ささげもの
矢端想さんお返し西部劇ショートショート!
「荒野の範子と文子」の美麗なカラーイラストを描いてくださった「妄想の荒野」の矢端想さんにお返しの西部劇ショートショートです。急いで書いたから雑になってしまった。
お読みになる際は、「荒野の決闘」でも「駅馬車」でも、好きな映画を頭に思い描いてください。
ではどうぞ。
× × × × ×
林檎ジュースひと瓶
バーボンが切れた。
サイモン・キングストン医師は舌打ちをすると、よたよた歩きながら医療戸棚に向かった。中には、病院には欠かせないものが置いてあるのだ。
消毒用アルコール。そのまま飲むにはちょっときついが、水かなにかで割ればなかなかいける酒となる。
無精ひげだらけのサイモンは、まだ三十の坂を越えたばかりだというのに、ちょっと見ただけでは五十にも思えた。
こんなに老けて見えるのは、アリゾナのこの田舎町へ流れてくる前に住んでいた、東部の街で子供を手術していて失敗し、殺したのが原因だ、と口さがないものは噂した。それが本当だとも嘘だとも、サイモン医師は語らなかった。
語る必要もなかった。手術用の刃物を握るときだけ醒めていて、手が震えておらず、無事に弾丸さえ抜いてくれれば、後はどうでもいい、というような男たちしか、この街にはいなかったのだから。
女といえば、娼館か飲み屋か、その双方を掛け持ちにしているいかがわしい宿屋にしかいなかった。
……いや、例外がひとりいた。
サイモン医師は、消毒用アルコールに伸ばしかけた手を引っ込めて、激しく自分の医院の扉を叩きながらなにやら叫んでいる甲高い声に眉をひそめた。
「ドクター! いるんだろ! 開けな! いるんだろ! 藪!」
サイモン医師は医療戸棚に行くときよりもよたよたした足取りで、戸口へ向かった。
「わめかないでも聞こえるぞ、こんな夜中にどうした、スキニー」
ぶつぶついいながらサイモン医師は扉の鍵を開けた。
そこにはふたりの女がいた。うち、立っているのはひとりだけだった。
スキニー(やせっぽち)・メリー。姓は知らない。むっちりした、肉感的な女で、女にしては珍しいことに、拳銃使いを商売にしていた流れ者だった。
メリーはガンマンにしては悪くない顔を真っ青にして叫んだ。
「藪! さっさと酒を抜くんだよ! エレンとガキが死んじまう!」
ぱっと見て、事態の容易でなさは、酩酊中のサイモン医師にも見当がついた。
メリーが抱きかかえている女は、この町の娼館で働いていた、娼婦のエレンだった。
エレンは産気づいていた。それだけならば、そこまで慌てることもない。サイモン医師は出産と(違法ではあったが)堕胎については、この町に来てから数限りなくこなしてきた。弾丸を抜くのと同じくらい確実に、子供をとりあげる自信はある。
しかし。
エレンの衣服には、血がべったりとこびりついていた。外からついた血ではない、そう医師は判断した。
「お前が止血をやったのか」
「そうさ」
ふたりでうめくエレンをかついで院内へ入れると、サイモン医師は水に塩を入れ、濃い塩水を作り始めた。
「なにがあったのか、手短に話せ」
「なにもくそも、ジョニーの女たらしが、この女を孕ませて、そのままずらかっちまったのさ。あたしは忠告したんだけどね。ナイフで自分を突いて、こうさ」
「やれるだけのことはやる。協力してくれ」
サイモン医師はややためらうように、自分の作った塩水のカップを見た。
「協力するけど、その塩水はなんに使うんだい? お産や手術に塩水を使うなんて、聞いたことがないけど」
「これか。これは……こう使うんだ!」
サイモン医師はカップの塩水を、一息に飲み干すと、外へ飛び出して、喉に指を突っ込んだ。
たちまちのうちに、食道の奥から、胃にたまっていた大量のバーボンが胃液とともに吐き出されてきた。
メリーはそれをちらりと一瞥すると、火をおこして湯を沸かし始めた。
やがて、胃袋の中のものを全て吐き出し、肩で息をしていたサイモン医師に、メリーは湯気の立つカップを渡した。
「ぬるめだが、飲んでおくれ」
匂いだけで、サイモン医師にはそれがなんであるかわかった。
「気が利くな。だったら、もっと湯を沸かしておけ」
