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    「紅探偵事務所事件ファイル」
    雑記録ファイル

    殺人は缶入りで

     ←多世界宇宙の亡霊たち →紅蓮の街 第一部 5-1
    「煎酒(いりざけ)?」
     そんなことを急にいわれても、なんじゃそりゃである。救いを求めるように紅恵美に目を移すと、さすが財閥の娘、よく知っていた。
    「刺身につけて食べる調味料よ。日本酒をベースに梅干しだの鰹節だのを加えて煮詰めて作るの。煎って作るから煎酒ね。手間ひまかけて作るし、保存もきかないから、一部の食通以外の口に入るチャンスはほとんどなかったけど、最近どこだかのメーカーが一般向けの商品として通信販売をやり始めたはずよ」
    「おいしいんですか?」
    「何回か食べたことはあるけど、醤油なんかとは根本的に違う味がするわ」
     質実剛健を旨として買ってきたと思われる依頼人用の椅子に腰掛けた、岩坪源蔵老人はそれを聞いて相好を崩した。
    「さすがは紅グループ御令嬢でいらっしゃいますな。それなら話が早い。実はうちの会社では安価な、合成の『煎酒』を作りまして……」
     老人はごそごそとポケットから遮光フィルムで真空パックされた、試供品とおぼしき液体入りの小袋を取り出した。
    「あの、岩坪さん、残念ですがあたしは紅グループとはすでに何の関係もない一介の私立探偵ですので、商品を売り込まれても困ります」
     紅恵美の言葉に、老人ははっと気がついたかのように手中の小袋に目をやった。
    「失礼しましたな。最近これにかかりっきりなもので。会う人ごとにこれを差し上げてしまう。因果なものです。別に紅グループさんに売っていただこうなどとは考えてもおりませんでした。でもこうして出したのですから、どうかもらってはくれませんか。わっはっは」
     何がわっはっはだ、という気はしたが指摘すると非礼にあたる。
     椅子同様これまた質実剛健そのものの事務机の上に老人が小袋を置くと、紅恵美は即座に引き出しの中へしまいこんだ。これでこの話はおしまい、という意思表示であったが、岩坪老人はこの試作品に、歳に似合わぬ情熱を燃やしていたのであった。講釈がなお続く。
    「わたしは小さな化学薬品の会社を経営しておりましてな。合成甘味料を中心にやっていたわけですが、いつまでもそれに頼りきりだと先行きは細るばかり、会社に体力があるうちに賭けに出ることも必要だと痛感しましたのが一年前、世間ではまだよく知られていない『煎酒』を合成して市場に問うてみようと思いたち、研究に研究を重ねてやっと形になりかけているのがこれなのです。変質しやすいので一つ一つを使いきりの小袋にしたり、いろいろと工夫が……」
    「岩坪さん」紅恵美はいざ忍耐を強いられるときはいつもの短気さを抑え込むくらいの理性は持っている。だが、事務所に入ってくるや長ったらしい挨拶をし、次に天気の話を始め、その後で紅グループを褒め称え、そして今度は煎酒と、いつまでたっても本題に入ろうとしない依頼人を前にしては、その口調に(慣れていないとわからない程にかすかではあるが)「うんざり」という四文字が滲み出してくるのは避けられなかった。そのうえ、岩坪老人はいったん説明したことをそのつどまた繰り返すときている。現に、化学薬品の会社をやっていることは三回も聞いていた。「あなたの会社のことはよくわかりました。ところで、わたしたちの探偵事務所へいらしたわけをお伺いしたいのですが」
     岩坪老人は不承不承口をつぐむと、手に持っていた鞄を開けてクリアファイルを取り出し、中の袋から一枚の便箋を取り出した。
    「こんな手紙が来ましてな」
    「拝見できますか?」
     便箋が机の上に置かれた。わたしももたれていた壁から身を起こし、机の裏側に廻って、紅恵美とともに便箋の中身を覗き込んだ。

