趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/死が招く(その1)
「なんでうちに来なかったんだよ」
ぼくの友人、井森はそういってぼくをなじった。
「しかたないだろ、携帯を忘れて道に迷ったんだし」
ぼくはもごもごと答えた。
「それにしても、夜に電話かけてもいなかったじゃないか。なにしてたんだよ」
「まあ……その……」
ぼくはありのままを白状した。となると、次の展開は決まっている。
「その『趣喜堂』に連れてけよ」
ぼくは、うろ覚えの道を、『趣喜堂』でもらってきた名刺大の地図を頼りに進んだ。
二十分ほど迷った末、ぼくたちは『趣喜堂』にたどり着いた。
「ボロい店だな……」
「味があるっていってくれないか」
ぼくは、いつも通りにがらんがらんと音を立てて立てつけの悪そうなドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
あの、店員の女の子が戸口まで出てきた。
「う、うわっ、素敵なお店ですね。ぼ、ぼく、こんな店、初めて来ました」
この台詞をいったのは天に誓ってぼくではない。
井森の野郎が「おれ」以外の言葉を使う日が来るとは想像もしていなかったぼくが後ろを振り返ると、井森は湯沸かし器のようになっていた。
なにが起こったのかは馬鹿にでもわかる。
「どうぞ、奥へお進みください」
井森は江戸時代の「なんば歩き」みたいに同じ側の手足を出して歩いた。面白いからぼくは半歩後ろからついていった。
店主さんはいつものゲーム用テーブルの席に座っていた。ごりごりとコーヒーミルを回している。
「す、すてきな店ですね。あ、あのウェイトレスさんは、なんというお名前なんですか?」
テーブルについた井森が裏返った声でいった。
「舞です。わたしの娘ですよ。この店の経営のほとんどをやってくれています」
「舞さんとおっしゃるんですか! すてきな名だ……」
「そういえば」
ぼくは口を挟んだ。
「店主さんは、なんとお呼びしたらいいでしょうか?」
「ツイスト博士」
舞ちゃんが、いたずらっぽい声でいった。
「え?」
店主さんは……『ツイスト博士』は頭をかいた。
「本名が、捻原(ひねりはら)っていいましてね。無駄に大学院まで進んだから、博士号も持っているんですよ。それで、いつの間にやらツイスト博士に」
「ポール・アルテですか」
ぼくも腰を下ろしながら、舞ちゃんに注文した。
「カフェオレ。砂糖はいらない。牛乳と濃い目のコーヒーを一対一で。それと、キャサリン・エアードの『そして死の鐘が鳴る』を」
「かしこまりました」
舞ちゃんは頭を下げた。捻原さん……『ツイスト博士』は手回しミルでごりごりとコーヒーを削っている。
「おい」
井森が、小さな声でぼくに話しかけてきた。
「なんだよ」
「いったい、ポール・アルテって、なんなんだ?」
「カーみたいな作品を書く人ですよ、お客様。『死が招く』なんか、おすすめです」
舞ちゃんがいった。
「カー! ああ、なるほど! ぼくもカーが大好きでして。ポルシェ911なんか……」
ぼくは頭を抱えた。舞ちゃんも捻原さんも、ぽかんとしている。
「おい、帰るぞ」
ぼくは井森の腕をひっつかんだ。
「あ、すいません、コーヒーと本はキャンセルします。失礼しました」
ぼくたちは店を出た。
(この項続く)
ぼくの友人、井森はそういってぼくをなじった。
「しかたないだろ、携帯を忘れて道に迷ったんだし」
ぼくはもごもごと答えた。
「それにしても、夜に電話かけてもいなかったじゃないか。なにしてたんだよ」
「まあ……その……」
ぼくはありのままを白状した。となると、次の展開は決まっている。
「その『趣喜堂』に連れてけよ」
ぼくは、うろ覚えの道を、『趣喜堂』でもらってきた名刺大の地図を頼りに進んだ。
二十分ほど迷った末、ぼくたちは『趣喜堂』にたどり着いた。
「ボロい店だな……」
「味があるっていってくれないか」
ぼくは、いつも通りにがらんがらんと音を立てて立てつけの悪そうなドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
あの、店員の女の子が戸口まで出てきた。
「う、うわっ、素敵なお店ですね。ぼ、ぼく、こんな店、初めて来ました」
この台詞をいったのは天に誓ってぼくではない。
井森の野郎が「おれ」以外の言葉を使う日が来るとは想像もしていなかったぼくが後ろを振り返ると、井森は湯沸かし器のようになっていた。
なにが起こったのかは馬鹿にでもわかる。
「どうぞ、奥へお進みください」
井森は江戸時代の「なんば歩き」みたいに同じ側の手足を出して歩いた。面白いからぼくは半歩後ろからついていった。
店主さんはいつものゲーム用テーブルの席に座っていた。ごりごりとコーヒーミルを回している。
「す、すてきな店ですね。あ、あのウェイトレスさんは、なんというお名前なんですか?」
テーブルについた井森が裏返った声でいった。
「舞です。わたしの娘ですよ。この店の経営のほとんどをやってくれています」
「舞さんとおっしゃるんですか! すてきな名だ……」
「そういえば」
ぼくは口を挟んだ。
「店主さんは、なんとお呼びしたらいいでしょうか?」
「ツイスト博士」
舞ちゃんが、いたずらっぽい声でいった。
「え?」
店主さんは……『ツイスト博士』は頭をかいた。
「本名が、捻原(ひねりはら)っていいましてね。無駄に大学院まで進んだから、博士号も持っているんですよ。それで、いつの間にやらツイスト博士に」
「ポール・アルテですか」
ぼくも腰を下ろしながら、舞ちゃんに注文した。
「カフェオレ。砂糖はいらない。牛乳と濃い目のコーヒーを一対一で。それと、キャサリン・エアードの『そして死の鐘が鳴る』を」
「かしこまりました」
舞ちゃんは頭を下げた。捻原さん……『ツイスト博士』は手回しミルでごりごりとコーヒーを削っている。
「おい」
井森が、小さな声でぼくに話しかけてきた。
「なんだよ」
「いったい、ポール・アルテって、なんなんだ?」
「カーみたいな作品を書く人ですよ、お客様。『死が招く』なんか、おすすめです」
舞ちゃんがいった。
「カー! ああ、なるほど! ぼくもカーが大好きでして。ポルシェ911なんか……」
ぼくは頭を抱えた。舞ちゃんも捻原さんも、ぽかんとしている。
「おい、帰るぞ」
ぼくは井森の腕をひっつかんだ。
「あ、すいません、コーヒーと本はキャンセルします。失礼しました」
ぼくたちは店を出た。
(この項続く)
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井森くんは、あんまりこの店の雰囲気にそぐわない感じがしますねえ (^.^;)
さて、レギュラー入りするんでしょうか・・・。
さて、レギュラー入りするんでしょうか・・・。
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Re: limeさん
まあ始まったばかりですし、この手のやつは手探りで書いてますし(^^;)
みんな落ち着くところに落ち着くんじゃないか、と楽観的に思っています(^^)