「ショートショート」
ファンタジー
ゆきおんな
その村のことは、仮に山奥村としておこう。わたしが民話採集のために滞在していたのは、山奥村山奥字山奥大字山奥とでもいいたくなるようなところで、林業を主とする、昔ながらの生活が守られていた。そこでわたしは様々な、興味深い民話を採集し、ほくほく顔で帰途についたのである。
おりしも季節は冬だった。こんな季節に車を走らせるだけの腕など持っていない。したがって、村人の車で、最寄りの駅まで送ってもらうこととなった。最寄りの駅といっても、ローカル線の末端付近にある、貧相な駅である。それでも電化の波はここまで押し寄せていて、走っていたのは一輌編成ではあるが立派な電車だった。
この季節としては当然であるが、ゆうべからどかどかと雪が降っていた。晴れていれば、銀世界を楽しむような余裕もできるが、こう曇っていては白くて寒いだけの地獄でしかない。早いところ暖かい列車に乗り込んで東京に帰ろう、と思っていたわたしだが、駅にたどり着くと、駅員は無情にもこういった。
「すみません、雪で架線が切れたようで、電車が上下ともストップしとるんです」
そんな。上りが出るのはいつになりますか。
「まったく、見当がつかんのですわ。それまで、待合室で待ってもらえんでしょうか。石油ストーブもあるし、ホームで待つよりはぬくいんで……」
そういわれれば、どうしようもない。わたしは荷物とともに、駅舎の中に避難した。
たしかに、暖かい部屋だった。古ぼけた石油ストーブが真っ赤に燃え、その上ではやかんがチンチンいっている。中には先客がいた。齢八十くらいの、全身しなびきったような老婆だ。それにしては目ばかり好奇心で輝いている。いわゆる金棒曳きか? とわたしは思った。
「東京の先生ですな? 気を悪くしたらすみませんけんど、こんな季節に来るよそ者は先生くらいしかおりませんからなあ」
と、老婆は切り出した。はて、あの村にこんなお婆さんはいたっけ? 疑問を見透かしたように、老婆は続ける。
「この数日、風邪をこじらせまして、ずっと寝とったんですじゃ。これから下りに乗って、山中(これも仮の名前だが、この駅から下り電車で三駅先のもっと大きな集落と思ってほしい)の病院へ行くんですがのう。雪なんかで止まってはなんのための電車かわかりませんわなあ」
まったくです、とわたしは答えた。
「ここで会うたのもなにかの縁ですじゃ。先生、よければこの婆に、なんぞ面白い話を聞かせてくれんかのう。民話を集めていなさるということは、面白い話の十や二十は知っとるんじゃないかと思ったんじゃが……」
どうせ復旧はいつになるかわからないのだ。それにわたしも民俗学者としてのプライドがある。当然、快諾した。しゃべるのは、講師をやっているにしてはあまりうまいほうではないが、それはこの際がまんしてもらおう。
自分が知っている面白い民話のなかで、珍しいものを主にしてチョイスした。十話も話すと、こちらの喉もかれてきた。駅員さんに頼んで、湯飲みを貸してもらおうか、あのやかんのお湯を飲めばあといくつか、と考えていたところで、これまで黙って聞いていた老婆が口を開いた。
「さすがは学者先生じゃ、面白い話ばかりじゃのう。最近のつまらんテレビ番組なんぞとは違って、こういう、人間が差し向かいで語る話というものは、温かみがあっていいもんじゃな。さっきから先生にばかり話させてすまんかったのう。じゃ、次はこの婆の話でもきいてくだされ。月並みじゃが、『雪女』の話はどうかのう。雪もとうぶんやみそうにないからのう」
老婆は姿勢を正した。
「それはずいぶんと昔のことじゃったそうな……」