    『新製品 ノ 開発 は やめろ さ もなく ば お前を 殺す』

    「いまどき新聞紙を切り貼りした脅迫状を見られるとは眼福の極みですね」
    「ふざけないの、竜崎。ええと、岩坪さん、警察にはお話しなさったんですよね?」
     岩坪老人は滅相もないとばかりに首を横に振った。
    「警察になんか話してどうなります。いたずらだといわれて、ろくな捜査もなされないままロッカーの中にポイですよ。それに、変に大きな騒ぎになったら……」
    「会社の看板に傷がつくと?」
    「下手をしたら二度と立ち直れないでしょうな」
     おいおい、それはオーバーじゃないのかと思ったが、老人の真面目な顔には、下手なちゃちゃなど何もいわせないだけの迫力があった。
     紅恵美は冷静にいった。
    「岩坪さん、それでもこれは警察に相談すべきことだと思います。わたしたちもこの脅迫状について調査しろといわれたら最大限のことはやりますが、捜査力では警察機関にかないません。生命と、会社の評判とどちらが大事ですか」
     岩坪老人は真剣な顔をして考え始めた。
     紅恵美はため息をついた。
    「いいでしょう。お受けしましょう」

    「ほんとによかったんですか?」
     芋を洗うようなほど混雑した海水浴場で、わたしは海パンにビーチサンダル、似合わないアロハシャツという姿で砂浜に立っていた。麦わら帽子にサングラスをつけた姿は、どう見ても不審人物以外の何物でもない。隣では、海パンのかわりに深緑のワンピース水着を着ていることを除いて似たような格好の紅恵美が、律儀に四方に眼を配っていた。
    「よかったもなにも、仕事じゃない。うちに仕事なんか、たまにしか来ないんだから」
     そういって、紅恵美はサングラスを外し、汗を拭った。
     その瞬間、若いのから爺さんまで周囲の男たちがいっせいにこっちを向いた。わたしが歯をむき出しにして、がるるっ、と威嚇すると、彼らは慌てたようにそっぽを向き、それでも名残惜しそうにこちらをちらっ、ちらっと見るのだった。
     無理もない。この、紅恵美という娘、大財閥の令嬢というだけでは飽き足らず、超がつくほどの美人であり、しかも望むのであれば今からでもハーバードで教鞭が取れるような教養の持ち主であるのだから。生まれついての美貌に、知性と気品とバイタリティが備わっている以上、男の目が釘付けになって理の当然である。
     紅グループといったら、日本では知らないものがない、今をときめく総合商社だ。創業者の紅甚左衛門は独立独歩の人であった。遺言に、こうある。
    「紅家直流の子孫は、十六になったら男女を問わず一国一城の主となるべし」
     どうせ死に際の老人が錯乱していったのだろうから重く受け止めないことにしようと周囲では思ったらしいが、一人だけそれを真剣に考えたやつがいた。甚左衛門から五代下の直系の子孫、われらが紅恵美である。
     長いこと欧州の全寮制の学校で、当人がいうには永平寺も真っ青な生活をしていた紅恵美は、その天才的頭脳の揮いどころを求めていた。ようやく日本に帰って来て、自由を求めて爆発したのもわからないではない。
     結局、なにをして独立を図ったかというと、地下の麻雀賭博と、オンラインの先物取引とであった。このへんの事情を詳しく書くと相場小説として有名な「赤いダイヤ」が三冊くらい書けてしまいそうなので差し控えるが、知力だけを武器に危ない橋を見事に渡りきったのは評価できるだろう。
     結局、まだ十九だというのに、それなりの財産を持った、小さいとはいえビルのオーナーになってしまったのだった。
     それでもまだ野望の半分に過ぎない。紅恵美が、本当になりたかったのは、私立探偵だった。本格推理からハードボイルド、犯罪実話まで、いわゆるミステリというやつが大好きだという理由だけで探偵になってしまったのだから、天才というやつはなにを考えているのかわからない。
     かくして、内調(内閣調査室、要するにスパイだ)のもと機関員だった経歴を買われ、紅恵美の兄の、紅家当主、紅隆太郎に頼まれたわたしは、優秀な弁護士、桑原葵とともに、紅恵美の部下(というかお守り)にされてしまったわけである。それ以来毎日が振り回されっぱなしだ。
     今日もその口らしい。
    「それにしても、ですよ」
     わたしは紅恵美の伸びやかな肢体に目をやらないように細心の注意を払いながら、その瞳を見つめた。
    「いたずらという可能性のほうがはるかに高くありませんか」
    「いたずらだったら、それでけっこうよ。あたしたちのふところには、なにもやらなくても、いくばくかのお金が入るわ」
    「それはたしかにそうですが」
    「わかったら仕事に専念して」
     わたしはボディガードの仕事に戻った。
     海水浴場に来ていたのはわたしと岩坪老人だけではなかった。三人の息子が同行していた。上から順に、源一、浩二、泰三という。
     源一は切れ者のビジネスマンそのものだった。水着その他は、わたしと同じような姿をしていたが、チタンフレームの眼鏡をかけ、身振りのいちいちがやけにビジネスライクである。水に入ってもカネが儲からないと信じたせいか、源蔵の脇の寝椅子で、パラソルの下、気持ち良さそうに睡眠中だった。きっと夜中にも株取引をやっているのだろう。
     浩二は、スポーツマンらしく筋肉質な身体をしていた。今は、源蔵を置いて、一人、泳いでいる。もとは競泳で鳴らしただけあって、かなり泳ぎはうまい。そのうち娘らに声でもかけるのではないだろうか。
     泰三は水着を着ていなかった。短パンにTシャツ。でもこいつは泳ぐわけにもいかないだろう。右手首にギプスをはめていたからだ。源一と同じくパラソルの下で、つまらなそうに司馬遼太郎なんぞを読んでいる。
     当の岩坪源蔵老人は、砂浜の上で、よたよたと準備体操みたいなことをやっていた。タフな爺さんである。
     とても殺人予告が来ているとは思えない。
    「泳がれるのですか、岩坪さん?」
     紅恵美は訊ねた。
    「いけませんか?」
    「お考え直されるべきだと思いますね。海の中なら、見られずに接近することが容易です。刃物を持った暗殺者が近づいてきても、わからないことが充分にありえます」
     確かにそうだが、それをいっては、この、芋を洗うような、混雑を極める砂浜でも、事情はさほど変わらない。ある意味、水中よりもやりやすいかもしれない。銃にせよ、ナイフにせよ、捕まることを恐れていない相手なら……。
     考えすぎか。こんな無害な老人、殺そうとするようなやつがいるわけがない。だいいちあの袋入りの煎酒ときたら。
     わたしは思い出してにやにやした。
    「竜崎」
     紅恵美はそう声をかけてきた。
    「はい?」
    「岩坪さんについていてあげて。あたしは、こっちに残ってるわ」
    「わかりました」
     わたしは波打ち際まで老人の後をついていった。
     老人は、浜辺で波に足をつけてぱしゃぱしゃやっていたが、わたしのほうを見ると、
    「なんだ、所長さんじゃないのか」
     といった。ほんとに元気な爺さんである。
     十分ほど足を濡らした後、泰三が濡らしたハンドタオルを持ってきた。
    「父さん、そのくらいにしてホテルに戻ったほうが……」
    「そうかのう」
     岩坪老人は不承不承立ち上がった。わたしは泰三からタオルを受け取ると、ざっと調べた。特に怪しいところはなかった。
    「なにを調べているんです?」
    「いえ、別に」
     わたしはハンドタオルを老人に渡した。岩坪老人はタオルを首筋に乗せると目を細めた。
    「浩二を呼んできてくれんか」
    「ちょっとぼくは、水には……」
     泰三は右手のギプスを示した。
    「だれもお前に水に入れとはいっとらん。捜して、見つけたら大声で叫べばいいだけだろう」
    「それもそうですね」
     泰三は人ごみをかきわけかきわけ、浩二を捜しに向かった。
    「ホテルに戻りますかな」
     源蔵老人はよたよたと砂浜を戻り始めた。

