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    趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)

    趣喜堂茶事奇譚/黒死館殺人事件(その2)

     ←趣喜堂茶事奇譚/黒死館殺人事件(その1) →犯人はおまえだ
     世にミステリは多々あるが、中にはいわゆる「怪作」も混じっている。

     玉石混交が世の習いである以上、それは当然であるが、中には「怪作」の程度がある種の閾値をオーバーして、「古今未曾有の傑作」になってしまう例もあるから油断はできない。

     小栗虫太郎の代表作であるこの「黒死館殺人事件」というのは、まさにそういう作品なのだ。ある大学生が戦地へ持っていく一冊の本に、これを選んだという逸話でも有名なように、評価の定まった作品である。

     ……なのだが。

     白状すると、ぼくは一回、高校生のときにこの本を読んでいる。

     そのときの感想をひとことでいうと、「異様な迫力はあるがわけがわからない」作品だった。なにせ、見たこともないような画数の多い漢字が多用され、それに、漢字からはとうてい想像もつかないような読み仮名が振ってあるのだから、読んでいて頭がくらくらしてくる。一ページ目から「耶蘇会神学林」なる単語が飛び出し、そこに「ジェスイットセミナリオ」などという振り仮名が振られているような小説だ、といったらその感じはわかるだろうか。その手の文章が、延々と全編に渡って続くのだ。

     高校生のころのぼくとしては、それはまるで、厳冬期にヒマラヤ登山をするようなものだった。「寝るなっ、眠ったら死ぬぞっ」の世界である。読み終えたときには、心地よい疲労感というより、ただもう、戦前の本格ミステリはいいや、ぼくはもう寝るぞ、という気分だった。スポーツ選手の常套句ではないが、「自分で自分を褒めてあげたい」という言葉が実感できたのもそのときだ。

     今回読むのはそれ以来二回目である。筋もなにも、わけがわからない小説だったので、倉井さんが面白がるのなら、ぼくも読んでみよう、というちょっと無謀な好奇心にかられたのだ。

     ぼくはなんとなく携帯をテーブルの上に置いた。

     倉井さんは、なにかぶつぶついいながら熱心にいま開いているページをじっと見ている。延々と見てから、次のページへいく、という読みかただ。

     ときおりミルクのストローに口をつけるものの、目はページから離れない。集中しているのだ。

     とにかく、ぼくはまず、倉井さんの読みかたでやってみることにした。一ページの文章を、丹念に意味と、「隠された意味」を読み解いて……。

     いけるわけがない。五分でいやになった。

     ぼくは方針を転換することにした。これは哲学書でもなければ魔術書でもない。純粋な探偵小説だ。寝転がって読んでいる気分で読もう!

     ぼくは、舞ちゃんが入れてくれた、ちょうどいいバランスのアイスコーヒーをがぶりとひと口飲むと、話を無責任に楽しむことにした。

     こうして、なにも考えずに読んでみると、わかったことがあった。

     けっこう楽しいのだ。

     高校のころに読んだときは、名探偵の法水麟太郎は、わけのわからないことばかりしゃべって、推理もなんにもせず事態を混乱させるだけの男に見えたのだが、こうして虚心に帰って再読してみると、この法水探偵、きちんと推理もすれば事件も進展させるのである。まあ、事件の進展とはいっても、この作家とこの作品のことだから、わけのわからない方向へわけのわからない方向へとずれていくのだが、そんな中で、この法水麟太郎の行く道をたどっていればいつかは真相に近づけるはずだ、という思いがしてくるのだ。

     倉井さんはぶつぶついいながら中盤のページを読んでいる。倉井さんがこの本を何回読んだのかはわからないが、少しずつ、少しずつ読んでいくのが倉井さんのやりかたらしい。

     没頭していたせいで腹が減ってきた。

    「ハムとチーズのホットサンドイッチ追加。それと、片手で食べられるなにか野菜のようなものと、フィンガーボウルにタオルかナプキンをお願い」

     テーブルに、なにかのドレッシングの入った小鉢と、細長くカットされた野菜スティックの皿が置かれた。

    「ホットサンドイッチは、ちょっと待ってくださいね」

    「うん」

     答えるのもそこそこに、ぼくは、高校のころつっかえた、惑星の運行に関する法水麟太郎の講釈シーンを読んでいた。

     よくよく読んでみると、惑星の軌道計算は、単に「絨毯をたぐりよせて死体を移動させる」ことの修飾に使われているだけだった。

     うーむ、こんなことを考えるなんて、小栗虫太郎先生、天才かどこかいっちゃってるかのどっちかだなあ。今のところ、話は面白いから、「天才」なんだろうけれど。

     でもこんな本、井森に読ませたら最初のページで寝てしまうんではないだろうか。

     この本を普通の探偵小説として読みすすめることができるのは、ぼくが大学で、いやいやながらも(だったら入学するなという話もあるが)テキストとしてそれなりに難解な本を読んできたことも理由のひとつかもしれない。哲学書の脳細胞鍛錬作用はほんとうらしいことがわかった……気がする。

