「ショートショート」
SF
破局まで十五分
「最初はどうなることかと思ったが、なんとかなるもんだな」
おれは礼服の襟を直しながらつぶやいた。ホールでは、おれには発音できない名前の無数のアウリゲル人たちと、無数の政府高官、学識者たちとが、なごやかに会話を楽しんでいた。
国際どころか、人類史上初の星間規模の外交交渉という仕事をやり遂げた一等書記官というものにとって、パーティに参加できるのは無上の光栄であり、自分の作り上げた芸術作品の最後の一ピースが埋まるのをしみじみと感じるといった意味でも無上の幸福なのである。
おれは時計を確認した。パーティ開始の正午まではもうすぐである。
あたりを見回していると、懐かしい顔を見かけた。おれはそちらへ足を向け、手を差し出した。
「フカサクじゃないか。高校以来だな! 名簿、見逃していたかな」
疎遠にしていた友だちを見つけるのは嬉しいことである。
「ギルバートか……いや、いまのぼくは、ヤブノコウジだ。ぼくの国じゃ、婿養子に入ると、男は姓が変わるんだ。めんどくさいが、しかたがない」
フカサク、いや、ヤブノコウジはそういうと、おれの手を握り返した。
「ヤブノコウジだろうとなんだろうといいよ」おれは名簿を思いだした。「そうか、ケンブリッジの哲学教授だったな。妙な名前だったから覚えていたんだ。専門は何だい?」
「ウィトゲンシュタイン……20世紀前半の哲学者さ」
フカサクは浮かない顔をしていた。こんなめでたい日なのに。
「言語哲学だったっけか。なんでそんな浮かない顔をしてるんだ。人類初の星間文明のコミュニケーションで、一番大活躍したのは言語哲学じゃないか」
異種族同士の最初のコミュニケーションにおいて、まずいちばんの問題は「言語」だった。異星人の言語を分析し、それが根本的に、人間の使う言語と構造的に一致することを突き止めたのはケンブリッジ大学の研究チームだったと聞いている。
「そうだよ。ぼくたちは、アウリゲル人の言語と、人間の言語が、文法構造こそ違え、基本的には『同一』の言語だと突き止めた。だからこうして、コミュニケーションも取れれば、談笑だってできる。最近のコンピュータはすばらしい。前世紀にはおとぎ話だった、『携帯用万能翻訳機』をこうしてこしらえられるのだから……」
「じゃあどうしてそんな顔をしているんだ」
フカサクは口をちょっと曲げた。
「ウィトゲンシュタインの読みすぎだからかな」
ぼんやりと視線をアウリゲル人たちのほうに向け、フカサクは語り出した。
「専門的な話になるが、ちょっと聞いてくれ。ウィトゲンシュタインの議論に、こういうものがある。『1、2、3、4、5……』と続く数列を考えてみる。小学生に、続きをいってみなさい、という。小学生は、『6、7、8、9、10……』と続けるだろう。彼は正の整数という概念を理解しているのだ。そのままずっと続ける。『9998、9999、10000、10013、10002、10003……』と小学生は数列を続け、教師はびっくりして飛び上がる。『どうして10000の次が10013なんだ! 10001だろう?』小学生は答える。『10000の次は10013だよ、先生』この小学生ははたして、間違ったことをいっているのか、というのが議論の眼目だ……」
「間違っていることは明白じゃないか。10000の次は10001だ。正の整数ならば」
「ウィトゲンシュタインは、そうはいえないことを明確に論証している。この小学生にとっては、10000の次の正の整数は10013なんだ。10000+1=10013なんだ。それが、この小学生にとっての『当たり前な算術』なんだ。10000+1=10001というのは、彼にとっては、イレギュラーなんだ」
フカサクは眼鏡をずらした。
「考えてみろ、1の次は、なぜ、2なんだ? その次が3なのはなぜだ? 仮にぼくたちが採用している公理系がぼくたちに、正の整数は、10000の次が10001だという結果を示したとして、僕たちがその公理系を採用していることそのものが『間違っている』と、10000の次の正の整数が10013である、別な公理系を採用している立場から主張するのは、はたして道理にかなったことなのか? 道理にかなっていないことなら、なぜ逆は正しいんだ?」
