「範子と文子の驚異の高校生活(ギャグ掌編小説シリーズ・完結)」
範子と文子の三十分一本勝負(ギャグ掌編小説シリーズ・完結)
範子と文子の三十分一本勝負:FIGHT・82
「暑いわね、文子」
「ほんとだね」
窓からは日光が差し込んできていた。紅恵高校名物、魔の夏期講習も授業時間を過ぎ、普通の高校生なら全員下校しているところである。そこを理由もなにもなしに居残っているのだから、この二人、暇人であった。
「もうね、文子、この空気が、もわっとしてるのはなんとかしてほしいわね。考えただけで、暑さが……文子?」
ふと見ると、文子は、なにか見えないものでも見ているかのようだった。
「文子? どうしたの、文子?」
「しっ。……耳をすませて。なにか、わたしたちのほかにも、ここにいない?」
範子はあきれた、とでもいうように肩をすくめた。
「いるわけないじゃない。ここにいるのは、というより、あるのは、わたしと、文子と、それとこのもわわわわっとした暑苦しい空気だけよ」
「それだよ!」
いきなり、文子は叫んだ。
「な、なによ、文子?」
「それよ。ううん。幻想でもなんでもないわ。わたしに語りかけているのは、この暑い空気よ! 暑い空気が、その熱でもって、わたしにコミュニケーションをとろうとしているんだよ!」
「そんなバカなわけないでしょう。文子、あなた、紫外線に当たりすぎておかしくなっちゃったんじゃないの?」
「違うよ。そうだな……もしかしたら、風を送ればコミュニケーションできるかも。ここをこうして。ここをこうして。わたしの名前は、下川文子。あやこ。わかりますか?」
急にそこらの空気をぱたぱた扇ぎだした文子を見て、範子は、ほっといて帰ろうか、と半ば本気で思った。しかし、自分としては本気で好意を抱いている相手を、危うい状況で放り出していいわけがない。少なくとも、病院へは一緒について行かなくてはまずいだろう。
範子の見ているところ、文子は本格的におかしくなりつつあった。
笑いながら、なにかとしゃべっているようだ。
「そうなの。生まれたばかりなのね。でも、あなたにとっては、遠い昔か。淋しくない? ああ、淋しいってことがわからないのね。淋しいっていうのは、ひとりぼっちでいるときに、心の中に芽生えてくる感情のことよ」
範子はいらいらとしてきた。
「……文子、なにをごちゃごちゃいってるの?」
文子は、ちらりと範子を見た。
「……そうなのよ。あの娘、範子っていうんだけど、ちょっと淋しいことをいってるのよね。いつもはそんなこともないんだけど」
範子は友人の肩を揺さぶった。
「ほんとにしっかりしてよ文子! ここにあるのは、さっきもいったとおり、わたしとあなたのほかには、もわっとした空気だけよ!」
文子は、ぽん、と手を叩いた。
「……そうだ。あなたにも、名前をつけてあげる。もわっとしてるから、モワちゃんっていうのはどう? 熱と空気分子の持つ『場』でできているあなたに、ぴったりだと思うんだけど」
範子は頭を抱えた。文子は、どうやら熱射病かなにかのせいで、脳に重大なダメージを負ってしまったのかもしれない。とにかく、スポーツドリンクと、水で濡らしたタオルだ!
考えたら即行動に移す、というのが範子の基本方針だった。とにかく、まずできること、それは、階下の自動販売機に冷えたスポーツドリンクを買いに走ることだった。
範子は急いで階段を駆け降り、財布から小銭を抜き出して、なんとかいう弱小のメーカーが出した、怪しげなポカリスエットのコピー商品をふた缶買った。文子のほかに、自分も飲むためである。
ちらりと空を見上げた。入道雲がもくもくと成長しているのが見えた。
再び教室に戻ると、文子は表情をこわばらせていた。
「お別れ……どういうこと?」
暑いからでしょう、と、範子はつぶやいたが、文子には聞こえていないようだった。
「空を見ろ……?」
はっとすると、空は暗くなっていた。
「さよならって……」
どっと夕立が降ってきたのは、まさにそのタイミングだった。気温は一気に涼しくなった。
文子は顔を覆って泣き始めた。範子は……とりあえず文子にスポーツドリンクの缶を渡した。
「わたしにはまだ信じられないんだけど」
「モワちゃんはいたよ、絶対に」
文子は頑固だった。夕立を避けた校舎で、鼻をすすりあげながら、スポーツドリンクを飲んだ。
「わたしが悲しいのは、モワちゃんと別れたからだけじゃないの」
「はあ」
「モワちゃんに、淋しい、という言葉を覚えさせてしまったから、というのもあるの。もしわたしが、そんな言葉を覚えさせなかったら、モワちゃんは……」
「まあ、しかたなかったんじゃない」
文子は、椅子に座り込んで、静かに歌を歌い始めた。
「青葉城恋歌」だった。やがて範子も声を合わせた。
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人はもういない……