     ホテルの喫煙コーナーには、わたしたち以外は誰もいなかった。
     煙草を吸おうと思ったが、不覚にもポケットのラッキーストライクはぺちゃんこだった。自販機に目をやったが、ラッキーストライクは売っていなかった。
     結局セブンスターにした。
     袋から一本抜き出し、くわえて火をつけた。
     紅恵美を除く全員が、獣を見るような目でわたしを見ていた。
    「ええと……あの?」
    「そうでした。竜崎さん、煙草を吸われるんでしたね」
     ビジネスマンの源一がいった。
     そんな風にいわれたら煙草を消すしかないではないか。
     わたしは携帯灰皿でセブンスターをもみ消した。要りもしないセブンスター。散財をした感じがする。
     しかし、ここは喫煙コーナーなはずなのに。今の世の中、喫煙者は肩身がせまいものであるなあ。
     煙草が吸えないとイライラする。わたしはドリンクの自動販売機を探した。
     あった。
     コカ・コーラ社製の自動販売機だった。主力品のコカ・コーラをはじめ、今はたいていがツイスト缶である。お茶のペットボトルまでツイストだ(当たり前か)。ツイストでないのは、増量大型缶のコカ・コーラをのぞけばリアル・ゴールドだとか缶コーヒーくらいだった。時代の趨勢というものであろう。普通の缶は一本百五十円、大型缶は百八十円である。暴利だ。
     百円玉二枚を入れてコカ・コーラのボタンを押すと、ごとん、とプルトップ缶が落ちてきた。つり銭と缶をそれぞれの取り出し口から取り出し、わたしはみんなのほうに向かって、蓋を開けながら歩いた。炭酸が漏れる音がして、口が開いた。
    「竜崎。勤務中よ」
    「煙草はよかったんですか?」
    「ニコチン切れたら暴れるでしょ」
     人をなんだと思っていやがる。
     わたしはコーラを一口飲んだ。
     岩坪老人がこちらを見ていた。
    「うまいかね?」
    「ええ、まあ」
    「いくらじゃった」
     わたしは値段をいった。
    「泰三、買ってきてくれんか」
     老人は自販機の一番近くに立っていた岩坪泰三にいった。
     岩坪泰三はギプスをいじっていたが、肩をすくめると自販機に向かって歩いていった。
    「なにを飲みます、父さん」
    「なにがある?」
    「そこで竜崎さんが飲んでいるコーラと、えーと、リアル・ゴールドと、コーヒー、その他といったところですね」
    「じゃ、コーラにしてくれんか」
    「わかりました」
     岩坪泰三はポケットから左手で小銭入れを引っ張り出すと、右手に持ち替えて、やりにくそうに手のひらへ百円玉を振り出した。
    「百八十円もするのか! 高いな、まったく」
    「足元を見ていやがるんですよ」
     そういって、わたしは缶をテーブルの上に置いた。五百ミリリットルは飲みすぎだった。三百三十でよかった。
    「所長もいかがです?」
    「何回もいうけど、勤務中よ」
     実際はカネを払うのが我慢できないのだろう。こんな暴利を取るような海水浴場では特に。
     泰三はどうにか百円玉を投入口に入れ、ボタンを押した。がこん、と音がして五百ミリ缶が転げ出してきた。
     泰三はギプスをはめた手で缶を取ろうとごそごそやっていたが、しまいには諦めて、左手で缶を取り出した。
    「源一兄さん、父さんにこれを持って行ってくれ」
    「自分でもってけよ。……わかったよ、ほら」
     源一は不承不承、缶を老人の元へ持って行った。
     岩坪老人は目を細めながら缶のプルトップを開けた。
     口に運ぶ。
     一口飲み、テーブルに缶を置いた。
    「ずいぶんと辛いものだな……」
     老人がそういった次の瞬間だった。
     いきなり、喉をかきむしるようにして、椅子の上で丸くなった。
    「どうしました!」
     その場にいる全員が、老人のもとに駆け寄った。
     わたしは老人を抱き起こした。口から、あの間違えようもない香りが流れ出てきた。
     泰三が、缶を持ち上げて叫んだ。
    「かすかだけど……アーモンドの臭いがするぞ!」
     わたしはひったくるようにして缶を受け取り、臭いをかいでみた。たしかに、かすかながらアーモンドの香り。
    「青酸だ!」
    「び、病院に電話してきます!」
     泰三は電話を探して、あたふたと喫煙所を出て行った。
     源一は目の前で起きたことに呆然としていたが、ポケットから携帯を取り出すと、ボタンを押し始めた。
     浩二がぽつりとつぶやいた。
    「泰三のやつ、まだ携帯を使わない生活をしていたのか……」

