哲学者になれなかった男の語る哲学夜話
スピノザという男の浮世離れのこと
スピノザ。17世紀オランダを代表する哲学者のひとりで、まあ、天才、である。しかし、この男の評判を同時代の人に聞いたら、「こんな哲学がオランダを代表するなんて思われたらオランダの恥だからやめてくれ」と、上は政府要人、知識人、教会、民衆、老若男女問わず異口同音にそう答えるだろう。
17世紀オランダ国民のそういう意見の原因となった書物、「神学・政治論」についてちょっとお話ししたい。
当時、オランダは、深刻な内部分裂の危険にさらされていた。世はまさに絶対王政花盛り。君主国がヘゲモニーを競っていたころである。そんな中、オランダは「無総督時代」を迎えていた。強力なリーダーを置かず、共和制の理念に沿って政治をやっていたのである。
オランダ共和国が無力であったわけではない。独立と、自由を謳歌していた。貿易により金はじゃんじゃん入ってくる。だが、金が入ってきたところで、国民の絶対数が少ないオランダは、その資金を対外的な威信に変える方法がなかなか見いだせなかった。
貴族共和制なので、内部調整に時間が取られることになる。その決定スピードが絶対君主制のそれに比して劣るのは当然であろう。対応が遅れる → 政府の威信が落ちる → 民衆の支持が離れる → 政府が弱体化する → 対応が遅れる という地獄のスパイラルに見舞われていた共和国内で、民衆はすっかり共和国政府に愛想をつかし、軍事面のリーダーとして名高かった総督を担ぎ、君主政にせよ、というのが民衆の多数派の意見だった。その裏には、もちろん、伝統的なスコラ哲学を支持するカルヴァン派の教会がついているわけである。安倍なんとかみたいな強いリーダーを求める、まことにわかりやすい反応である。
対して、知識人と財界人は、共和国の現在の政府を支持していた。知識人、すなわちデカルト主義者の哲学者たちである。君主の意向ひとつで莫大な儲けを根こそぎ奪われかねない君主制より、法律をきちんと守っていればある程度の財産の安全は保障される共和制のほうがマシだ、という考え方だ。それは自由と理性を重んずるデカルト主義の思想とも合っていたわけである。
オランダ共和国政府は、そのいまにもはじけそうな爆弾の上で、政権を運営するというアクロバティックなことをやっていたわけである。そのころまでに、爆弾はすでにいくつもが破裂していた。そのもっとも象徴的な例は、「神学・政治論」出版の二年後である1672年に起こった、ヤン・デ・ウィット兄弟惨殺事件である。この人が何をしていたかというと、国政のトップ。今でいう総理大臣クラスを務めていた人物なのだ。そんなVIPが、白昼の路上で民衆によってリンチされて殺されたのである。この事件はスピノザを激怒させ、弾劾文のビラを貼りに行こうとしたところを下宿の主人に命がけで止められた、という逸話が伝わっている。もし貼っていたら、その日のうちにスピノザはリンチされ、その命はデ・ウィット兄弟とともにアムステルダムの路上で散っていたはずだ。後代のわれわれがスピノザの主著「エチカ」をこうして読めるのも、この下宿屋の主人のおかげであろう。
話を「神学・政治論」に戻す。共和国政府と、それに味方する「不届きで不敬虔な」デカルト主義者を攻撃するため、教会は哲学的な論争、という手段を取った。そのやりかたはこうである。「デカルト哲学は理性を啓示宗教より上位に置いている。これは不敬虔であり、神の教えに逆らうものである」。17世紀当時、教会に逆らうことは、そのまま民衆からそっぽを向かれるどころか、民衆の反乱によって政権が転覆させられても文句が言えない、というような状況である。それは、この支持母体が盤石と言えないオランダ共和国政府にとっては恐るべき危機であった。