おれはこめかみを押さえた。
「勉強のしすぎで、疲れているんじゃないか」
「そうだといいんだが。ぼくたちは、あまりにも、アウリゲル人が、ぼくたちの目から見て『合理的』に振る舞うことに疑問を抱いてないんじゃないか? アウリゲル人は、アウリゲル人として、非合理にふるまったっておかしくはないだろう。彼らは、ぼくたちの採用している論理学の公理から、微妙にずれた公理を採用しているんじゃないのか? ぼくたちは、数列を7000くらいまで数えたところで、後は考えるまでもない、とみなして、それ以降を思考することを放棄してしまったんじゃないのか? そもそも、ぼくたち、人類自身が、どれだけ『合理的』にふるまっているというんだ。ぼくがフカサクからヤブノコウジになったことを、きみの合理性はどう思う?」
「考えすぎだよ。なにか、きみはあの善良なアウリゲル人たちが、急に血相を変えておれたちを虐殺する、とでもいうつもりかよ」
「それならばまだマシだ」
フカサクはいった。
「ぼくたちが、アウリゲル人たちを虐殺しているかもしれない」
昔から変なやつだと思っていたが、大学人になって、よけいに変なやつに磨きがかかったらしい。おれはあきれ果てて時計を見た。
あと十五分すれば正午だ。
おれは礼服の襟を直しながらつぶやいた。ホールでは、おれには発音できない名前の無数のアウリゲル人たちと、無数の政府高官、学識者たちとが、なごやかに会話を楽しんでいた。
国際どころか、人類史上初の星間規模の外交交渉という仕事をやり遂げた一等書記官というものにとって、パーティに参加できるのは無上の光栄であり、自分の作り上げた芸術作品の最後の一ピースが埋まるのをしみじみと感じるといった意味でも無上の幸福なのである。
おれは時計を確認した。パーティ開始の正午まではもうすぐである。
あたりを見回していると、懐かしい顔を見かけた。おれはそちらへ足を向け、手を差し出した。
「フカサクじゃないか。高校以来だな! 名簿、見逃していたかな」
疎遠にしていた友だちを見つけるのは嬉しいことである。
「ギルバートか……いや、いまのぼくは、ヤブノコウジだ。ぼくの国じゃ、婿養子に入ると、男は姓が変わるんだ。めんどくさいが、しかたがない」
フカサク、いや、ヤブノコウジはそういうと、おれの手を握り返した。
「ヤブノコウジだろうとなんだろうといいよ」おれは名簿を思いだした。「そうか、ケンブリッジの哲学教授だったな。妙な名前だったから覚えていたんだ。専門は何だい?」
「ウィトゲンシュタイン……20世紀前半の哲学者さ」
フカサクは浮かない顔をしていた。こんなめでたい日なのに。
「言語哲学だったっけか。なんでそんな浮かない顔をしてるんだ。人類初の星間文明のコミュニケーションで、一番大活躍したのは言語哲学じゃないか」
異種族同士の最初のコミュニケーションにおいて、まずいちばんの問題は「言語」だった。異星人の言語を分析し、それが根本的に、人間の使う言語と構造的に一致することを突き止めたのはケンブリッジ大学の研究チームだったと聞いている。
「そうだよ。ぼくたちは、アウリゲル人の言語と、人間の言語が、文法構造こそ違え、基本的には『同一』の言語だと突き止めた。だからこうして、コミュニケーションも取れれば、談笑だってできる。最近のコンピュータはすばらしい。前世紀にはおとぎ話だった、『携帯用万能翻訳機』をこうしてこしらえられるのだから……」
「じゃあどうしてそんな顔をしているんだ」
フカサクは口をちょっと曲げた。
「ウィトゲンシュタインの読みすぎだからかな」
ぼんやりと視線をアウリゲル人たちのほうに向け、フカサクは語り出した。
「専門的な話になるが、ちょっと聞いてくれ。ウィトゲンシュタインの議論に、こういうものがある。『1、2、3、4、5……』と続く数列を考えてみる。小学生に、続きをいってみなさい、という。小学生は、『6、7、8、9、10……』と続けるだろう。彼は正の整数という概念を理解しているのだ。そのままずっと続ける。『9998、9999、10000、10013、10002、10003……』と小学生は数列を続け、教師はびっくりして飛び上がる。『どうして10000の次が10013なんだ! 10001だろう?』小学生は答える。『10000の次は10013だよ、先生』この小学生ははたして、間違ったことをいっているのか、というのが議論の眼目だ……」