     やってきた警察により、喫煙室は足の踏み場もなくなった。
     わたしたちは食堂に移され、顔を突き合わせて話をしていた。
    「どうして警察が来るんだ。しかもこんなにたくさん。救急車しか呼んでいないのに」
     源一はいらいらとした口調でいった。
    「源一さん、しかたありません。源蔵さんの死は明らかな不審死ですし、青酸中毒となれば警察が来て当たり前です」
     わたしもいった。
    「警察の捜査は、すぐに終わりますよ。いくら不審死といっても、事態は明白すぎるほど明白ですから」
    「明白?」
     そう聞いたのは、泰三だった。この男、自分の客室まで走ってから、そこで外線につないで電話をかけたのである。慌て者なやつだ。
     わたしは慌て者にもわかるように言葉を選んで説明を始めた。
    「明々白々な、異物混入事件です。あの有名な、青酸コーラ事件が、今度は事故で起こってしまった。責任はメーカー側にあります。いいですか。最後に缶を開けたのは、故人でした。その手にはなにも握られていませんでした。毒を入れるチャンスなんか、誰にもありません。工場で入る以外はね」
    「じゃあ、おれたちは?」
     浩二がうってかわっていくらか明るくなった口調でいった。
    「警察のいうことに、正直に答えていれば、すぐに解放してもらえますよ……源一さん?」
     源一は携帯でなにやらやっていた。
     ぶつぶつつぶやいていると思ったら、「売り……売り……売り……」。さすがはビジネスマンだ。うちの所長は動かない。なにを考えているかは知らないが、こういうことは任せることに決めている。
    「でも、それじゃ、父さんに来た脅迫状というのは?」
     泰三が聞いてきた。
    「新聞記事の切り抜きで文章を作っているという時代性、便箋が入っていた封筒を誰も見ていないという事実、それらを考え合わせると、源蔵さんが自分宛に作ったというのが、妥当な判断ではないかと思います。寂しかったんでしょう。それは、あの『煎酒』を見てもわかります。浩二さん、あの製品は、どうでした?」
    「マズかった」
     浩二は、ぼそっといった。
    「あんな強烈な味の代物、商品化なんかできやしない。おやじは味覚がどうかしてたんだ」
    「そうでしょう。商売に必要な味覚が衰えて来たあの人は、寂寥感に悩まされていた。かといって事業を息子たちに譲るとさらに寂寥感が募るだろう。そう思った源蔵さんは、自分に脅迫状が来たかのように装うことによって、注目を集めようとしたのでしょうね」
    「そうか……おやじ……ひとこと相談してくれたら……」
     浩二はがっくりと肩を落とした。
    「ところで、探偵さん、父を狙った計画的な殺人事件、という線は本当にないのですか?」
     源一が携帯を切って、せかせかとした調子でいった。
    「ほぼ、ないと考えていいでしょう。まず、完全に密封されたコーラの缶にどうやって毒物を入れるのか。次に、それがどうやって源蔵氏の口に入ることを予測できたのか。最後に、コーラの缶をどうやって自動販売機に入れることができたのか。わたしは警官が来る前にも自動販売機を見てきましたが、あそこにはすりかえられて残った缶なんか存在しなかった。缶が、自動販売機にあったほやほやのものだったことは、泰三さんが買ったときに機械が反応した音をみなさんも聞いていることから明白です。こんな、犯罪がもし行われたとしたら仮定される、ある意味での二重密室事件など、存在してたまるものですか。そんなものを認めるくらいなら、むしろオッカムの剃刀をわたしは支持したいですね」
    「紅恵美さん」
     わたしがいい終わったとき、警察が紅恵美を呼んだ。事情聴取が始まったのだ。

