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    趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)

    趣喜堂茶事奇譚/ニッサンがルマンを制覇する時(その2)

     ←趣喜堂茶事奇譚/ニッサンがルマンを制覇する時(その1) →童謡殺人事件
    「ニッサンがルマンを制覇する時」は、高齋正先生の第三長編で、一九七八年の作品だ。

     高齋正先生の作品は、いずれも車ものである。というか、SFに「カーSF」というジャンルがあるとしたら、それを日本でただひとりで切り開き、ただひとりで窮めてしまったような人なのだ。いっておくがディクスン・カーじゃないからな。

     あまりぼくは車自体には興味はないが、SFファンの基礎教養として、高齋先生の作品はいくつか読んでいる。その中で、ぼくがいちばん好きなのが、この作品だ。未読作が多いから、いちばんといいきってしまっていいものかは迷うが……。

     舞ちゃんは文庫の棚から、うやうやしく本を取り出した。徳間文庫バージョンらしい。しかしこの喫茶店、なんでも揃っているものだなあ。

     とりあえず、ぼくは、井森の様子を観察することにした。そういえば、娯楽や純文学を問わず、この男が小説を読んでいるところを見たことがない。興味津々である。

     それに、ほかにやることもなかった。こないだ、賭けに負けたせいで、ぼくは、捻原さんの代わりにひたすらコーヒーミルを回すことになっていたからだ。

     このコーヒーミルというやつ、通人は「手回しのミルで、肺病にかかった人間が引くのがいちばんうまい」などといっているが、肺病にかかったやつにこんなことやらせるな、だ。ごりごりとやるのを延々と続けていると、賽の河原の石積みみたいに思えてくる。

     そもそも、人間は、かような奴隷労働から解放されるために機械文明を発達させたのではなかったのか。しかるに現代は……。

     ぼくの座っているテーブルに、とん、となにかが置かれた。透明な液体の入ったタンブラーだった。

     捻原さんだった。

    「どうしたんです、ツイスト博士?」

    「ミルを回すのはこれはこれで疲れる作業なんだ。飲みなさい。甘いものを飲めば、糖分が疲れを癒してくれる」

    「あ、ありがとうございます」

     辛いラーメンを食べたせいで甘くて冷たいものがほしかったぼくは、タンブラーの中身をぐいと飲んだ。

     めちゃくちゃ甘ったるかった。ぼくは吐き出しそうになるのをこらえた。これは、いったい……? ぼくの知っているなにかに似ているが、まったく別の、悪趣味な飲み物であるが……。

    「博士、これはなんですか?」

    「冷やしアメだよ。昔、よく飲んだのを思い出して、舞に教えてもらいながら、わたしが作ったんだ。関東の人には、珍しいかもしれないがね」

     ぼくは涙をこらえた。違う。天地神明に誓って、これは「冷やしアメ」ではない。これは、オキシジェン・デストロイヤーかシトロネラアシッドだ。

    「残さず飲んでくれたまえ」

     飲みます。飲みますよとほほほ。なんでこの人、図書館じゃなくて喫茶店を始めよう、なんて思ったんだろうなあ?

     井森はと見れば、どこか肩に力を入れて読んでいるらしい。緊張しているようだ。

     ぼくはごりごりとミルを回す。

    「ニッサンがルマンを制覇する時」のストーリーは簡単だ。タイトルに全部書いてあるのだから。長い沈黙ののち、ニッサンが作り出したスーパーマシン、「ニッサンR384」、それを駆るために日本中から公募(! これは説明が必要だろう。一九七〇年代に起こった石油ショックは、「石油を無駄に使うものは非国民」みたいな空気を醸成し、日本の自動車メーカーはカーレースどころではなくなってしまったのである。それを受けてのアイデアだろう)されたドライバーたちが、友情と努力の末に勝利する、という、スポ根とSFと「プロジェクトX」をミックスしたような小説である。

     この小説を読んでいて、いちばんぼくの記憶に残っているのは、主人公の一人、天野裕一がテストを受けるために初めてメーカーによる本格的なレースカーでコースを走るシーンだ。これまで長い雌伏のときを過ごしてきた若きドライバーが、持てる力と頭脳を駆使して、ベテランたちも舌を巻くようなラップタイムをたたき出すのである。この天野という青年が、実に礼儀正しく「まっとうな」青年として描かれているのがぼくとしては好感が持てた。

