ささげもの
黄輪さんお返し趣喜堂!(その1)
趣喜堂茶事奇譚・特別編/山猫の夏(その1)
五月というのにやたらと暑い。天気予報では八月並みの天気でしょうなどといっていた。こんな日は喫茶店で休むに限る。となると、行くところはひとつしかない。
かくして、ぼくと井森がいつもの通り「趣喜堂」に入っていくと、そこではむっとするような暑さの中、ツイスト博士こと捻原さんと、その愛娘の舞ちゃんが、ちょっとした大きさの木箱を前に格闘していた。
「なんなんですか、それ」
クーラーが壊れていることには触れないでぼくが尋ねると、捻原さんは顔を上げた。
「いらっしゃい。……ブラジルの知人が送ってくれたものだよ。冒険小説ファンが、一度は、と思うあれさ」
「なんです、博士、あれって?」
井森が間抜けな声で聞いたが、ぼくにはぴんとくるものがあった。
「ピンガですか?」
「その通り」
捻原さんたちは蓋を持ち上げた。中には、いくつもの瓶が入れられている。
「カシャーサともいう。七百ミリリットルが二ダース入りだ」
「ピンガだか、カシャーサだかってなんなんだよ」
「サトウキビを主原料とした、ブラジルの地酒の蒸留酒だ。冒険小説の名作中の名作、『山猫の夏』という小説に、印象的な小道具として出てくるんだ」
「どうやって飲むんだ?」
「作中で出てくるのは、カイピリンガという、一種のカクテルだな。氷を満たしたグラスに、このピンガをなみなみと注ぐ。そこにレモンを絞り入れ、お好みで砂糖を加える、というやつだよ」
「うまいのか?」
「少なくとも、やたらと暑いブラジルで、暑さよけに男たちが飲む酒だ、日本で暑さよけに飲んでも別段悪くはないんじゃないのかな。ところで、クーラーは壊れたんですか、博士?」
捻原さんは残念そうにうなずいた。
「昨日、ダクトから煙を吹いて……室外機ごと交換しないと駄目みたいです。修理じゃとてもとても」
「なんてこった」
井森が、情けない声を出した。それを見て、舞ちゃんが笑顔を見せた。
「でも、冷凍庫には、山ほど氷を作ってありますよ、井森さん」
「よし!」
井森の顔がぱっと明るくなった。わかりやすいやつだ。
「きょうはここはバーにしちゃいましょう! カイピリンガパーティーだ!」
「落ち着けよ、井森。ピンガって酒は、四十度以上あるんだぜ。ウイスキー並みだ。がんがん飲んだら、暑さよけの前に倒れてしまうのが落ちさ。あれをひと息に飲めるのは、『山猫の夏』の登場人物くらいだよ」
「さっきから、『山猫の夏』っていってるが……どんな小説なんだ?」
「ぼくが知る限りにおいて、日本語で書かれた最も面白い小説のひとつだ。語り手の『おれ』って日本人の若者が働いている、エクルウというブラジルの田舎町の酒場に、ふらりと、『山猫』という名前の……」
扉ががらんがらんと鳴った。井森が、ふとそちらを見た。
「あんな感じか?」
ぼくは、話の腰を折られたのにちょっといらっとしながら、戸口を見た。
見たとたんに震え上がった。ここにいる人間、みんながそうだったろう。
そこにいたのは、美人だが、いかにも不良でございます、というファッションをした、若い女だった。ただの女ではない。その女は、どう見ても、普通の人間ではなかった!
「いいか井森、ぼくは『山猫』といったんだ。あそこにいるのは……虎じゃないか!」
そうだった。虎と人間のハーフのような、地球上ではハリウッドの特殊メーク室にしかいるわけがない生物が、ぼくたちのほうに歩いてきたのだ!