デカルト主義者も、黙って指をくわえていたわけではない。「真理は真理に矛盾しない」。彼らのスローガンがこれであった。哲学は真理を説き、神学も真理を説く。どちらも真理なんだから、哲学の真理が神学の真理と矛盾するはずがないではないか。だから、デカルト哲学を説くことは、決して不敬虔などではない。
まことにもっともな理屈である。それですめばよかったのだが、それですまなかったのだ。考えてみればわかるが、この論理には大きな欠陥があったのである。
聖書には、普通に読むと意味の通らなかったり、常識では理解不能な点が出てくる。それをどうするのか。デカルト主義者は、それは、聖書の中における比喩表現なんだ、そう思って読むべきだ、と答える。では聖餐式で血がワインに、肉がパンになるのは比喩か。そうでしょうね。ではイエスが復活して天に昇ったのは比喩か。いえそれは真理で。では聖餐式が比喩でイエスの復活が比喩でないのはなぜだ。
要するに、聖書を比喩的に解釈するうえで、「基準」が何も存在しないのだ。そこから、聖書に書かれていることはすべて比喩ないしは神話で、理性がすべてを決定する、という意見が出てくるのはすぐだ。しまいには、クールバッハという男が、聖書に書かれているのはすべて嘘か作り話であり、正しいのは理性のみである、という本を書いて逮捕され、獄死する、というスキャンダルまで出てくる始末。哲学論争ならそれでもいいが、そんな跳ね上がりが出てきたことに民衆は激怒、いまにも反乱を起こして政府を転覆させ、キリスト教の支配する正しい世の中にしよう、と考える結果に。
国は内乱の危険をはらみ、平和なはずのオランダ共和国は危機にさらされていた。
ここにおいて、デカルト主義者の思想を支える黒幕の一人、と教会から危険視されていたスピノザが、ついに動く。共和国政府と、その自由な世界を愛し、信じ、理想としていたこの男にとって、その目的はただ一つ、スコラ哲学に代表されるキリスト教と、最新鋭のデカルト哲学とを和解させ、言論の自由を国家に取り戻し、この危機に陥った共和国政府の威信を回復させ、再び平和を取り戻すことである。半ばまで書き進めていた主著「エチカ」の執筆を放り出し、自分の慣れている幾何学的な著述法を捨て、スピノザは猛烈な勢いで原稿を書いていく。
1670年、「神学・政治論」、匿名で出版!
デカルト主義者は、名著『デカルトの哲学原理』を書いたこの天才が、キリスト教の真理のもとで、哲学者が哲学する自由を論証してくれるものと確信し、読んだ。
「聖書は真理など教えていない」おお! 「だからこそ聖書は神聖だ」え?
「予言者は無知だった」おお! 「だから信じるに値する」なんやと?
「宗教は真理ではないが万人が受け入れる義務がある」???
デカルト主義者は混乱し、同時にキリスト教徒でもあった彼らは「この本はヤバい」ということに気づき、その総力を挙げて、徹底してこの本の排撃にかかった。
賢明な読者諸君には、スピノザがなにをしでかしてしまったのかもうおわかりであろう。このバカ浮世離れした男は、全オランダ国民が望んでいた「宗教のもとで自由に哲学をするにはどうしたらいいか」を説く書物の代わりに、「哲学のもとで自由に宗教をするにはどうしたらいいか」という本を書き上げ、天才ならではの明晰な論理でもってその主張を証明しきってしまったのである!