サイモン医師はその、ぬるいが異常なほどに濃いブラックコーヒーを飲むと、また喉に指を突っ込んで吐きはじめた。
朝が来た。
汗みずくで、体内から赤子を引っ張り出したサイモン医師は、へその緒を切ったその子を産湯につけているメリーの後ろで、深々と椅子に腰を下ろした。
「奇跡だ」
赤子は女の子だった。その子の泣き声ばかりが大きく響くこの部屋で、サイモン医師はバーボンを探して手を宙に泳がせた。
「エレンが死ぬ前に、こうして子供をとりあげられた……」
それを聞いて、メリーは不意にその手を止めた。
「なんだって?」
「エレンが死ぬ前に、子供を救えたのは奇跡だ、といったんだ。ひと目見ただけで、母体は助からないことがわかって……」
「この藪っ!」
メリーの手が腰のガンベルトに伸びたかと思うと、振り向きざまに拳銃の銃把が医師の頭をしたたかに打った。
サイモン医師は昏倒した。
「……先生、先生」
サイモン医師が気がついたときには、メリーの姿はなく、両替商の幼い息子が、心配そうな顔で医師の身体を揺すっていた。
「……赤ん坊は?」
割れそうに痛む頭を押さえながら、サイモン医師は少年に尋ねた。
「そこの揺りかごに寝てるよ。でも、おいら、その子をどうしたらいいかわからなくて。それに、隣の部屋には……エレンさんでしょ? お祈りをしてあげないと、かわいそうだよ」
「メリーめ……」
サイモン医師は毒づいた。
十八年の時が流れた。
町は、あの荒れ果てた町とは思えないほどの発展を見せていた。ごく近くに、石炭の鉱脈が見つかったのだ。
「両替商の息子が今やいっぱしの銀行の若主人か」
顔に年齢相応の皺を刻んだサイモン医師が、養女とその婿を満足げに見ながら、林檎ジュースの杯を干した。
「アリス、お前も知っていただろうが、お前が生まれた日にあったのは、今話したとおりの、そういうことだったのさ」
「お義父さん、男手ひとつで、ぼくの妻をここまで美しく優しい女性に育ててくれたことを感謝します。大好きなお酒も断たれて……」
両替商の息子は頭を下げた。あのときの赤ん坊、アリスは、そんな夫を見て頬を染めた。
「それにしてもメリーのやつ、わしをあんなふうに殴ることもなかったじゃないか」
「それですけどね、お義父さん」
両替商の息子はいった。
「ぼく、そのメリーという女性が、この病院を出て行くところを見ているんです」
「ほう?」
「涙を浮かべながら、何度も揺りかごを揺らしていました。いったんは揺りかごを抱きかかえたのですが、ぼくに気づくと、揺りかごを下ろして、そのまま逃げるように病院を出て行ってしまいました」
「…………」
「そのとき、確かに、その女の人は、泣いているように見えたんですが」
「ふたりとも」
サイモン医師は壁の時計を見て、新婚のふたりにいった。
「もう遅い。年寄りはひとりになることにするよ」
「お義父さんは年寄りなんかじゃ……」
「ひとりにしてくれないか」
サイモン医師は、なにがなんだかわからない、という顔をしたふたりを置いて、二階の自室へ向かった。
「メリー……あの馬鹿女……」
真っ暗な部屋でひとりきりになったサイモン医師は、押し殺した声でつぶやいた。
「人の親になる資格なんか自分にはない、と思っていたのは、お前だけじゃないんだぞ。もしもお前がそばにいてくれたら、おれの苦労も、半分になっていたんだぞ!」
サイモン医師は、バーボンを探すかのように手を宙に泳がせた。
手に届く範囲にあったのは、いつも飲んでいる瓶詰めの林檎ジュースがひと瓶だけだった。
サイモン医師は、苦い笑みをもらすと、栓抜きで林檎ジュースの瓶を開け、そのまま口をつけて飲み始めた。
お読みになる際は、「荒野の決闘」でも「駅馬車」でも、好きな映画を頭に思い描いてください。
ではどうぞ。
× × × × ×
林檎ジュースひと瓶
バーボンが切れた。
サイモン・キングストン医師は舌打ちをすると、よたよた歩きながら医療戸棚に向かった。中には、病院には欠かせないものが置いてあるのだ。
消毒用アルコール。そのまま飲むにはちょっときついが、水かなにかで割ればなかなかいける酒となる。
無精ひげだらけのサイモンは、まだ三十の坂を越えたばかりだというのに、ちょっと見ただけでは五十にも思えた。