     紅恵美の聴取はなかなか終わらなかった。
    「あいつ、なにやってるんだ……?」
     首をひねった。
     これはただの異物混入事件だろう?
    「竜崎巧さん」
     わたしは立ち上がると、促されるままに別室へと向かった。
     ホテルの一室で、応対したのは、四十がらみの、岩を削って作ったような面をした刑事だった。
    「あの娘はなんなんだ」
     名前をとか、事件でなにを見たのかなどという言葉はなしに、いきなりそういわれた。
    「わたしの上司だ」
    「上司? いくつだよ?」
    「十九だ。それでも恐ろしいほどのやり手だぞ」
     わたしは違法行為は除いて、紅恵美の人間について話させられた。
    「……と、いうわけだ、刑事さん。これが事件になんの関係が? ただの事故だろう?」
    「訊いているのはこちらだ。岩坪源蔵氏が死んだとき、見たものを教えてほしい。わかるな?」
     わかった。おとなしく、自分がコーラを買ったところから話し始める。
    「……で、わたしは岩坪氏が飲み終わったコーラの臭いをかいでみた。泰三氏のいったとおり、アーモンドの臭いがした。聞きたいんだが、コーラのあれは青酸だったのか?」
    「ああ」
    「だとしたらわたしに聞くこともないはずだ。工場での不手際まで責められちゃたまらん」
    「こちらも仕事なんでな」
     それをいわれると弱い。
     結局、二度も三度も同じことを、洗いざらいしゃべることとなった。しゃべって悪いこともなかろう。
     こちらもいいかげん飽きたところで、刑事がいった。
    「よし、これくらいでいいだろう。竜崎さん?」
    「なんです?」
    「……あんたも苦労するな」
    「どういう意味です?」
     苦労しているのはその通りだが。
     わたしは呼ばれたとき以上に困惑しながら解放された。