「間違っていることは明白じゃないか。10000の次は10001だ。正の整数ならば」
「ウィトゲンシュタインは、そうはいえないことを明確に論証している。この小学生にとっては、10000の次の正の整数は10013なんだ。10000+1=10013なんだ。それが、この小学生にとっての『当たり前な算術』なんだ。10000+1=10001というのは、彼にとっては、イレギュラーなんだ」
フカサクは眼鏡をずらした。
「考えてみろ、1の次は、なぜ、2なんだ? その次が3なのはなぜだ? 仮にぼくたちが採用している公理系がぼくたちに、正の整数は、10000の次が10001だという結果を示したとして、僕たちがその公理系を採用していることそのものが『間違っている』と、10000の次の正の整数が10013である、別な公理系を採用している立場から主張するのは、はたして道理にかなったことなのか? 道理にかなっていないことなら、なぜ逆は正しいんだ?」
おれはこめかみを押さえた。
「勉強のしすぎで、疲れているんじゃないか」
「そうだといいんだが。ぼくたちは、あまりにも、アウリゲル人が、ぼくたちの目から見て『合理的』に振る舞うことに疑問を抱いてないんじゃないか? アウリゲル人は、アウリゲル人として、非合理にふるまったっておかしくはないだろう。彼らは、ぼくたちの採用している論理学の公理から、微妙にずれた公理を採用しているんじゃないのか? ぼくたちは、数列を7000くらいまで数えたところで、後は考えるまでもない、とみなして、それ以降を思考することを放棄してしまったんじゃないのか? そもそも、ぼくたち、人類自身が、どれだけ『合理的』にふるまっているというんだ。ぼくがフカサクからヤブノコウジになったことを、きみの合理性はどう思う?」
「考えすぎだよ。なにか、きみはあの善良なアウリゲル人たちが、急に血相を変えておれたちを虐殺する、とでもいうつもりかよ」
「それならばまだマシだ」
フカサクはいった。
「ぼくたちが、アウリゲル人たちを虐殺しているかもしれない」
昔から変なやつだと思っていたが、大学人になって、よけいに変なやつに磨きがかかったらしい。おれはあきれ果てて時計を見た。
あと十五分すれば正午だ。
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10000の次は10001とは限らない……。
数学だから突飛に感じるけれど、心理の分野だったら間違いなくそうだよな、とボーっと考えてから、数学だって1の次は1.1 かもしれないし、1.01とか1.5とか、もしかしたら1と1/3とかいろいろあり得るじゃないかと気が付きました。
ファーストコンタクトものは怖いなあ(^^;
数学だから突飛に感じるけれど、心理の分野だったら間違いなくそうだよな、とボーっと考えてから、数学だって1の次は1.1 かもしれないし、1.01とか1.5とか、もしかしたら1と1/3とかいろいろあり得るじゃないかと気が付きました。
ファーストコンタクトものは怖いなあ(^^;
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Re: 椿さん
いつぞや、ツイッターで『「2、3、4、5、6、4、4、4……」と続くプリキュアの数の数列』、とうっかり発言してしまった数学教師が、「シャイニールミナスとミルキィローズはプリキュアに入れていいのか」「S☆Sのフォームチェンジするふたりを4人と数えていいのか」「いやあれは満と薫をプリキュアに数えたのではないのか」「ハートキャッチのキュアフラワーとダークプリキュアはどうするのか」とかリプが延々とくっついてきたのに混乱して捨てゼリフ吐いて逃げてましたが、それもこれも「数論」によって「数の定義」を決めておかなかった数学教師の、数学者としての士道不覚悟に原因があるよなあ、と、めちゃくちゃになったまとめサイト読んで思ったもんです、ハイ。