「紅蓮の街(長編ファンタジー・完結)」
第一部 沈黙の秋
紅蓮の街 第一部 6-1
6
その男は、命を救われて感謝しているようには見えなかった。
恐怖と驚愕、そしてなによりも、男の振る舞いからわかるのは、その悲しいまでの混乱ぶりだった。
「……わしをどうする気だ。お前たちは何者だ!」
袋をかぶせられて荷物同然にサシェル・イルミールの屋敷に連れてこられた男は、解かれた後も無人の部屋でそう叫び続けた。
「会ってあげてもいいんじゃないの? サシェル男爵」
芸術的価値の高い貴重な油彩画をこともあろうにランタンで鑑賞しながら、ナミはサシェルにいった。
サシェルは、愛玩する『左手』も『金』も手許にないことに腹を立てていた。
「あいつは、もうちょっと暴れさせておけ。いくらか気力がなくなったころ、わたしが面会する」
ナミは笑った。
「よほど腹を立てているのね。いいじゃない、切り込んでいったあなたの兵隊には一人の死者も出なかったんでしょう?」
「代わりに女中がひとり死んだではないか」
ナミはランタンをもてあそんだ。
「それは、サシェル男爵、あなたがあたしの食事に遅効性の毒を盛ったからじゃない。毒物学をかじっていると、あの毒には早期のうちに、身体の一部に明晰な反応が現れることくらいわかるようになるのよ」
ナミは昏く笑った。
「即座にあの娘を吐かせようとしたあたしを、美術品が汚れるからという理由で押し止め、結果的に殺してしまったのはどこのどなたかしら?」
「牝狐め、わたしはあの娘にも目をかけておったのだぞ。お前があんなことさえやらなければ、次にわたしの前に左手を差し出してくれたのはあの娘だったはずなのに」
「それは残念だったわね。無用の猜疑心は人を滅ぼすもとだって、男爵についていた家庭教師は、修身の教科書を手に教えてくれなかったの?」
「修身の話はただわたしにとってはつまらないだけだった。妙なことを思い出させるな、ナミ」
「あらそう? あれって面白いのよ。どこをどうすればより効果的に人を裏切れるかとか、ためになることがいっぱい書いてあるじゃない」
「あの男と、そいつが持ってきたものも、お前の裏切り行為ではなかろうな。要するに、『嘘』ということだが」
「それについてはほんとうよ」
ナミは真顔になった。
「ガスが不手際を起こして、現物を持ってこられなかったのが唯一の失敗だけどね」

その男は、命を救われて感謝しているようには見えなかった。
恐怖と驚愕、そしてなによりも、男の振る舞いからわかるのは、その悲しいまでの混乱ぶりだった。
「……わしをどうする気だ。お前たちは何者だ!」
袋をかぶせられて荷物同然にサシェル・イルミールの屋敷に連れてこられた男は、解かれた後も無人の部屋でそう叫び続けた。
「会ってあげてもいいんじゃないの? サシェル男爵」
芸術的価値の高い貴重な油彩画をこともあろうにランタンで鑑賞しながら、ナミはサシェルにいった。
サシェルは、愛玩する『左手』も『金』も手許にないことに腹を立てていた。
「あいつは、もうちょっと暴れさせておけ。いくらか気力がなくなったころ、わたしが面会する」
ナミは笑った。
「よほど腹を立てているのね。いいじゃない、切り込んでいったあなたの兵隊には一人の死者も出なかったんでしょう?」
「代わりに女中がひとり死んだではないか」
ナミはランタンをもてあそんだ。
「それは、サシェル男爵、あなたがあたしの食事に遅効性の毒を盛ったからじゃない。毒物学をかじっていると、あの毒には早期のうちに、身体の一部に明晰な反応が現れることくらいわかるようになるのよ」
ナミは昏く笑った。
「即座にあの娘を吐かせようとしたあたしを、美術品が汚れるからという理由で押し止め、結果的に殺してしまったのはどこのどなたかしら?」
「牝狐め、わたしはあの娘にも目をかけておったのだぞ。お前があんなことさえやらなければ、次にわたしの前に左手を差し出してくれたのはあの娘だったはずなのに」
「それは残念だったわね。無用の猜疑心は人を滅ぼすもとだって、男爵についていた家庭教師は、修身の教科書を手に教えてくれなかったの?」
「修身の話はただわたしにとってはつまらないだけだった。妙なことを思い出させるな、ナミ」
「あらそう? あれって面白いのよ。どこをどうすればより効果的に人を裏切れるかとか、ためになることがいっぱい書いてあるじゃない」
「あの男と、そいつが持ってきたものも、お前の裏切り行為ではなかろうな。要するに、『嘘』ということだが」
「それについてはほんとうよ」
ナミは真顔になった。
「ガスが不手際を起こして、現物を持ってこられなかったのが唯一の失敗だけどね」
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~ Comment ~
NoTitle
あいからわず頭が切れるなぁ。
すばらしい人だ。
左手を針でディユクディユク刺されるのってどんな気分なんだろう
痛そうだなぁ・・・
すばらしい人だ。
左手を針でディユクディユク刺されるのってどんな気分なんだろう
痛そうだなぁ・・・
- #2275 ねみ
- URL
- 2010.10/06 22:28
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Re: ネミエルさん
カフカにこんなのあったな……。