    「遅かったわね」
     紅恵美はフロントの椅子のひとつに腰かけてわたしを待っていた。すでに着替えは済んでいる。わたしが聴取されている間に着替えたらしい。
    「所長、あなたのことを訊かれましたよ。いったい、なにを話したんです。異物混入事件に話すようなことはなにもないと思うんですが」
    「異物混入事件?」
     紅恵美は鼻で笑った。
    「これは計画的な殺人事件よ」
    「殺人事件? そんなこと、あるわけがないじゃないですか」
    「そうでもないのよ。竜崎、あんたが着替えている間に説明するから、部屋へ戻りましょう」
     わたしは考えながら後についていった。どういうことなのだ?
     部屋にたどりつくと、わたしは服を片手にユニットバスに飛び込み、扉を閉めた。
    「いいですよ。話してください」
    「あたしが不審に思ったのは、泰三氏が源蔵氏の質問に答えた答えかただった」

    ……『そこで竜崎さんが飲んでいるコーラと、えーと、リアル・ゴールドと、コーヒー、その他といったところですね』

    「なぜ、コーラと、リアル・ゴールドと、コーヒーなのか。ほかにも老人が好みそうなドリンクはあったはずよ。緑茶とかね。そして、泰三氏が買ったものも覚えてる?」

    ……『泰三はどうにか百円玉を投入口に入れ、ボタンを押した。がこん、と音がして五百ミリ缶が転げ出してきた』

    「コーラの五百ミリ缶。老人の飲むものではないわ。それに、老人に飲ませるのなら、もっと手ごろなものがあったはずよ。三百三十ミリ缶が、同じ自動販売機に並んでいたはずよね?」
    「ちょっと待ってください。ということは、泰三が、わざと自販機から毒の混入している缶を買ったと、こういいたいんですか? でもそのためには、あらかじめ鍵のかかっている自販機の中に缶を入れなければならないですし、だいいち、空けていない缶に、どうやって毒を混入するんです?」
    「もうちょっとまともにものが考えられるんじゃないかと思っていたんだけど、そうでもなさそうね」
     大きなお世話だ。
    「さっき、竜崎は、この事件はある種の二重密室だ、といったわね? そうじゃなかった。犯人は、密室なんてものは作らなかった。泰三氏が、缶を自動販売機から取ったときのことを覚えてるわよね?」

    ……『泰三はギプスをはめた手で缶を取ろうとごそごそやっていたが、しまいには諦めて、左手で缶を取り出した』

    「犯人、もう告発してるも同然だからいってしまうけど、犯人の泰三氏がやったことは簡単の極みみたいなものよ。ギプスに隠した、青酸化合物の入ったチューブかスポイトのようなもので、缶の飲み口に毒を塗る。これだけ。これで、なぜ泰三が自販機の品についてああ答えたのかも明白になるわね。それは、ツイスト缶の飲み口には毒物を塗ることができないからよ」
    「じゃ……飲み口に毒を塗りつけられた缶が老人に手渡され、それを老人が口をつけた、というんですか?」
    「その通りよ。飲み口に残った青酸化合物は、流れるコーラと唇に拭われて消えてしまう。よく考えたものだわ」
    「そんな……でも所長、ひとつ重大なことを忘れていますよ。警察によれば、コーラの中からも青酸は検出されたそうですし、だいいち、かすかながらアーモンドの香りがするのをわたしは嗅いでいるんですからね」
    「しっかりしてよ、老人が倒れて、全員の注意がそちらに向いた一瞬、開けられた後の缶に、犯人が混入したに決まってるじゃない」
    「缶を運んでいる間に臭いがしなかった理由は」
    「竜崎も、缶のコーラを嗅いだときに、かすかにしか感じなかったんでしょう? 泰三が、持ち運びを簡便にするためと、臭いを抑えるため、なんらかの薬品を加えて処理したんでしょうね」
    「その薬品が入った容器はどこへ?」
    「彼が電話をかけに行った際、どこかのトイレかなにかに流して処分したんでしょう。あれも疑惑を持たれる行動だったけれど、現に、ほかにチャンスはなかったことを考えればぎりぎりの行動だったのかもね」
     紅恵美はこちらをじっと見た。
    「ほかに聞きたいことは?」
     なかった。

