「ショートショート」
ホラー
猫
わたしは枕もとのメモ帳を何度も読んでは、頭をかきむしった。
「猫」
メモ帳の一番上にはそう書いてあった。逆に言えば、それしか書かれていなかった。
わたしは頭を叩いた。昨晩、おそろしいことこのうえない夢を見たのだ。そこらの出来の悪いホラー映画(わたしは見ないがスプラッターとかいうくくりにされているタイプの映画だ)では勝負にならず、ドラキュラを書いたブラム・ストーカーや、ジキル博士とハイド氏を書いたロバート・スティーブンソンすらも三舎を避けるような強烈な夢だった。夜中に目を覚ましたわたしはその内容を枕もとのメモ帳に書き記したのだが。
猫。
これだけではなにもわからないではないか。
奥歯を食いしばった。これなら、無理してでも起きて原稿を書くのであった。メモしただけで安心して再び眠ってしまったのが口惜しくてならない。蝉が鳴いている陽光のもとでは、昨夜のあのおそろしい夢の内容なんて、浄化されて散り散りの霧になって消えてしまっている。まったく覚えていない。
ヒント。
なにか、このメモにからんだヒントでもないだろうか。
わたしは絶望的な思いで窓の外を見た。
ひょいと、猫が顔を出した。
茶虎だ。妙に悟り済ましたような顔をしていることを除けば、角川映画の「子猫物語」に出てきたチャトランにそっくりである。
これはもしかして、天祐かもしれない。
わたしは口をすぼめ、できる限りの優しい声でもって猫に語りかけた。
「おいで」
舌を鳴らしながら、わたしはベッドに腰掛けるかたちになった。
膝を叩いてみた。
茶虎はわたしのことを面白そうに見ていたが、こちらに寄ってくることはなかった。
エサか何かが必要なのだろうか。
わたしは部屋を見回したが、猫が好みそうなエサはなにもなかった。
取りに行くことも考えたが、煮干しか何かを戸棚から取り出してきて、戻ってきたら猫はいなかった、となったら何をしているのかわからない。
一期一会の出会いかもしれないではないか。
わたしは何か使えるものは、と探した。
いいものがあった。耳かきと、花瓶に生けられたコスモスだ。
わたしはコスモスの一本を抜くと、花と葉をちぎり、茎だけにした。その先端に、耳かきの綿の部分をむしり取ってセロテープで貼れば、ほら、即席の猫じゃらし。
わたしはそれをパタパタとやってみた。
茶虎は横を向いた。興味がないのか。
と思ったら、横を向いた理由が、窓の反対側からやってきた。これまた虎縞の猫である。色はかなり濃い。そちらの猫は、わたしを見てから、あくびをした。
「おいで」
わたしはいった。
「おいで!」
その瞬間、窓の上から、白い猫が一匹、宙返りをしながら落ちてきて、窓枠にしがみついた。
体操選手みたいに、窓枠に這い登ると、こちらを向いて、「にゃあ」と鳴いた。
鳴いてくれてうれしかった。わたしは手作りの猫じゃらしをパタパタ鳴らし、猫がこちらへやってくるのを待った。
茶虎の後ろから、黒い猫がのそりとあらわれた。
白猫の隣に、三毛が頭をのぞかせた。
わたしは自分の浮かべている笑みが凍り付くのがわかった。
偶然だ。偶然、猫がこんなに集まっただけだ。
灰色の、毛並みのつややかな猫が窓枠をよじ登ってきた。
赤みがかった、毛のもふもふした猫が茶虎と黒に挨拶するようなしぐさとともにあらわれた。
すべての猫の視線が、わたしに向けられていた。
茶虎が鳴いた。あたかも、「次はどうするのかな?」といっているかのごとくに。
わたしは猫じゃらしを捨てると、窓を閉めるため、ベッドから立ち上がろうとした。
動けない。
射すくめられているような視線に、身体がぴくりともしなかった。
その間にも、窓の外の猫の数は増えていく。
猫は合唱でもするかのように鳴いた。
サッシを閉めなくては。それが無理なら、カーテンでも。
脂汗が背中をつたった。
茶虎が、「ギャアッ」と鳴いた。
限界だった。わたしはベッドから転がり出すと、唯一の扉のノブを回し、この呪われた部屋から出ようとした。
ノブは回らなかった。鍵がかかっている!