「い……いらっしゃいませ?」
捻原さんが、店長の威厳にかけて、その虎女に声をかけた。
虎女は、わけのわからない言葉をしゃべった。
「日本語……通じないみたいよ、お父さん」
舞ちゃんが声を震わせた。
「外人さんかな?」
そういった井森に対し、ぼくは訂正した。
「どちらかといえば人外さんじゃないかと思う」
(この項続く)
五月というのにやたらと暑い。天気予報では八月並みの天気でしょうなどといっていた。こんな日は喫茶店で休むに限る。となると、行くところはひとつしかない。
かくして、ぼくと井森がいつもの通り「趣喜堂」に入っていくと、そこではむっとするような暑さの中、ツイスト博士こと捻原さんと、その愛娘の舞ちゃんが、ちょっとした大きさの木箱を前に格闘していた。
「なんなんですか、それ」
クーラーが壊れていることには触れないでぼくが尋ねると、捻原さんは顔を上げた。
「いらっしゃい。……ブラジルの知人が送ってくれたものだよ。冒険小説ファンが、一度は、と思うあれさ」
「なんです、博士、あれって?」
井森が間抜けな声で聞いたが、ぼくにはぴんとくるものがあった。
「ピンガですか?」
「その通り」
捻原さんたちは蓋を持ち上げた。中には、いくつもの瓶が入れられている。
「カシャーサともいう。七百ミリリットルが二ダース入りだ」
「ピンガだか、カシャーサだかってなんなんだよ」
「サトウキビを主原料とした、ブラジルの地酒の蒸留酒だ。冒険小説の名作中の名作、『山猫の夏』という小説に、印象的な小道具として出てくるんだ」
「どうやって飲むんだ?」
「作中で出てくるのは、カイピリンガという、一種のカクテルだな。氷を満たしたグラスに、このピンガをなみなみと注ぐ。そこにレモンを絞り入れ、お好みで砂糖を加える、というやつだよ」
「うまいのか?」
「少なくとも、やたらと暑いブラジルで、暑さよけに男たちが飲む酒だ、日本で暑さよけに飲んでも別段悪くはないんじゃないのかな。ところで、クーラーは壊れたんですか、博士?」
捻原さんは残念そうにうなずいた。
「昨日、ダクトから煙を吹いて……室外機ごと交換しないと駄目みたいです。修理じゃとてもとても」
「なんてこった」
井森が、情けない声を出した。それを見て、舞ちゃんが笑顔を見せた。
「でも、冷凍庫には、山ほど氷を作ってありますよ、井森さん」
「よし!」
井森の顔がぱっと明るくなった。わかりやすいやつだ。
「きょうはここはバーにしちゃいましょう! カイピリンガパーティーだ!」
「落ち着けよ、井森。ピンガって酒は、四十度以上あるんだぜ。ウイスキー並みだ。がんがん飲んだら、暑さよけの前に倒れてしまうのが落ちさ。あれをひと息に飲めるのは、『山猫の夏』の登場人物くらいだよ」
「さっきから、『山猫の夏』っていってるが……どんな小説なんだ?」
「ぼくが知る限りにおいて、日本語で書かれた最も面白い小説のひとつだ。語り手の『おれ』って日本人の若者が働いている、エクルウというブラジルの田舎町の酒場に、ふらりと、『山猫』という名前の……」
扉ががらんがらんと鳴った。井森が、ふとそちらを見た。
「あんな感じか?」
ぼくは、話の腰を折られたのにちょっといらっとしながら、戸口を見た。
見たとたんに震え上がった。ここにいる人間、みんながそうだったろう。
そこにいたのは、美人だが、いかにも不良でございます、というファッションをした、若い女だった。ただの女ではない。その女は、どう見ても、普通の人間ではなかった!
「いいか井森、ぼくは『山猫』といったんだ。あそこにいるのは……虎じゃないか!」
そうだった。虎と人間のハーフのような、地球上ではハリウッドの特殊メーク室にしかいるわけがない生物が、ぼくたちのほうに歩いてきたのだ!
「い……いらっしゃいませ?」
捻原さんが、店長の威厳にかけて、その虎女に声をかけた。
虎女は、わけのわからない言葉をしゃべった。
「日本語……通じないみたいよ、お父さん」
舞ちゃんが声を震わせた。
「外人さんかな?」
そういった井森に対し、ぼくは訂正した。
「どちらかといえば人外さんじゃないかと思う」
(この項続く)
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「趣喜堂」でのお返し、ワクワクしながら読んでます(*゚∀゚)
不良っぽい虎女、……大体察しが付きました。
関西弁チックなあの子ですね。
一体これから何が起こるのか、楽しみです。
不良っぽい虎女、……大体察しが付きました。
関西弁チックなあの子ですね。
一体これから何が起こるのか、楽しみです。
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Re: 黄輪さん
だいいち日本語が通じない相手ですし(^^)