それは、ずいぶんと昔のことじゃったそうな。村に、茂兵衛という木こりが住んでおった。早くに親を亡くしてから、ずっと一人でおったそうじゃ。絵に描いたような善良な男じゃったが、女房はおらんかったのう。木こりの嫁になろうなどと思う女がおらんことは、今も昔も変わらんが。茂兵衛が善良すぎたのもいかんかったのかもしれん。今も昔も、女というものは、悪いところのある男に魅かれるものよ。なに、婆か? 婆にも昔は若いころがあってのう……なにをいわすか。
さて、茂兵衛はある日、いつものように山へ入って木を切っておった。上手の手から水が漏る、という言葉があるが、その日の茂兵衛はどうしておったんじゃろうなあ。仕事に夢中になりすぎて、うかつにも天気が急に変わったことに気づかんかった。山の天気が変わりやすいことは知っとるじゃろう。さっきまで晴れ渡っていた空がにわかにかき曇ると、あっという間に猛吹雪じゃ。これでは仕事どころか命すら危うい、というわけで茂兵衛は仕事をやめると、安全な場所へ逃げることにしたそうじゃ。
運が良かったんじゃろうなあ、すぐ近くに、山小屋があったそうじゃ。ここに入れば、少なくとも当座は、雪に埋もれて死ぬことはない。風と雪の中を、茂兵衛は這うようにして山小屋にたどりつくと、中に転げ込んだ。
薪を節約するため、いろりに命をつなぐに足りるだけのほんのわずかな火を起こし、寒さに震えておるうちにも、雪と風の音はますます強くなってくる。滅多にない猛吹雪じゃ。これじゃあ今日は、いや三日は泊まらなければならんかもしれんと、茂兵衛は覚悟を決めた。
どれほど過ぎたころじゃろうか……。
ふと、茂兵衛の耳に、ほとほとと戸を叩く音が聞こえてきた。
こんな吹雪の日に、こんな山奥に、訪れる者などあるわけがない。空耳じゃと、茂兵衛はそう思った。しかし、それでも戸を叩く音は聞こえてくる。空耳とは思えなんだ。
茂兵衛は恐ろしくて恐ろしくてたまらんかったが、それでも、もし道に迷った村人だったりしたらたいへんじゃ。びくびくしながら心張り棒を外すと、戸を開けた。
そこに立っておったのは、はっとするほど美しい若い娘だったそうじゃ。だがなぜか、その口元には笑みが浮かんでおった。
「雪に遭って難儀しております。どうか、宿をお貸しください」
娘は珠を転がすような美しい声でいった。茂兵衛は驚いたが、すぐに娘を中に入れ、戸を閉めた。風雪が厳しかったからのう。
「ささ、こんな小さな火しかねえですが、どうかあたってくだせえ」
娘は、遠慮しておるのか、火のそばには来んかった。
その晩、茂兵衛は娘と語り合った。娘は雪と名乗り、都へ帰る途上、この山で道に迷ったということじゃった。
翌日、空はきれいに晴れ上がり、茂兵衛はお雪を、村にある自分のうちへと連れ帰った。
話しておるうちに意気投合したのかのう。婆が聞いた話では、娘は都へ帰るのを一日延ばし二日延ばししているうちに、茂兵衛の家へ居ついてしまい、口をきく人もあったようで、いつの間にか茂兵衛の嫁になってしまったそうじゃ。
それからしばらくの間、茂兵衛とお雪は幸せな毎日を過ごした。だが、それも長くは続かなんだ。
運命の日が、ついにやって来た。
茂兵衛がお雪と出会ったときからちょうど一年になるとある吹雪の日、お雪は元気な女の赤ん坊を産んだ。
「この子には、ふうと名をつけるだ」
茂兵衛の喜びは、それはたいそうなもんじゃった。
しかし、お雪は寂しそうな目をしていたそうじゃ。
「どうしただ、雪」
「辛いのです」
「なにがだ」
「お前様とお別れしなくてはならないのが」
そういうと、お雪は音もなく立ち上がった。茂兵衛が止める間もなかった。
いろりに火は燃えていたし、雨戸もしっかりと閉めていたというのに、なぜかしら空気がひんやりとし始めた。
お雪の肌が、人間とは思えないほど真っ白になった。
「雪……!」
「わたくしは、雪女郎なのです。一年前、お前様と会ったとき、わたくしはお前様を殺す気でした。しかし……」
お雪は、一瞬、言いよどんだ。