いや、もしかして……。
わたしは窓を振り向いた。
窓いっぱいに、巨大な猫の顔があった。
猫はガラスを破らんばかりに舌なめずりをすると、身動きできないわたしを……。
汗みどろになって目を覚ました。いつもの部屋、いつものベッド、いつもの窓。
看護婦さんが花瓶のグラジオラスを取り換えていた。コスモスなんて、ここに来てから生けられたことなど一回もない。
わたしは「猫……」といおうとしたが、やめた。
彼女はいうだろう。ここは十五階建ての病院の十三階、猫なんかが這い上がってこれるわけがないし、窓も締め切り。たとえ上がって来たって部屋なんかには入れませんよ、と。
だが、わたしは知っている。
猫はいるのだ。
猫は、あの夢の中で不都合な何かに気づいてしまったわたしを常に監視しているのだ。
ちょっと目を凝らせば、どこにでも猫がいるのがわかる。
そう、K医大病院精神科病棟の、この鍵のかかる個室にも。
わたしは夢の中でさえ忘れてしまった夢の中身を思い出そうとする。
だがどうしても思い出せない……。
「猫」
メモ帳の一番上にはそう書いてあった。逆に言えば、それしか書かれていなかった。
わたしは頭を叩いた。昨晩、おそろしいことこのうえない夢を見たのだ。そこらの出来の悪いホラー映画(わたしは見ないがスプラッターとかいうくくりにされているタイプの映画だ)では勝負にならず、ドラキュラを書いたブラム・ストーカーや、ジキル博士とハイド氏を書いたロバート・スティーブンソンすらも三舎を避けるような強烈な夢だった。夜中に目を覚ましたわたしはその内容を枕もとのメモ帳に書き記したのだが。
猫。
これだけではなにもわからないではないか。
奥歯を食いしばった。これなら、無理してでも起きて原稿を書くのであった。メモしただけで安心して再び眠ってしまったのが口惜しくてならない。蝉が鳴いている陽光のもとでは、昨夜のあのおそろしい夢の内容なんて、浄化されて散り散りの霧になって消えてしまっている。まったく覚えていない。
ヒント。
なにか、このメモにからんだヒントでもないだろうか。
わたしは絶望的な思いで窓の外を見た。
ひょいと、猫が顔を出した。
茶虎だ。妙に悟り済ましたような顔をしていることを除けば、角川映画の「子猫物語」に出てきたチャトランにそっくりである。
これはもしかして、天祐かもしれない。
わたしは口をすぼめ、できる限りの優しい声でもって猫に語りかけた。
「おいで」
舌を鳴らしながら、わたしはベッドに腰掛けるかたちになった。
膝を叩いてみた。
茶虎はわたしのことを面白そうに見ていたが、こちらに寄ってくることはなかった。
エサか何かが必要なのだろうか。
わたしは部屋を見回したが、猫が好みそうなエサはなにもなかった。
取りに行くことも考えたが、煮干しか何かを戸棚から取り出してきて、戻ってきたら猫はいなかった、となったら何をしているのかわからない。
一期一会の出会いかもしれないではないか。
わたしは何か使えるものは、と探した。
いいものがあった。耳かきと、花瓶に生けられたコスモスだ。
わたしはコスモスの一本を抜くと、花と葉をちぎり、茎だけにした。その先端に、耳かきの綿の部分をむしり取ってセロテープで貼れば、ほら、即席の猫じゃらし。
わたしはそれをパタパタとやってみた。
茶虎は横を向いた。興味がないのか。
と思ったら、横を向いた理由が、窓の反対側からやってきた。これまた虎縞の猫である。色はかなり濃い。そちらの猫は、わたしを見てから、あくびをした。
「おいで」
わたしはいった。
「おいで!」
その瞬間、窓の上から、白い猫が一匹、宙返りをしながら落ちてきて、窓枠にしがみついた。
体操選手みたいに、窓枠に這い登ると、こちらを向いて、「にゃあ」と鳴いた。
鳴いてくれてうれしかった。わたしは手作りの猫じゃらしをパタパタ鳴らし、猫がこちらへやってくるのを待った。
茶虎の後ろから、黒い猫がのそりとあらわれた。
白猫の隣に、三毛が頭をのぞかせた。
わたしは自分の浮かべている笑みが凍り付くのがわかった。
偶然だ。偶然、猫がこんなに集まっただけだ。
灰色の、毛並みのつややかな猫が窓枠をよじ登ってきた。
赤みがかった、毛のもふもふした猫が茶虎と黒に挨拶するようなしぐさとともにあらわれた。
すべての猫の視線が、わたしに向けられていた。
茶虎が鳴いた。あたかも、「次はどうするのかな?」といっているかのごとくに。
わたしは猫じゃらしを捨てると、窓を閉めるため、ベッドから立ち上がろうとした。
動けない。
射すくめられているような視線に、身体がぴくりともしなかった。
その間にも、窓の外の猫の数は増えていく。
猫は合唱でもするかのように鳴いた。
サッシを閉めなくては。それが無理なら、カーテンでも。
脂汗が背中をつたった。
茶虎が、「ギャアッ」と鳴いた。
限界だった。わたしはベッドから転がり出すと、唯一の扉のノブを回し、この呪われた部屋から出ようとした。
ノブは回らなかった。鍵がかかっている!
いや、もしかして……。
わたしは窓を振り向いた。
窓いっぱいに、巨大な猫の顔があった。
猫はガラスを破らんばかりに舌なめずりをすると、身動きできないわたしを……。
汗みどろになって目を覚ました。いつもの部屋、いつものベッド、いつもの窓。
看護婦さんが花瓶のグラジオラスを取り換えていた。コスモスなんて、ここに来てから生けられたことなど一回もない。
わたしは「猫……」といおうとしたが、やめた。
彼女はいうだろう。ここは十五階建ての病院の十三階、猫なんかが這い上がってこれるわけがないし、窓も締め切り。たとえ上がって来たって部屋なんかには入れませんよ、と。
だが、わたしは知っている。
猫はいるのだ。
猫は、あの夢の中で不都合な何かに気づいてしまったわたしを常に監視しているのだ。
ちょっと目を凝らせば、どこにでも猫がいるのがわかる。
そう、K医大病院精神科病棟の、この鍵のかかる個室にも。
わたしは夢の中でさえ忘れてしまった夢の中身を思い出そうとする。
だがどうしても思い出せない……。
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ひょいと、猫が顔を出した。
で不安感が倍増してしまいました。
夢に出てきたらいやだ
ひょいと、猫が顔を出した。
で不安感が倍増してしまいました。
夢に出てきたらいやだ
- #21159 面白半分
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- 2020.05/21 22:32
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Re: 面白半分さん