スピノザには、そういうところがあるのだ。彼は、基本的に、「なんでもかんでも許して受け入れる」思想家である。問題は、「許してほしいなどとはかけらも思っていない存在」まで無差別に「許してしまう」男だということに尽きる。
「神学・政治論」におけるスピノザの主張は、すなわち「あなたが抱いている宗教であるカルヴァン派の信仰は、真理とは全く無縁で、毒にも薬にもならない代物ですが、まったくの毒である『迷信』よりはマシですので、国家の法律に背かない限りは、なにをやってもいいですよ。それに、『迷信』よりはマシな宗教ならば、カトリックとかルター派とかユダヤ教とかイスラム教とかほかにもいっぱいありますから、どれを選んでもけっこうですよ」というものである。「言論の自由」はそこから帰結として必然的に引き出されてくるわけだ。スピノザは、この思想でもって、国家のわだかまりであった『宗教』問題を解決し、国民を和解に導けると本気で考えていたようなのである。
もっとわかりやすくいえば、「あなたの命の次に大事なそれは、『無用の用』として役に立つので大事にしてくださいね」とでもいおうか。命の次に大事なものを『無用』呼ばわりされれば、普通の人間は怒る。しかも、スピノザは、自分がこれまでの哲学的思索にによって決定論と汎神論という『真理』に到達していることを疑いもしていないので、ある意味「上から目線で」「悪気なく」それをいうのだ。
オランダ共和国政府は、『神学・政治論』を「前代未聞の悪質かつ冒涜的な書物」として発禁、売買停止処分にし、スピノザの名前は、「無神論者の大王」として、オランダのみならずヨーロッパじゅうを駆け巡ってしまったのであった。
本人はショックであったらしい。いや、スピノザ先生、あのね……。
オランダ共和国政府は1672年に始まった第三次英蘭戦争により、戦うためにはどうしても統一された君主制にせざるを得ない状況になり、無総督時代は終わりを告げる。それはスピノザの愛したオランダ共和国の終焉でもあった。共和国自体は1795年まで続くが、スピノザの理想とした時代は過ぎ去ってしまったのである。1677年、スピノザは病没する。享年44歳。ある哲学史の本を読んだら『世界史上におけるもっとも過激な思想家』だってさ……。
17世紀オランダ国民のそういう意見の原因となった書物、「神学・政治論」についてちょっとお話ししたい。
当時、オランダは、深刻な内部分裂の危険にさらされていた。世はまさに絶対王政花盛り。君主国がヘゲモニーを競っていたころである。そんな中、オランダは「無総督時代」を迎えていた。強力なリーダーを置かず、共和制の理念に沿って政治をやっていたのである。
オランダ共和国が無力であったわけではない。独立と、自由を謳歌していた。貿易により金はじゃんじゃん入ってくる。だが、金が入ってきたところで、国民の絶対数が少ないオランダは、その資金を対外的な威信に変える方法がなかなか見いだせなかった。
貴族共和制なので、内部調整に時間が取られることになる。その決定スピードが絶対君主制のそれに比して劣るのは当然であろう。対応が遅れる → 政府の威信が落ちる → 民衆の支持が離れる → 政府が弱体化する → 対応が遅れる という地獄のスパイラルに見舞われていた共和国内で、民衆はすっかり共和国政府に愛想をつかし、軍事面のリーダーとして名高かった総督を担ぎ、君主政にせよ、というのが民衆の多数派の意見だった。その裏には、もちろん、伝統的なスコラ哲学を支持するカルヴァン派の教会がついているわけである。安倍なんとかみたいな強いリーダーを求める、まことにわかりやすい反応である。
対して、知識人と財界人は、共和国の現在の政府を支持していた。知識人、すなわちデカルト主義者の哲学者たちである。君主の意向ひとつで莫大な儲けを根こそぎ奪われかねない君主制より、法律をきちんと守っていればある程度の財産の安全は保障される共和制のほうがマシだ、という考え方だ。それは自由と理性を重んずるデカルト主義の思想とも合っていたわけである。