「いいえ。今さらいっても詮無いこと。わたくしはこの吹雪に乗って帰ります」
お雪は、口から冷たい息を吐き出した。雪混じりの凍るような風じゃ。茂兵衛は、身体がぞくぞくっとするのを感じた。
「わたくしの正体を、決して人にいってはなりませぬ。少しでもしゃべったときには、わたくしは今度こそお前さまを殺します」
お雪の身体は、すうっと消えていった。
「ふうを頼みます。今日のことは、ゆめ、忘れず……」
茂兵衛がそこに駆け寄ったときには、床に濡れた跡が残っていただけじゃった。
それからというもの、茂兵衛は来る日も来る日も働いた。おふうはそんな茂兵衛を見ながら、すくすくと育った。親の血を受け継いだのか、子供ながらに、雪のように白い肌をした娘だったそうじゃ。
あっというまに年月は流れ、お雪がいなくなったときから数えてちょうど七年目の雪の夜を迎えた。
茂兵衛は藁を打っていたが、ふとその手を休めておふうにいった。
「今日は、ひどい雪だのう。あのときもこうだったのう……ちょうどいい。知らなきゃなんねえことだ。今日は、おめえのかかさまについて話してやろう」
おふうは、茂兵衛の前に座った。
「おらのかかさまは、どんな人だったの?」
茂兵衛はしゃべりだした。あの日、お雪という女と吹雪の夜に初めて出会ったときから、別れたときまで。
「こんな日は、いつもお雪のことを思い出しての……」
すると突然、おふうはすっくと立つと、目をらんらんと輝かせ出した。
「茂兵衛……ほかのものにしゃべってはならぬといっておいたではありませぬか」
おふうの身体はみるみるうちに大きくなった。そこに立っておったのは。
「お雪……!」
そうじゃ。お雪じゃ。お雪が大きく息を吐き出すと、いろりの炎がふっと消え、家の中を冷たい吹雪が舞い始めた。
「約定を違えたお前は、死……」
お雪は最後までしゃべることができなんだ。茂兵衛が大声で叫んだからじゃ。
「雪! 雪! おらはこの七年というもの、どれだけおめえに会いたかったことか! ほんとうにおめえなんだな。嘘じゃねえんだな。連れていってくれ、一緒に! 連れていってくれえ……」
馬鹿じゃ、馬鹿じゃ! 救いようがない大馬鹿者じゃ! 命乞いをするならまだしも、こんなことをいうとは、なにを考えとるんじゃ! だからいつまでもうだつの上がらぬ木こりなどをしておるんじゃ! こんな馬鹿、見たことがないわい!
次の日、村のもんは、家の中で、茂兵衛が氷のように冷たくなって死んどるのを見つけた。
その顔は、びっくりするほど安らかじゃったと。
おふうの姿は、それから誰も見たものがいないそうじゃ……。
老婆は話を終えた。その姿は、どこか哀しそうに見えた。わたしはなにかいおうと口を開きかけた。
そのとき、待合室に駅員が入ってきた。
「架線が直りましたんで、五分もしないうちに下りが来ます。上りは、いま山中に向かっているところなので、もうしばらくかかりますが」
老婆は、はっとしたように荷物をまとめると、立ち上がった。
「じゃ、先生、婆は電車に乗らんといかんのでな。面白い話を聞けて楽しかったですじゃ」
一礼し、こちらもです、といったときには、老婆の姿は外のホームへと消えて行くところだった。
視線を戻すと、老婆が座っていた席に、水滴がぽつんと落ちているのに気づいた。
涙の跡にも見えたが……たぶん外から舞い込んできた雪だろう。
おりしも季節は冬だった。こんな季節に車を走らせるだけの腕など持っていない。したがって、村人の車で、最寄りの駅まで送ってもらうこととなった。最寄りの駅といっても、ローカル線の末端付近にある、貧相な駅である。それでも電化の波はここまで押し寄せていて、走っていたのは一輌編成ではあるが立派な電車だった。
