趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/クトゥルー神話(その1)
なんとなく、蒸し暑い日だった。
ぼくは、「趣喜堂」の店内に、なにか妙なものを感じていた。
「おい、なにを仏頂面しているんだよ。せっかく舞ちゃんが新メニュー出してくれたのに」
「ぼくは明石焼きのほうが好きなんだ。それに、今日は暑すぎるぜ、こんなもの食うにはさ」
ぼくと井森の前には、大皿に盛られた「タコ焼き」が、ソースと青海苔と刻みショウガとマヨネーズと……とにかくそういったものが、前衛芸術顔負けにかけられ、ピラミッドみたいに積み上げられていた。
「せっかくタコ焼き器を買ったことだし、慣れておいたほうがいいと思って……」
舞ちゃんはそういうと、すまなそうに眉を寄せた。
「いいんです。食います。いくらでも食います。こいつが残すっていっても食いますから安心してください」
井森が、鼻息を荒くしていった。
「注意しろよ……」
ぼくはいった。
「そのタコ焼きの中には、ツイスト博士謹製のものも入っているかもしれないぞ。爆弾か地雷みたいにさ」
「それでも食う! おれは食うっ!」
井森は決然と銀色に輝くフォークを取ると、タコ焼きのひとつにぐいと突き刺し、口中に入れて、鳥山明の漫画みたいに、「ほふほふ」した。
「うまいっ! しっかりタコが入っている!」
「タコ焼きなんだから当たり前だろう。ところで、ツイスト博士は?」
舞ちゃんはにっこりとぼくに微笑んだ。
「この季節にふさわしい読み物を、店の奥から取ってきてますよ」
「この季節? 半夏生だけど……」
「こちらではどうだか知らないが、関西の一部では、半夏きの日にはタコを食べる習慣があるんだ。せっかく舞が焼いたんだ、どんどん食べなさい」
ツイスト博士こと捻原さんが、分厚い本を抱えてやってきた。様々な出版社が混じっているらしい。
「なんですか、その本の山?」
井森が、熱いタコ焼きに悪戦苦闘しながらいった。
「半夏生でタコといったら、これしかないだろう。各社が出している、クトゥルー神話の本だよ。そのうちのいくつかを持ってきた。青心社の『クトゥルー』から一冊、国書刊行会の『ク・リトル・リトル神話集』」
「『真ク・リトル・リトル神話体系』じゃないんですか?」
「年寄りをこきつかわないでくれ」
捻原さんは笑って、抱えていた本をテーブルにどさっと置いた。
「あっちのハードカバーは、重くてかなわない。『ク・リトル・リトル神話集』はひとまわり小さいから、いくらか軽いんだ。それに、わたしの好きな、『地の底深く』という小説も入っているし」
「地底探検の話ですか?」
井森が舌の熱さに耐え切れなくなったのか、氷がたっぷり入ったアクエリアスのコップに口をつけた。捻原さんたちは英語がぺらぺらなせいか、同じスポーツドリンクでも『ポカリスエット』と聞くと反射的にまずそうだと思ってしまうらしい。ちと厭味な話である。
まあそれは置いといて。ぼくは井森に説明した。
「ジュール・ヴェルヌのあれみたいな冒険譚じゃないよ。やりきれない怪奇小説だ。作者は、ロバート・バーバー・ジョンソン」
「怪奇小説?」
井森が露骨に嫌そうな顔をした。こいつ、けっこう肝が小さいところがあるのだ。
「クトゥルー神話は、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトという怪奇小説作家が作り出した怪物の設定を、同じ雑誌に寄稿していた作家たちが、面白がって自分の小説にも使い始めたことがきっかけで広がりだした、怪奇小説のジャンルみたいなものだよ。ラヴクラフト自身、作家の卵が書いた怪奇小説を添削することを副業にしていたので、そういった添削小説にも自分の怪物をゲスト出演させたりしていることからどんどん増えた。でも、原点はやはりラヴクラフト『クトゥルフの呼び声』であり、『ダゴン』であり、その他の小説であるといえる。ほら、ここに、創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』がある。読んでみるかね?」
「い、いえ、けっこうです」
捻原さんの親切丁寧な解説にもかかわらず、井森は手を振った。
「ところでその」
ぼくは、捻原さんの持ってきた妙に古びた厚い本を指さしていった。
「ぼろい本はなんですか?」
「ギーガーの画集『ネクロノミコン』を捜したんだけど見つからなくてね。なんとかいう小さな大学のサークルが自費出版し、いつぞやのワールドコンで売っていた、魔道書の『英語版ネクロノミコン』を名乗る同人誌をかわりに持ってきたんだ。やっぱり、インチキ本ではあろうともネクロノミコンを名乗る本があるのとないのとでは、雰囲気が違う」