     ホットサンドが来た。ぼくはふと思った疑問を、舞ちゃんに聞いてみた。

    「舞ちゃん、倉井さんって漫画家だそうだけど、どんな作品書いてるの?」

     舞ちゃんは、ぼくを驚いた目で見た。

    「知らなかったんですか。ギャグマンガですよ」

    「ぎ、ギャグ……?」

     ギャグマンガ作家が、「黒死館殺人事件」を。

     驚くぼくに、舞ちゃんは続けた。

    「倉井さんって、ネタに詰まると、うちにいらして『黒死館』を読まれるんです。うちの『黒死館』の戦前版が、ネタの制作のための頭の回転にいいらしいんですよ」

     わからないもんだなあ。

     ぼくが、首を振って「黒死館殺人事件」の、この独特の(このころになってくるとぼくは、この本を探偵小説としてではなく、迷宮をさまよう一夜の悪夢めいた、ダーク・ファンタジーとして読んでいた。そのほうがぴったりくるように思ったからだ)雰囲気の中に戻ろうとしていたとき、ぼくの携帯が着信した。

     マナーモードになっていることをすっかり忘れていた。

     倉井さんは、振動してぶんぶん鳴っているぼくの携帯をまじまじと見ていた。

     まずい。読書とネタさがしの邪魔をしてしまったようだ。

     倉井さんは、「ブーン? そうだ、ブーンだ!」と叫んで、躍り上がるようなステップで舞ちゃんに代金を払い、店を飛び出していった。

     ガムシロップはそのままだった。

     それからしばらく経った暑い日、ぼくが「黒死館殺人事件」の続きを読みに「趣喜堂」に入っていくと、倉井さんがミルクのグラスとともに本を読んでいた。

     しかしそれは「黒死館殺人事件」ではなかった。

     かわりに、ページを開いていたのは夢野久作の「ドグラ・マグラ」だった。

     「黒死館殺人事件」に並ぶ、日本ミステリ界の異常極まる奇書に新しく開眼したらしい。

     勝手にしてよもう。

    (この項終わり。いや、カーテン・フォール)
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    ~ Comment ~

    Re: 面白半分さん

    この小説、よほどの体力と知識がなければ、ペダントリーについていくだけで頭がオーバーヒートしてしまいます。

    ペダントリーは「ダークファンタジーの小道具」とみなしてあまり深入りしないのが、凡俗が読むコツかと。

    深入りすると「戦地へ携えていった大学生」みたいになってしまう可能性が(爆)。

    Re: ゆういちさん

    このお店はわたしの脳内にある店なので、遊びに来るのは無理ですね(^^)

    近所にこんな店があったら、日参してしまいそうです。

    埴谷雄高先生が再評価したことで、「黒死館殺人事件」と「ドグラ・マグラ」と「虚無への供物」は、「三大奇書」と呼ばれています。

    わたしは純文学がよくわからないので、文学的価値もよくわかりませんが、三冊とも、「すごい」小説です。これにもう一冊くわえて「四大奇書」という人もいますが、その四冊目についてはいろいろと議論があるようであります。

    もし挑戦してみるのなら、「黒死館」と「ドグラ・マグラ」は、ネットの青空文庫でも読めるようですが、「読む人を選ぶ」タイプの小説なので、中ではいちばん普通のミステリに近い「虚無への供物」がとっつきやすいのではないでしょうか。

    NoTitle

    こんにちは。
    わたしも黒死館でつっかえたのは惑星の運行に関するあたりです。
    また註釈の部分にも、律儀に眼を通していたのが敗因だと思います。

    こんばんは~


     私がネタ探しによく利用するのが喫茶店です。
     雑誌もあるし、漫画もある。
     漂うコーヒーの匂いがやる気を高めてアイディアがポーンと出たり出なかったり。

     このお店も良さそうだなぁv-291
     図書館は本が沢山あるけれど、静かすぎてイマイチ集中できず……

     「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」の両方とも初耳ですね~
     そもそも、読書(漫画除く)をするようになったのは最近のなので本にはかなり疎い私です。

     「シートン動物記事件」が発生しなければ、もっと本を読んでいたかもしれません~



    Re: semicolon?さん

    わたしはかえって「ドグラ・マグラ」のほうが読み返せませんねえ。

    去年だったかふと興にかられて「黒死館殺人事件」を読み返してみたら意外と面白かったですけど。

    ついでに「虚無への供物」を読み返してみたら、やっぱり面白かった。

    でも「ドグラ・マグラ」はなかなか手が……(^^;)

    Re: 矢端想さん

    あの小説にあのカバーイラストをつけた編集者はただものではない(笑)

    インパクト的にはジャンプの漫画家に表紙を描かせるいじょうのものがありますからなあ。

    NoTitle

    これは読み返せません。
    「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」は読み返せるのに・・・。

    NoTitle

    私が持っているのはもちろん、角川版です。

    米倉斉加年先生・・・

    Re: 矢端想さん

    たしかにあれは「なんとか地獄外道祭文」としかいいようがない(笑)。

    「ドグラ・マグラ」に関しては、気分が乗ってきたら書きます。

    あれもすごい話だったなあ。

    というか、あれ、探偵小説でなくてSFだろう(笑)。

    ちなみに「角川文庫で読んでいて恥ずかしい表紙ナンバーワン」の座を絶賛更新中(笑)

    電車の中で読みたい人は創元推理文庫の「夢野久作集」のほうがおすすめ(笑)。

    NoTitle

    あー! やっと読んだことのあるタイトルが出てきたあー!
    「ドグラ・マグラ」!
    これは壮絶!
    博士の「なんとか祭文」が延々続く中盤は辟易したけど、怒涛の終盤は一気読み。ラストはもう・・・何が何だか・・・

    ・・・以後これに関して書く予定がおありでしたら、ネタバレは控えますが・・・。
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