の鎧から、にかわの臭いがしたんですか?」
アゼムは衝撃を受けたようだった。
「なに……なにをいっているのかな」
「あたし、怖いです。姉には、昔から、気づかなくてもいいことに気づき、しゃべらなくてもいいことをしゃべると注意されていましたが、自分も殺されてしまうかも知れないと思うと、怖いです。でも、聞かなくちゃ心がおさまりません。なぜ、姉は、あそこで肌を見せなければならなかったんですか?」
「君は、なぜだと思うね」
アゼムの声からは、年少者に対する色合いが消えていた。
「あたし、こう思ったんです。みんなが、肌を見せた、といっていたのは、姉は、肌を見せたくなかったからじゃないのかなって」
「続けて」
「傷が、あの勝負の最中につけられたものではないとすると、もっと前につけられたものだと考えるのが理にかなっています。それでは、どうやってそれを秘密に? そこであたしは思い出しました。先代の王様は芝居好きです。とすると、肉襦袢があるかもしれない。肌を見せる場面で、芸人のかたが着ているあの衣服です」
「ほう」
「姉は、傷の上から肉襦袢をはおり、それを目立たなくするために、髪を垂らし、胸を見せたのでしょう。どうしても、そちらに目が行ってしまいますから。襦袢と肌との境い目は、おしろいかなにかで埋めたのでしょうね。あたしがかいだにかわの臭いは、あの帝国人に気づかれないように襦袢を背からはぎとるため、鎧の背中側に塗られていたんでしょう。うまく襦袢がくっつけば、鎧を外したときに、くっついていっしょにはがれますので」
「なるほど」
「お願いします、お教えください、大臣閣下。姉を刺したほんとうの下手人は、誰ですか! その人に、なぜそんなことをやったのかを聞くまでは、あたし、あたし……」
アゼムは重々しくいった。
「泣くのではない。ちゃんと教えてやろう。その理由も。なぜなら、刺したのは、このわたしなのだから」
リリスは衝撃を受けたように、よろっとよろけた。
「大丈夫かね?」
「……はい。大丈夫です。大臣閣下」
「君にもわかるとは思うが、一切口外無用だぞ。この無法な勝負が、あの流血卿のさしがねだということはわかるな」
流血卿は客人である。である以上、なんらかの形で手出しをしたら、帝国との戦争は避けられない。また、大会に参加した帝国の戦士を、真剣勝負とはいえ殺してしまったら、帝国との戦争は近づくだろう。そうでなくとも、殺したマリーヤはなんらかの形で帝国に連れて行かれ、死よりもおぞましい運命に遭わされかねない。
「わたしは、マリーヤを救おうとしたのだ。勝負の前に出場者が傷ついたら、帝国の戦士の不戦勝として話をまとめることができる。しかも勝負は、大会の最終戦だからな。わたしは、訓令を与えるという名目でマリーヤを呼び出し、隙を見て、背中を突いた」
「なぜ、姉にその旨を話さなかったのですか」
「誇り高いアドアの戦巫女が、そんな話に乗るわけがないだろう。続けよう。わたしは突いたが、下手糞だった。また、マリーヤもとっさに身をかわしたが、それが災いした。わたしは軽い傷を負わせようとしたのだが、マリーヤにとっての致命傷となってしまったのだ」
「……この企みを考えたのは大臣閣下ですか」
「マリーヤだ。あの戦巫女は、戦巫女なんかにしておくのは惜しい娘だった。男なら帝国の宰相にもなれただろう。彼女の考えで、極秘のうちににかわと肉襦袢が持ってこられた。使い走りをしてくれたのが、さっき君も遭った、あの衛兵だよ」
アゼムは苦悩に顔をしかめた。
「マリーヤの企みを聞き、わたしはこれが、帝国に対する恩を売るのにいい機会だということに気づいた。マリーヤもそのつもりだったろう。魔術をかけた疑いを抱かれた帝国の公人を、王国が必死でかばって、無事に帝国に送り届けるのだ。むろん、あの流血卿が魔術を使ったという状況証拠を作っておくことも忘れないがな。帝国は、めんどうな問題を蒸し返すのを恐れて、当分われわれのもとには手を出して来るまい」
「そのためにお姉さまは」
「……そうだ。これが、汚い国と国のだまし合いの裏舞台だ。君にわたしができることは、ひとつだけだ……」
アゼムは頭を下げた。
「すまん」
リリスはなにかを考えているようだった。
三十年後、諸王国は帝国の侵略に直面した。このとき、剣神アドアを奉ずる神官戦士団を率いたひとりの女神官が、卓越した指揮と作戦により、諸王国連合軍に数倍する帝国軍を堂々の野戦で撃破することになる。
帝国没落の転換点ともなったこの戦いの主役ともいえる女神官について、詳しい記録は一切残っていない。リリスという名を除いては。
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