こんなに老けて見えるのは、アリゾナのこの田舎町へ流れてくる前に住んでいた、東部の街で子供を手術していて失敗し、殺したのが原因だ、と口さがないものは噂した。それが本当だとも嘘だとも、サイモン医師は語らなかった。
語る必要もなかった。手術用の刃物を握るときだけ醒めていて、手が震えておらず、無事に弾丸さえ抜いてくれれば、後はどうでもいい、というような男たちしか、この街にはいなかったのだから。
女といえば、娼館か飲み屋か、その双方を掛け持ちにしているいかがわしい宿屋にしかいなかった。
……いや、例外がひとりいた。
サイモン医師は、消毒用アルコールに伸ばしかけた手を引っ込めて、激しく自分の医院の扉を叩きながらなにやら叫んでいる甲高い声に眉をひそめた。
「ドクター! いるんだろ! 開けな! いるんだろ! 藪!」
サイモン医師は医療戸棚に行くときよりもよたよたした足取りで、戸口へ向かった。
「わめかないでも聞こえるぞ、こんな夜中にどうした、スキニー」
ぶつぶついいながらサイモン医師は扉の鍵を開けた。
そこにはふたりの女がいた。うち、立っているのはひとりだけだった。
スキニー(やせっぽち)・メリー。姓は知らない。むっちりした、肉感的な女で、女にしては珍しいことに、拳銃使いを商売にしていた流れ者だった。
メリーはガンマンにしては悪くない顔を真っ青にして叫んだ。
「藪! さっさと酒を抜くんだよ! エレンとガキが死んじまう!」
ぱっと見て、事態の容易でなさは、酩酊中のサイモン医師にも見当がついた。
メリーが抱きかかえている女は、この町の娼館で働いていた、娼婦のエレンだった。
エレンは産気づいていた。それだけならば、そこまで慌てることもない。サイモン医師は出産と(違法ではあったが)堕胎については、この町に来てから数限りなくこなしてきた。弾丸を抜くのと同じくらい確実に、子供をとりあげる自信はある。
しかし。
エレンの衣服には、血がべったりとこびりついていた。外からついた血ではない、そう医師は判断した。
「お前が止血をやったのか」
「そうさ」
ふたりでうめくエレンをかついで院内へ入れると、サイモン医師は水に塩を入れ、濃い塩水を作り始めた。
「なにがあったのか、手短に話せ」
「なにもくそも、ジョニーの女たらしが、この女を孕ませて、そのままずらかっちまったのさ。あたしは忠告したんだけどね。ナイフで自分を突いて、こうさ」
「やれるだけのことはやる。協力してくれ」
サイモン医師はややためらうように、自分の作った塩水のカップを見た。
「協力するけど、その塩水はなんに使うんだい? お産や手術に塩水を使うなんて、聞いたことがないけど」
「これか。これは……こう使うんだ!」
サイモン医師はカップの塩水を、一息に飲み干すと、外へ飛び出して、喉に指を突っ込んだ。
たちまちのうちに、食道の奥から、胃にたまっていた大量のバーボンが胃液とともに吐き出されてきた。
メリーはそれをちらりと一瞥すると、火をおこして湯を沸かし始めた。
やがて、胃袋の中のものを全て吐き出し、肩で息をしていたサイモン医師に、メリーは湯気の立つカップを渡した。
「ぬるめだが、飲んでおくれ」
匂いだけで、サイモン医師にはそれがなんであるかわかった。
「気が利くな。だったら、もっと湯を沸かしておけ」
サイモン医師はその、ぬるいが異常なほどに濃いブラックコーヒーを飲むと、また喉に指を突っ込んで吐きはじめた。
朝が来た。
汗みずくで、体内から赤子を引っ張り出したサイモン医師は、へその緒を切ったその子を産湯につけているメリーの後ろで、深々と椅子に腰を下ろした。
「奇跡だ」
赤子は女の子だった。その子の泣き声ばかりが大きく響くこの部屋で、サイモン医師はバーボンを探して手を宙に泳がせた。
「エレンが死ぬ前に、こうして子供をとりあげられた……」
それを聞いて、メリーは不意にその手を止めた。
「なんだって?」
「エレンが死ぬ前に、子供を救えたのは奇跡だ、といったんだ。ひと目見ただけで、母体は助からないことがわかって……」
「この藪っ!」