     一ヵ月後、一通の手紙が、わが紅探偵事務所に届いた。
     拘置所にいる岩坪泰三からだった。
     あの事件は、事実上その日のうちに決着がついてしまっていたのをわたしは思い出した。警察の鋭い追及と、トイレの浄化槽から発見された、青酸化合物の反応があるチューブの存在とによって岩坪泰三は自白したのだ。この早期の解決は、警察の名誉挽回のかっこうのシンボルとなり、一週間くらいワイドショーを湧かせたものだった。
     それが、なぜ?
     先程から、真剣な顔で手紙を読んでいる紅恵美を見ながら、わたしは物思いにふけった。
     やがて、紅恵美は手紙を畳んだ。
    「所長、なにが書いてあったんですか?」
    「読む?」
     手紙を受け取り、開いた。
     文面はこのように始まっていた。

    『紅恵美様。
     弁護士さんから、本当は事件を最初に解決したのはあなただということを聞きました。Vicisti,Galilæe!(汝は勝てりガリラヤ人よ!)といわせてください。わたしもブラウン神父くらいは読むので。
     警察には、動機について、ただ、金のためだとしかいいませんでした。真の動機を話しても、信じてもらえないと思ったからです。
     わたしは父を憎んではいませんでした。あれは愛の行為だったのです。
     詳しく説明します。
     あなたはバラエティー番組などをごらんになるでしょうか。
     その番組が放映されたのは一年ほど前でした。医学バラエティーとかで、ありとあらゆる危険な病気を取り上げて、おもしろおかしく解説する番組です。もちろん、見ている人を震え上がらせることも忘れてはいません。
     家族の誰かが切り忘れたのでしょうか、ついていたテレビで、そのとき取り上げられていた病気は、アルツハイマーでした。父はそれを食い入るように見つめていました。覚えがあったのです。番組中でピックアップされる兆候は、父のそれにどんぴしゃでした。
     その場でわたしに録画させたものを何度も何度も視聴した末、父はわたしに、毎日のようにねだって来るようになりました。
     自分の死をです。
    「お願いじゃ、泰三……わしは、これ以上生きて、皆に迷惑をかけたくないんじゃ……」
     耳にタコができるほど聞かされました。最初はわたしも聞き流していましたが、何度も繰り返されるうちに、自分自身でも、その気になってきたのです。
     とどめは、あの「煎酒」でした。あんなまずいもの、この世に二つとありません。このままほっておいては、なにをしでかすかわからない、と思ったわたしは、父に引退を勧めましたが、断られました。父の中では引退と自分の死とは別問題で、仕事の最前線に立ったまま死ぬというのが理想の死に方だったのです。
     どんな悪魔がささやいたものでしょうか。わたしは、これなら事故死に見せかけられる、という方法を思いつきました。計画を実行する、そのことを考えただけでどきどきしました。
     結局、わたしは一線を越えてしまったのです。後は、あなたの推理どおりです。
     あの「脅迫状」を思いついたのはわたしです。父に作ってもらいました。これは、殺人を行うに当たって、誰でもいいから「第三者」に現場にいてもらいたかったからです。大企業の令嬢が、道楽でやっている探偵事務所なら、その条件におあつらえ向きだと考えたのですが、それが命取りになってしまいました。
     弁護士さんの話だと、どうやら死刑は免れるようですが、それがなんになるというのでしょう。わたしにはもう、行くところは、迎え入れてくれるところは、どこにもないのです。
     いっそ死刑になりたい。