オランダ共和国政府は、そのいまにもはじけそうな爆弾の上で、政権を運営するというアクロバティックなことをやっていたわけである。そのころまでに、爆弾はすでにいくつもが破裂していた。そのもっとも象徴的な例は、「神学・政治論」出版の二年後である1672年に起こった、ヤン・デ・ウィット兄弟惨殺事件である。この人が何をしていたかというと、国政のトップ。今でいう総理大臣クラスを務めていた人物なのだ。そんなVIPが、白昼の路上で民衆によってリンチされて殺されたのである。この事件はスピノザを激怒させ、弾劾文のビラを貼りに行こうとしたところを下宿の主人に命がけで止められた、という逸話が伝わっている。もし貼っていたら、その日のうちにスピノザはリンチされ、その命はデ・ウィット兄弟とともにアムステルダムの路上で散っていたはずだ。後代のわれわれがスピノザの主著「エチカ」をこうして読めるのも、この下宿屋の主人のおかげであろう。
話を「神学・政治論」に戻す。共和国政府と、それに味方する「不届きで不敬虔な」デカルト主義者を攻撃するため、教会は哲学的な論争、という手段を取った。そのやりかたはこうである。「デカルト哲学は理性を啓示宗教より上位に置いている。これは不敬虔であり、神の教えに逆らうものである」。17世紀当時、教会に逆らうことは、そのまま民衆からそっぽを向かれるどころか、民衆の反乱によって政権が転覆させられても文句が言えない、というような状況である。それは、この支持母体が盤石と言えないオランダ共和国政府にとっては恐るべき危機であった。
デカルト主義者も、黙って指をくわえていたわけではない。「真理は真理に矛盾しない」。彼らのスローガンがこれであった。哲学は真理を説き、神学も真理を説く。どちらも真理なんだから、哲学の真理が神学の真理と矛盾するはずがないではないか。だから、デカルト哲学を説くことは、決して不敬虔などではない。
まことにもっともな理屈である。それですめばよかったのだが、それですまなかったのだ。考えてみればわかるが、この論理には大きな欠陥があったのである。
聖書には、普通に読むと意味の通らなかったり、常識では理解不能な点が出てくる。それをどうするのか。デカルト主義者は、それは、聖書の中における比喩表現なんだ、そう思って読むべきだ、と答える。では聖餐式で血がワインに、肉がパンになるのは比喩か。そうでしょうね。ではイエスが復活して天に昇ったのは比喩か。いえそれは真理で。では聖餐式が比喩でイエスの復活が比喩でないのはなぜだ。
要するに、聖書を比喩的に解釈するうえで、「基準」が何も存在しないのだ。そこから、聖書に書かれていることはすべて比喩ないしは神話で、理性がすべてを決定する、という意見が出てくるのはすぐだ。しまいには、クールバッハという男が、聖書に書かれているのはすべて嘘か作り話であり、正しいのは理性のみである、という本を書いて逮捕され、獄死する、というスキャンダルまで出てくる始末。哲学論争ならそれでもいいが、そんな跳ね上がりが出てきたことに民衆は激怒、いまにも反乱を起こして政府を転覆させ、キリスト教の支配する正しい世の中にしよう、と考える結果に。
国は内乱の危険をはらみ、平和なはずのオランダ共和国は危機にさらされていた。
ここにおいて、デカルト主義者の思想を支える黒幕の一人、と教会から危険視されていたスピノザが、ついに動く。共和国政府と、その自由な世界を愛し、信じ、理想としていたこの男にとって、その目的はただ一つ、スコラ哲学に代表されるキリスト教と、最新鋭のデカルト哲学とを和解させ、言論の自由を国家に取り戻し、この危機に陥った共和国政府の威信を回復させ、再び平和を取り戻すことである。半ばまで書き進めていた主著「エチカ」の執筆を放り出し、自分の慣れている幾何学的な著述法を捨て、スピノザは猛烈な勢いで原稿を書いていく。
1670年、「神学・政治論」、匿名で出版!
デカルト主義者は、名著『デカルトの哲学原理』を書いたこの天才が、キリスト教の真理のもとで、哲学者が哲学する自由を論証してくれるものと確信し、読んだ。
「聖書は真理など教えていない」おお! 「だからこそ聖書は神聖だ」え?
「予言者は無知だった」おお! 「だから信じるに値する」なんやと?
「宗教は真理ではないが万人が受け入れる義務がある」???