「ほんとだね」
窓からは日光が差し込んできていた。紅恵高校名物、魔の夏期講習も授業時間を過ぎ、普通の高校生なら全員下校しているところである。そこを理由もなにもなしに居残っているのだから、この二人、暇人であった。
「もうね、文子、この空気が、もわっとしてるのはなんとかしてほしいわね。考えただけで、暑さが……文子?」
ふと見ると、文子は、なにか見えないものでも見ているかのようだった。
「文子? どうしたの、文子?」
「しっ。……耳をすませて。なにか、わたしたちのほかにも、ここにいない?」
範子はあきれた、とでもいうように肩をすくめた。
「いるわけないじゃない。ここにいるのは、というより、あるのは、わたしと、文子と、それとこのもわわわわっとした暑苦しい空気だけよ」
「それだよ!」
いきなり、文子は叫んだ。
「な、なによ、文子?」
「それよ。ううん。幻想でもなんでもないわ。わたしに語りかけているのは、この暑い空気よ! 暑い空気が、その熱でもって、わたしにコミュニケーションをとろうとしているんだよ!」
「そんなバカなわけないでしょう。文子、あなた、紫外線に当たりすぎておかしくなっちゃったんじゃないの?」
「違うよ。そうだな……もしかしたら、風を送ればコミュニケーションできるかも。ここをこうして。ここをこうして。わたしの名前は、下川文子。あやこ。わかりますか?」
急にそこらの空気をぱたぱた扇ぎだした文子を見て、範子は、ほっといて帰ろうか、と半ば本気で思った。しかし、自分としては本気で好意を抱いている相手を、危うい状況で放り出していいわけがない。少なくとも、病院へは一緒について行かなくてはまずいだろう。
範子の見ているところ、文子は本格的におかしくなりつつあった。
笑いながら、なにかとしゃべっているようだ。
「そうなの。生まれたばかりなのね。でも、あなたにとっては、遠い昔か。淋しくない? ああ、淋しいってことがわからないのね。淋しいっていうのは、ひとりぼっちでいるときに、心の中に芽生えてくる感情のことよ」
範子はいらいらとしてきた。
「……文子、なにをごちゃごちゃいってるの?」
文子は、ちらりと範子を見た。
「……そうなのよ。あの娘、範子っていうんだけど、ちょっと淋しいことをいってるのよね。いつもはそんなこともないんだけど」
範子は友人の肩を揺さぶった。
「ほんとにしっかりしてよ文子! ここにあるのは、さっきもいったとおり、わたしとあなたのほかには、もわっとした空気だけよ!」
文子は、ぽん、と手を叩いた。
「……そうだ。あなたにも、名前をつけてあげる。もわっとしてるから、モワちゃんっていうのはどう? 熱と空気分子の持つ『場』でできているあなたに、ぴったりだと思うんだけど」
範子は頭を抱えた。文子は、どうやら熱射病かなにかのせいで、脳に重大なダメージを負ってしまったのかもしれない。とにかく、スポーツドリンクと、水で濡らしたタオルだ!
考えたら即行動に移す、というのが範子の基本方針だった。とにかく、まずできること、それは、階下の自動販売機に冷えたスポーツドリンクを買いに走ることだった。
範子は急いで階段を駆け降り、財布から小銭を抜き出して、なんとかいう弱小のメーカーが出した、怪しげなポカリスエットのコピー商品をふた缶買った。文子のほかに、自分も飲むためである。
ちらりと空を見上げた。入道雲がもくもくと成長しているのが見えた。
再び教室に戻ると、文子は表情をこわばらせていた。
「お別れ……どういうこと?」
暑いからでしょう、と、範子はつぶやいたが、文子には聞こえていないようだった。
「空を見ろ……?」
はっとすると、空は暗くなっていた。
「さよならって……」
どっと夕立が降ってきたのは、まさにそのタイミングだった。気温は一気に涼しくなった。
文子は顔を覆って泣き始めた。範子は……とりあえず文子にスポーツドリンクの缶を渡した。
「わたしにはまだ信じられないんだけど」
「モワちゃんはいたよ、絶対に」
文子は頑固だった。夕立を避けた校舎で、鼻をすすりあげながら、スポーツドリンクを飲んだ。
「わたしが悲しいのは、モワちゃんと別れたからだけじゃないの」
「はあ」
「モワちゃんに、淋しい、という言葉を覚えさせてしまったから、というのもあるの。もしわたしが、そんな言葉を覚えさせなかったら、モワちゃんは……」
「まあ、しかたなかったんじゃない」
文子は、椅子に座り込んで、静かに歌を歌い始めた。
「青葉城恋歌」だった。やがて範子も声を合わせた。
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えー……。
あー……。
FIGHT・22と今回のFIGHT・82はパラレルワールドで、別な範子で、別な文子です(^^)
きっと。たぶん。