     岩坪泰三』

     わたしはため息をついて、手紙を机の上に置いた。
     紅恵美もまた、ため息をついた。
    「逃がしちゃったわね……」
    「なにをですか?」
    「犯人よ」
    「岩坪泰三は法の手に……」
     紅恵美はかぶりを振った。
    「彼じゃないわ。今回の事件で、一番儲けたやつ」
    「?」
    「おそらくは計画的にテレビをつけっぱなしにし、岩坪老人に番組を見せて自殺願望を引き起こし、事件が起こるや否やコカ・コーラの株を売り払い、底値になったところで買い戻したであろう人物、岩坪源一。やつを裁く法律は、どの世界にも存在しない」
    「……」
    「竜崎、煎酒はまだあったっけ?」
    「どうするんです、そんなもの?」
    「兄貴の会社に送るのよ。きっと改良品を作ってくれるでしょう」
     紅恵美は手紙を畳むと、引き出しにしまった。
    「老人の見た夢を、あたしも見たくなってね……」

    * * * * *

     いつぞやの冬コミで、もう一本の紅探偵事務所事件ファイルのショートショートと組ませて同人誌を作って売った作品。

     わたしにしてはトリックに凝った珍しいド本格であったが、売った後で友人から「昔のコナンにこういうのあったよ」といわれてガッカリした思い出の作品でもある。

     二回か三回に分載しようかとも思ったが、この内容で分載もないだろう、と一括掲載した。

     一括なので「雑記録ファイル」に入れる。もったいないかもしれん。
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    Re: fateさん

    わたしは冒頭とラストは決めますが、その間の航海はもう波乱万丈というか一寸先は闇というか(笑)

    自ら、「ドラゴンクエスト的執筆」といっています(爆)

    ちなみにこの方式で推理長編を書こうとしたら、難破して幽霊船になってしまいました(笑) 紅恵美と竜崎巧のコンビは、わたしの小説の中でもかなりの古株なのですが、ふたりを活躍させるはずが破綻。とほほほ。ごめん紅恵美。意外な動機とどんでん返しは考えたんですがねえ。物理的トリックがねえ……アイデア、アイデア……。

    すごいです~

    何が?って、こういう推理モノを描けるだけで既に尊敬です!
    fateは展開もラストもどうなるのか、皆目分からずに突き進むバカですので、最後に辻褄合わせに翻弄されてみたり、意外な展開に、自身が「おお!」と驚いたり、いやぁ、波乱万丈です(^^;

    一気に最後まで引き込まれました!
    さすが、恵美さん!素晴らしい!
    かなり憧れです。

    またお邪魔させていただきます(^^)

    Re: トゥデイさん

    まあ書いちまった小説は書いちまったんですし、そういうことで悩んでいても始まらないのでまた新しいネタを探すわけですが。

    ネタを考えるたびに、E・D・ホック先生の偉さが身にしみてわかるであります。

    >昔のコナンにこういうのあったよ
    これへこむでしょうねえ。某推理ゲーの脚本家なんか指摘した人にそのトリックでやられろと言ったそうな。
    とはいえ小道具一個で済むトリックって本当に使い尽くされてますから。
    他に毒を塗る場所と言えばティーカップの右手で持った時に口を付けるフチとか切手の裏とか。

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    Re: 鍵コメさん

    お話はごもっともですので以降努力したいと思いますが、

    わたしはなにが嫌いといって、

    ケータイ小説やオンライン小説で、文章と文章の間にこれでもかとばかりに空けられる「改行」というやつが大嫌いで……。

    今日の「紅蓮の街」連載再開からは、とりあえず空けてみますが、なにかとんでもない罪悪をしている感じにとらえられる(^^;)

    別名アナログ病(爆)

    Re: ミズマ。さん

    桑原葵さんは出すのが難しいんですよ。

    基本的にあの人、優秀な弁護士という設定ですので、

    「法律的知識がほとんどゼロのわたしには使いこなせない!(笑)」

    という……(^^;)

    Re: ネミエルさん

    コナンくーん! とはいかんでしょう。毛利小五郎という名探偵がいることですし(笑)

    神谷氏、どうして……。

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    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    医療バラエティはほんとに軽くへこみますよね(;_;)
    だからあまり見たくありません。ああいったの番組のおかげで病院が見つかったケースもあるんでしょうけれど……。


    紅嬢とその助手+まだ見ぬもうひとりの助手の、ますますの活躍を心待ちにしておりますよー。

    NoTitle

    ぺろっ・・・

    これは・・・っ

    青酸カリ!?

    がはっ

    コナンくーーーん!!


    見たいな展開はないんですかね・・・
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