天使を吊るせ 6-1

６

「どこへ行っていたんです？　桐野先生」
　半ば虚脱状態で診療所『桐野メンタルヘルス』に戻ってきたわたしに、手伝いの島田春江女史が受付の中から声をかけてきた。
「新興宗教……」
　わたしはまだぼんやりとしながら答えた。
　島田春江は、わたしの顔を三十秒ばかり凝視すると、首を振りながら背後の給湯室という名の流し台の下にある冷蔵庫からコカコーラの百六十ミリリットル缶を二本引っ張り出した。太り気味の身体も魅力の一部だと思っている中年女性ほど強いものはない。
「先生、はい、これ」
　受付のガラス戸ごしに、一本を渡してくれる。
「で、なんで、新興宗教団体なんかに行ったんですか、桐野先生」
「なんでって……」
　ほぼ無意識のままにプルトップを開け、機械的に口に運んで一口飲む。
　甘さと苦さとカフェインと冷気に、ようやく頭が正常に動き始めた。少なくとも、島田春江にまで「潜入調査です」と打ち明けるような馬鹿な真似は避けられるくらいには。
「小野瀬くんを見舞った帰りに、ふと人生について考えたくなったんだ」
　とりあえず、さっき沢守房江の前でついた嘘を繰り返してみる。
　島田春江はわたしの顔をじっと見た。四年もわたしのもとで働いているだけあって、わたしの対応のほとんどを熟知している。
「このあたしにまで嘘をつくんですか、桐野先生」
　島田春江は、長いこと病院で長期入院患者たちを震え上がらせた眼光でもってわたしを見据えた。
「すまない。……嘘ではなかったことにしてくれ。そのほうがいいことなんだ」
　島田春江は、さらにわたしの顔を穴が開くほど見ていたが、やがて視線を外すと、難しい顔をしてコーラの缶を開けた。
「桐野先生、まさかろくでもないことに片足を突っ込んでるんじゃないでしょうね。先生は人がいいというよりも、変なところでええかっこしいだから、さんざん走り回らされて最後には悲惨な目に遭うと相場が決まっているんですよ」
「そんなことは……」
「あの人から聞きましたよ、七年前に政治家の汚職問題に腰まではまったそうですね」
「いや、それは……」
「拉致されてさんざん殴られて大怪我をし、坂元さんやあの人にものすごい迷惑をかけたって話じゃないですか。あたしがここにいる間は、そんなことは願い下げですからね」
「そりゃわたしだってそうだが……」
　話題を変える必要があるようだ。
「そういや、余目さんとの間はどうだい？」