この季節としては当然であるが、ゆうべからどかどかと雪が降っていた。晴れていれば、銀世界を楽しむような余裕もできるが、こう曇っていては白くて寒いだけの地獄でしかない。早いところ暖かい列車に乗り込んで東京に帰ろう、と思っていたわたしだが、駅にたどり着くと、駅員は無情にもこういった。
「すみません、雪で架線が切れたようで、電車が上下ともストップしとるんです」
そんな。上りが出るのはいつになりますか。
「まったく、見当がつかんのですわ。それまで、待合室で待ってもらえんでしょうか。石油ストーブもあるし、ホームで待つよりはぬくいんで……」
そういわれれば、どうしようもない。わたしは荷物とともに、駅舎の中に避難した。
たしかに、暖かい部屋だった。古ぼけた石油ストーブが真っ赤に燃え、その上ではやかんがチンチンいっている。中には先客がいた。齢八十くらいの、全身しなびきったような老婆だ。それにしては目ばかり好奇心で輝いている。いわゆる金棒曳きか? とわたしは思った。
「東京の先生ですな? 気を悪くしたらすみませんけんど、こんな季節に来るよそ者は先生くらいしかおりませんからなあ」
と、老婆は切り出した。はて、あの村にこんなお婆さんはいたっけ? 疑問を見透かしたように、老婆は続ける。
「この数日、風邪をこじらせまして、ずっと寝とったんですじゃ。これから下りに乗って、山中(これも仮の名前だが、この駅から下り電車で三駅先のもっと大きな集落と思ってほしい)の病院へ行くんですがのう。雪なんかで止まってはなんのための電車かわかりませんわなあ」
まったくです、とわたしは答えた。
「ここで会うたのもなにかの縁ですじゃ。先生、よければこの婆に、なんぞ面白い話を聞かせてくれんかのう。民話を集めていなさるということは、面白い話の十や二十は知っとるんじゃないかと思ったんじゃが……」
どうせ復旧はいつになるかわからないのだ。それにわたしも民俗学者としてのプライドがある。当然、快諾した。しゃべるのは、講師をやっているにしてはあまりうまいほうではないが、それはこの際がまんしてもらおう。
自分が知っている面白い民話のなかで、珍しいものを主にしてチョイスした。十話も話すと、こちらの喉もかれてきた。駅員さんに頼んで、湯飲みを貸してもらおうか、あのやかんのお湯を飲めばあといくつか、と考えていたところで、これまで黙って聞いていた老婆が口を開いた。
「さすがは学者先生じゃ、面白い話ばかりじゃのう。最近のつまらんテレビ番組なんぞとは違って、こういう、人間が差し向かいで語る話というものは、温かみがあっていいもんじゃな。さっきから先生にばかり話させてすまんかったのう。じゃ、次はこの婆の話でもきいてくだされ。月並みじゃが、『雪女』の話はどうかのう。雪もとうぶんやみそうにないからのう」
老婆は姿勢を正した。
「それはずいぶんと昔のことじゃったそうな……」
それは、ずいぶんと昔のことじゃったそうな。村に、茂兵衛という木こりが住んでおった。早くに親を亡くしてから、ずっと一人でおったそうじゃ。絵に描いたような善良な男じゃったが、女房はおらんかったのう。木こりの嫁になろうなどと思う女がおらんことは、今も昔も変わらんが。茂兵衛が善良すぎたのもいかんかったのかもしれん。今も昔も、女というものは、悪いところのある男に魅かれるものよ。なに、婆か? 婆にも昔は若いころがあってのう……なにをいわすか。
さて、茂兵衛はある日、いつものように山へ入って木を切っておった。上手の手から水が漏る、という言葉があるが、その日の茂兵衛はどうしておったんじゃろうなあ。仕事に夢中になりすぎて、うかつにも天気が急に変わったことに気づかんかった。山の天気が変わりやすいことは知っとるじゃろう。さっきまで晴れ渡っていた空がにわかにかき曇ると、あっという間に猛吹雪じゃ。これでは仕事どころか命すら危うい、というわけで茂兵衛は仕事をやめると、安全な場所へ逃げることにしたそうじゃ。