     井森がそこまで読んだかどうかはわからないが、やつは姿勢を正して読んでいた。コーヒーにはまったくといっていいほど手をつけていない。

     よし、いいぞ。だけどコーヒーが冷めるから、少しはコーヒーを。

     ぼくはちびちびと(とでもしないと甘ったるくてどうしようもないのだ)、ツイスト博士謹製の冷やしアメをなめ、ミルをごりごりと回した。

    「あの、いいですか」

     舞ちゃんが声をかけてきた。

    「はい?」

    「粉をもらいます。じゃ、かわりにこれ」

     ぼくはさっきまで挽いていたミルを取り上げられ、また違うミルを渡された。とにかく挽け、ということらしい。

     周りを見てみると、馬庭さんを含め、常連客で店はいっぱいになりつつあった。

    「学生さん」

     馬庭さんが声をかけてきた。

    「あの井森くん、なにを読んでいるだい。やけに熱心だが」

    「通人みたいなところを見せようとして、『ニッサンがルマンを制覇する時』を」

    「ああ、あの、レースカーなのにとんでもないものがついている車が出てくるやつだな。面白いけれど。で、舞ちゃんは?」

     ぼくはミルを回しながら、肩をすくめた。

    「あの顔を見てると、ニッサンがルマンで勝つまでは、舞ちゃんの存在にすら気づかないんじゃないですか? もしかしたら、帰りまでには二十四時間耐久レースになるかも」

     ぼくの想像は当たっていた。

     井森は、ばっちりとこの小説にはまっていた。

     翌朝、ぼくは眠い目をこすりながら、本を読了してルマンの興奮冷めやらぬ井森を「趣喜堂」から引っ張り出した。

    「太陽が黄色いぜ……」

    「アホかお前!」

     舞ちゃんがそんな井森をどう思ったかは不明である。

     井森が舞ちゃんを制覇する時は遠そうだ。

    (この項終わり)
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    ~ Comment ~

    Re: 矢端想さん

    昔「アクションHIP」を立ち読みしていたときは、同誌でいちばん面白い漫画だったことはたしかです。

    雑誌が廃刊して、別な雑誌に移ってからは読んでいませんが。

    もし読んだら感想聞かせてください(^^)

    NoTitle

    「ベル☆スタア強盗団」ぐらいは読んどいたほうがいいのかなあ・・・西部マンガは(少ないながらも)いろいろあるけど、実在女傑主人公のってこれだけかも知れないし。
    持ってるのが松本零二「ガンフロンティア」だけではお粗末すぎるか!?

    Re: ぴゆうさん

    なんとなく大藪春彦先生の作品はあまり好きになれませんでした。「野獣死すべし」と「蘇る金狼」は読んだけど、わたしがその手の小説を読んでいたころには、すでに北方、志水、船戸、逢坂、大沢といった作家連により、日本の冒険小説界は黄金時代を迎えていましたからねえ……。

    冷やしアメは、熱烈なファンも多いことだからうまいのではと思います。

    マズいのはツイスト博士が作った冷やしアメ「もどき」です(笑)。

    Re: 矢端想さん

    美少女ウェスタン漫画……伊藤明弘氏の「ベル☆スタア強盗団」みたいな?(白々しい声で)

    途中までしか読んでませんけど。

    あまり知られていない作品ですが、けっこう面白かった記憶があるので、漫画を持っていれば趣喜堂の書庫に入れるのですが。自分の財布がウラメシス。

    NoTitle

    車ではなくバイクの小説。
    大藪春彦のは良く読んだなぁ。
    マン島レースがあった頃だから、エラい昔の話だけど、サクセスストーリーが楽しかった。

    冷やし飴は一度飲んだ事がある。
    生姜飴みたいな味だったような。
    そんなにマズいかな?
    ププ

    NoTitle

    「冷やしアメ」・・・恥ずかしながら飲んだことないです!スマソ。
    「ジンジャーエールの炭酸の抜けたやつ」だと勝手に想像していますが・・・違う?関西の方おしえて!

    私は「美少女ウェスタン」というジャンルを日本でただひとり切り拓こうとしているのですが、「ウェスタン」も「美少女」も基礎教養自体があぶなっかしいからなあ・・・orz

    シトロネラ・・・なんだっけ、と、思い出しました!リトラ?

    Re: limeさん

    おいおい明らかにしていくつもりですが、舞ちゃんの趣味は、「カサブランカ」に出てくるハンフリー・ボガートのような、いわゆる「年上の渋いハードボイルドなタイプ」です。常連客の中では、馬庭さんがいちばんタイプに近いですね。井森くん知ったらたぶん涙目(笑)。

    実はわたしも、名前を聞いただけで、冷やしアメを飲んだことはないのですが、ここは、いろいろと聞くと関西圏で生活しているらしい某西部劇ファンのかたと某大艦巨砲ファンのかたにお話をうかがってみたいものです(笑)

    マントヒヒ村上、面白いですからねえ。わたしが申し込んで大丈夫だったんです、わたしより面白いブログを書くlimeさんならダメなわけがありません(^^)

    NoTitle

    井森君、単純で可愛いところもあるんですね。
    タイプではないですがww
    しかし舞ちゃんは、どんな人がタイプなんでしょう。

    今回も出ましたね、ツイスト博士の「危ないクッキング」

    冷やしアメに、似て非なるもの。・・・飲みたくない。
    と、いうより、冷やしアメの存在理由がよくわからない・・・。美味しいのかな?
    昔のアル中上司が、二日酔い明けには必ず冷やしアメを飲んでいたのを思い出します。

    そうそう、私も頑張って、TAMAさんにリンクを申し込みました。
    貼らせてもらえるかなあ~。
    (二人がリン友だと知ったら、笑われそう・・・)
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