メリーの手が腰のガンベルトに伸びたかと思うと、振り向きざまに拳銃の銃把が医師の頭をしたたかに打った。
サイモン医師は昏倒した。
「……先生、先生」
サイモン医師が気がついたときには、メリーの姿はなく、両替商の幼い息子が、心配そうな顔で医師の身体を揺すっていた。
「……赤ん坊は?」
割れそうに痛む頭を押さえながら、サイモン医師は少年に尋ねた。
「そこの揺りかごに寝てるよ。でも、おいら、その子をどうしたらいいかわからなくて。それに、隣の部屋には……エレンさんでしょ? お祈りをしてあげないと、かわいそうだよ」
「メリーめ……」
サイモン医師は毒づいた。
十八年の時が流れた。
町は、あの荒れ果てた町とは思えないほどの発展を見せていた。ごく近くに、石炭の鉱脈が見つかったのだ。
「両替商の息子が今やいっぱしの銀行の若主人か」
顔に年齢相応の皺を刻んだサイモン医師が、養女とその婿を満足げに見ながら、林檎ジュースの杯を干した。
「アリス、お前も知っていただろうが、お前が生まれた日にあったのは、今話したとおりの、そういうことだったのさ」
「お義父さん、男手ひとつで、ぼくの妻をここまで美しく優しい女性に育ててくれたことを感謝します。大好きなお酒も断たれて……」
両替商の息子は頭を下げた。あのときの赤ん坊、アリスは、そんな夫を見て頬を染めた。
「それにしてもメリーのやつ、わしをあんなふうに殴ることもなかったじゃないか」
「それですけどね、お義父さん」
両替商の息子はいった。
「ぼく、そのメリーという女性が、この病院を出て行くところを見ているんです」
「ほう?」
「涙を浮かべながら、何度も揺りかごを揺らしていました。いったんは揺りかごを抱きかかえたのですが、ぼくに気づくと、揺りかごを下ろして、そのまま逃げるように病院を出て行ってしまいました」
「…………」
「そのとき、確かに、その女の人は、泣いているように見えたんですが」
「ふたりとも」
サイモン医師は壁の時計を見て、新婚のふたりにいった。
「もう遅い。年寄りはひとりになることにするよ」
「お義父さんは年寄りなんかじゃ……」
「ひとりにしてくれないか」
サイモン医師は、なにがなんだかわからない、という顔をしたふたりを置いて、二階の自室へ向かった。
「メリー……あの馬鹿女……」
真っ暗な部屋でひとりきりになったサイモン医師は、押し殺した声でつぶやいた。
「人の親になる資格なんか自分にはない、と思っていたのは、お前だけじゃないんだぞ。もしもお前がそばにいてくれたら、おれの苦労も、半分になっていたんだぞ!」
サイモン医師は、バーボンを探すかのように手を宙に泳がせた。
手に届く範囲にあったのは、いつも飲んでいる瓶詰めの林檎ジュースがひと瓶だけだった。
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読書日記

~ Comment ~
NoTitle
ありがとうございます。おかえしなんていいですってのに。
またオリジナルですね。
なかなか深い話ですね。
これ、メリーがどういう女かここに至る彼女のエピソードとか前ストーリーがあればもっと良かったのになあ。・・・そういう話のような気がします。
でも最初のメリーの必死ぶりや逆上してサイモンを殴り倒すとこなど、ちゃんと読めばわかる工夫をしているのは、さすがと思います。
(エラそう?いえ、一読者として)
またオリジナルですね。
なかなか深い話ですね。
これ、メリーがどういう女かここに至る彼女のエピソードとか前ストーリーがあればもっと良かったのになあ。・・・そういう話のような気がします。
でも最初のメリーの必死ぶりや逆上してサイモンを殴り倒すとこなど、ちゃんと読めばわかる工夫をしているのは、さすがと思います。
(エラそう?いえ、一読者として)
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Re: 矢端想さん
「主要人物の過去に一切触れないまま、行動だけでどこまで小説が書けるか」ということにチャレンジしてみたわけであります。
読み返してみると、あまり効果は上がらなかったようであります(^^;)