デカルト主義者は混乱し、同時にキリスト教徒でもあった彼らは「この本はヤバい」ということに気づき、その総力を挙げて、徹底してこの本の排撃にかかった。
賢明な読者諸君には、スピノザがなにをしでかしてしまったのかもうおわかりであろう。この
スピノザには、そういうところがあるのだ。彼は、基本的に、「なんでもかんでも許して受け入れる」思想家である。問題は、「許してほしいなどとはかけらも思っていない存在」まで無差別に「許してしまう」男だということに尽きる。
「神学・政治論」におけるスピノザの主張は、すなわち「あなたが抱いている宗教であるカルヴァン派の信仰は、真理とは全く無縁で、毒にも薬にもならない代物ですが、まったくの毒である『迷信』よりはマシですので、国家の法律に背かない限りは、なにをやってもいいですよ。それに、『迷信』よりはマシな宗教ならば、カトリックとかルター派とかユダヤ教とかイスラム教とかほかにもいっぱいありますから、どれを選んでもけっこうですよ」というものである。「言論の自由」はそこから帰結として必然的に引き出されてくるわけだ。スピノザは、この思想でもって、国家のわだかまりであった『宗教』問題を解決し、国民を和解に導けると本気で考えていたようなのである。
もっとわかりやすくいえば、「あなたの命の次に大事なそれは、『無用の用』として役に立つので大事にしてくださいね」とでもいおうか。命の次に大事なものを『無用』呼ばわりされれば、普通の人間は怒る。しかも、スピノザは、自分がこれまでの哲学的思索にによって決定論と汎神論という『真理』に到達していることを疑いもしていないので、ある意味「上から目線で」「悪気なく」それをいうのだ。
オランダ共和国政府は、『神学・政治論』を「前代未聞の悪質かつ冒涜的な書物」として発禁、売買停止処分にし、スピノザの名前は、「無神論者の大王」として、オランダのみならずヨーロッパじゅうを駆け巡ってしまったのであった。
本人はショックであったらしい。いや、スピノザ先生、あのね……。
オランダ共和国政府は1672年に始まった第三次英蘭戦争により、戦うためにはどうしても統一された君主制にせざるを得ない状況になり、無総督時代は終わりを告げる。それはスピノザの愛したオランダ共和国の終焉でもあった。共和国自体は1795年まで続くが、スピノザの理想とした時代は過ぎ去ってしまったのである。1677年、スピノザは病没する。享年44歳。ある哲学史の本を読んだら『世界史上におけるもっとも過激な思想家』だってさ……。
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スピノザ、名前は知っていましたが、そういう人だったのですね(^^;
いくらプロテスタントの国でも、17世紀にそれは受け入れられないだろうなあ……。
本人は自分の言っていることが同時代の人の意識とどれだけかけ離れているのかわからなかったのですね。理性をもって考えれば当然に理解してもらえると思っていたのかな。
今では当たり前の考えが、当たり前になるまでにはいろいろなことがあったのですよね。
いくらプロテスタントの国でも、17世紀にそれは受け入れられないだろうなあ……。
本人は自分の言っていることが同時代の人の意識とどれだけかけ離れているのかわからなかったのですね。理性をもって考えれば当然に理解してもらえると思っていたのかな。
今では当たり前の考えが、当たり前になるまでにはいろいろなことがあったのですよね。
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Re: 椿さん
たしかに、「信教の自由」を完全に認めたら、問題は解決しますな、いちおう。それでも問題が解決しないことは、現代の中東とかアメリカ南部の「原理主義者」たちの動きを見てればわかるはずで、スピノザのシンパであるわたしは、「なんでそんな無用の争いを……」って思っちゃいますねえ。400年近く経っても、まだ時代がスピノザに追いついてこないというか。
とにかく、スピノザといったら、近世ヨーロッパでは、忌み嫌われ度合いではいまのニーチェやマルクスが束になってもかなわないほどに忌み嫌われていた哲学者なので、まあ、そういうところのある人なんでしょうなあ。「神に酔える人」としての存在を再発見したうちのひとりがヘーゲルですが、それを考えると、19世紀というのは、やはり自由な考えができる世の中だったんですなあ……。