運が良かったんじゃろうなあ、すぐ近くに、山小屋があったそうじゃ。ここに入れば、少なくとも当座は、雪に埋もれて死ぬことはない。風と雪の中を、茂兵衛は這うようにして山小屋にたどりつくと、中に転げ込んだ。
薪を節約するため、いろりに命をつなぐに足りるだけのほんのわずかな火を起こし、寒さに震えておるうちにも、雪と風の音はますます強くなってくる。滅多にない猛吹雪じゃ。これじゃあ今日は、いや三日は泊まらなければならんかもしれんと、茂兵衛は覚悟を決めた。
どれほど過ぎたころじゃろうか……。
ふと、茂兵衛の耳に、ほとほとと戸を叩く音が聞こえてきた。
こんな吹雪の日に、こんな山奥に、訪れる者などあるわけがない。空耳じゃと、茂兵衛はそう思った。しかし、それでも戸を叩く音は聞こえてくる。空耳とは思えなんだ。
茂兵衛は恐ろしくて恐ろしくてたまらんかったが、それでも、もし道に迷った村人だったりしたらたいへんじゃ。びくびくしながら心張り棒を外すと、戸を開けた。
そこに立っておったのは、はっとするほど美しい若い娘だったそうじゃ。だがなぜか、その口元には笑みが浮かんでおった。
「雪に遭って難儀しております。どうか、宿をお貸しください」
娘は珠を転がすような美しい声でいった。茂兵衛は驚いたが、すぐに娘を中に入れ、戸を閉めた。風雪が厳しかったからのう。
「ささ、こんな小さな火しかねえですが、どうかあたってくだせえ」
娘は、遠慮しておるのか、火のそばには来んかった。
その晩、茂兵衛は娘と語り合った。娘は雪と名乗り、都へ帰る途上、この山で道に迷ったということじゃった。
翌日、空はきれいに晴れ上がり、茂兵衛はお雪を、村にある自分のうちへと連れ帰った。
話しておるうちに意気投合したのかのう。婆が聞いた話では、娘は都へ帰るのを一日延ばし二日延ばししているうちに、茂兵衛の家へ居ついてしまい、口をきく人もあったようで、いつの間にか茂兵衛の嫁になってしまったそうじゃ。
それからしばらくの間、茂兵衛とお雪は幸せな毎日を過ごした。だが、それも長くは続かなんだ。
運命の日が、ついにやって来た。
茂兵衛がお雪と出会ったときからちょうど一年になるとある吹雪の日、お雪は元気な女の赤ん坊を産んだ。
「この子には、ふうと名をつけるだ」
茂兵衛の喜びは、それはたいそうなもんじゃった。
しかし、お雪は寂しそうな目をしていたそうじゃ。
「どうしただ、雪」
「辛いのです」
「なにがだ」
「お前様とお別れしなくてはならないのが」
そういうと、お雪は音もなく立ち上がった。茂兵衛が止める間もなかった。
いろりに火は燃えていたし、雨戸もしっかりと閉めていたというのに、なぜかしら空気がひんやりとし始めた。
お雪の肌が、人間とは思えないほど真っ白になった。
「雪……!」
「わたくしは、雪女郎なのです。一年前、お前様と会ったとき、わたくしはお前様を殺す気でした。しかし……」
お雪は、一瞬、言いよどんだ。
「いいえ。今さらいっても詮無いこと。わたくしはこの吹雪に乗って帰ります」
お雪は、口から冷たい息を吐き出した。雪混じりの凍るような風じゃ。茂兵衛は、身体がぞくぞくっとするのを感じた。
「わたくしの正体を、決して人にいってはなりませぬ。少しでもしゃべったときには、わたくしは今度こそお前さまを殺します」
お雪の身体は、すうっと消えていった。
「ふうを頼みます。今日のことは、ゆめ、忘れず……」
茂兵衛がそこに駆け寄ったときには、床に濡れた跡が残っていただけじゃった。
それからというもの、茂兵衛は来る日も来る日も働いた。おふうはそんな茂兵衛を見ながら、すくすくと育った。親の血を受け継いだのか、子供ながらに、雪のように白い肌をした娘だったそうじゃ。
あっというまに年月は流れ、お雪がいなくなったときから数えてちょうど七年目の雪の夜を迎えた。
茂兵衛は藁を打っていたが、ふとその手を休めておふうにいった。
「今日は、ひどい雪だのう。あのときもこうだったのう……ちょうどいい。知らなきゃなんねえことだ。今日は、おめえのかかさまについて話してやろう」
おふうは、茂兵衛の前に座った。
「おらのかかさまは、どんな人だったの?」
茂兵衛はしゃべりだした。あの日、お雪という女と吹雪の夜に初めて出会ったときから、別れたときまで。
「こんな日は、いつもお雪のことを思い出しての……」
すると突然、おふうはすっくと立つと、目をらんらんと輝かせ出した。
「茂兵衛……ほかのものにしゃべってはならぬといっておいたではありませぬか」
おふうの身体はみるみるうちに大きくなった。そこに立っておったのは。
「お雪……!」
そうじゃ。お雪じゃ。お雪が大きく息を吐き出すと、いろりの炎がふっと消え、家の中を冷たい吹雪が舞い始めた。
「約定を違えたお前は、死……」
お雪は最後までしゃべることができなんだ。茂兵衛が大声で叫んだからじゃ。
「雪! 雪! おらはこの七年というもの、どれだけおめえに会いたかったことか! ほんとうにおめえなんだな。嘘じゃねえんだな。連れていってくれ、一緒に! 連れていってくれえ……」
馬鹿じゃ、馬鹿じゃ! 救いようがない大馬鹿者じゃ! 命乞いをするならまだしも、こんなことをいうとは、なにを考えとるんじゃ! だからいつまでもうだつの上がらぬ木こりなどをしておるんじゃ! こんな馬鹿、見たことがないわい!
次の日、村のもんは、家の中で、茂兵衛が氷のように冷たくなって死んどるのを見つけた。
その顔は、びっくりするほど安らかじゃったと。
おふうの姿は、それから誰も見たものがいないそうじゃ……。
老婆は話を終えた。その姿は、どこか哀しそうに見えた。わたしはなにかいおうと口を開きかけた。
そのとき、待合室に駅員が入ってきた。
「架線が直りましたんで、五分もしないうちに下りが来ます。上りは、いま山中に向かっているところなので、もうしばらくかかりますが」
老婆は、はっとしたように荷物をまとめると、立ち上がった。
「じゃ、先生、婆は電車に乗らんといかんのでな。面白い話を聞けて楽しかったですじゃ」
一礼し、こちらもです、といったときには、老婆の姿は外のホームへと消えて行くところだった。
視線を戻すと、老婆が座っていた席に、水滴がぽつんと落ちているのに気づいた。
涙の跡にも見えたが……たぶん外から舞い込んできた雪だろう。
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読書日記

~ Comment ~
ラフカディオの話をうまい事ひねっていますね。
でもこういう話って、地域によって全然話違ったりしますもんね。
もしかしたらこんな話もどこかにあるかも。
いやあ民話は奥が深い。
でもこういう話って、地域によって全然話違ったりしますもんね。
もしかしたらこんな話もどこかにあるかも。
いやあ民話は奥が深い。
- #27 トゥデイ
- URL
- 2009.03/30 16:48
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お読みいただきありがとうございます
子供が雪女になるというひねりは楳図かずお先生のいただきなんですけどね(汗)。
その後の人間ドラマ(笑)はわたしの妄想ですが。
なにが難しいっていって、もっともらしい方言をでっち上げるのがいちばん難しかったです(笑)。田舎を舞台とするのはもうこりごりだあ(笑)。
ちなみにこれは前にコミケで売った(というより知り合いに配った)同人誌からの再録です。毎日一本ショートショートを書くのは、眉村卓先生みたいな天才にはともかく、普通の人間にはムリです(笑)。
大手新聞に4コマを連載している先生がたは超人ですな……。