「手にとっていいですか?」
ぼくは手を伸ばした。捻原さんは、ひょいと本を持ち上げた。
「だめだめ。これはたしかにクトゥルー神話ファンの作った同人誌には違いないが、ものすごい手がかかっていて、かなりの値段がしたんだ。ほんとうに、何世紀もの時を経てきた古書みたいに見えるだろう? これだけ古びた感じを出すのには、専門の職人の手を借りて、複雑な工程を経なければいけない。だから、今日は見るだけだ」
「残念だなあ……」
ぼくはその「ネクロノミコン」を見て、ため息をついた。
「というわけで、今日は海水に近い成分を売り物にしているスポーツドリンクを飲みつつ、タコを食べながら、クトゥルー神話談義といこうじゃないか。井森くんもきみも、もっと食べて飲みたまえ。いちおう半額サービスデーなんだから」
「はあ」
ぼくは、アクエリアスに口をつけた。
(この項つづく)
ぼくは、「趣喜堂」の店内に、なにか妙なものを感じていた。
「おい、なにを仏頂面しているんだよ。せっかく舞ちゃんが新メニュー出してくれたのに」
「ぼくは明石焼きのほうが好きなんだ。それに、今日は暑すぎるぜ、こんなもの食うにはさ」
ぼくと井森の前には、大皿に盛られた「タコ焼き」が、ソースと青海苔と刻みショウガとマヨネーズと……とにかくそういったものが、前衛芸術顔負けにかけられ、ピラミッドみたいに積み上げられていた。
「せっかくタコ焼き器を買ったことだし、慣れておいたほうがいいと思って……」
舞ちゃんはそういうと、すまなそうに眉を寄せた。
「いいんです。食います。いくらでも食います。こいつが残すっていっても食いますから安心してください」
井森が、鼻息を荒くしていった。
「注意しろよ……」
ぼくはいった。
「そのタコ焼きの中には、ツイスト博士謹製のものも入っているかもしれないぞ。爆弾か地雷みたいにさ」
「それでも食う! おれは食うっ!」
井森は決然と銀色に輝くフォークを取ると、タコ焼きのひとつにぐいと突き刺し、口中に入れて、鳥山明の漫画みたいに、「ほふほふ」した。
「うまいっ! しっかりタコが入っている!」
「タコ焼きなんだから当たり前だろう。ところで、ツイスト博士は?」
舞ちゃんはにっこりとぼくに微笑んだ。
「この季節にふさわしい読み物を、店の奥から取ってきてますよ」
「この季節? 半夏生だけど……」
「こちらではどうだか知らないが、関西の一部では、半夏きの日にはタコを食べる習慣があるんだ。せっかく舞が焼いたんだ、どんどん食べなさい」
ツイスト博士こと捻原さんが、分厚い本を抱えてやってきた。様々な出版社が混じっているらしい。
「なんですか、その本の山?」
井森が、熱いタコ焼きに悪戦苦闘しながらいった。
「半夏生でタコといったら、これしかないだろう。各社が出している、クトゥルー神話の本だよ。そのうちのいくつかを持ってきた。青心社の『クトゥルー』から一冊、国書刊行会の『ク・リトル・リトル神話集』」
「『真ク・リトル・リトル神話体系』じゃないんですか?」
「年寄りをこきつかわないでくれ」
捻原さんは笑って、抱えていた本をテーブルにどさっと置いた。
「あっちのハードカバーは、重くてかなわない。『ク・リトル・リトル神話集』はひとまわり小さいから、いくらか軽いんだ。それに、わたしの好きな、『地の底深く』という小説も入っているし」
「地底探検の話ですか?」
井森が舌の熱さに耐え切れなくなったのか、氷がたっぷり入ったアクエリアスのコップに口をつけた。捻原さんたちは英語がぺらぺらなせいか、同じスポーツドリンクでも『ポカリスエット』と聞くと反射的にまずそうだと思ってしまうらしい。ちと厭味な話である。
まあそれは置いといて。ぼくは井森に説明した。
「ジュール・ヴェルヌのあれみたいな冒険譚じゃないよ。やりきれない怪奇小説だ。作者は、ロバート・バーバー・ジョンソン」
「怪奇小説?」
井森が露骨に嫌そうな顔をした。こいつ、けっこう肝が小さいところがあるのだ。
「クトゥルー神話は、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトという怪奇小説作家が作り出した怪物の設定を、同じ雑誌に寄稿していた作家たちが、面白がって自分の小説にも使い始めたことがきっかけで広がりだした、怪奇小説のジャンルみたいなものだよ。ラヴクラフト自身、作家の卵が書いた怪奇小説を添削することを副業にしていたので、そういった添削小説にも自分の怪物をゲスト出演させたりしていることからどんどん増えた。でも、原点はやはりラヴクラフト『クトゥルフの呼び声』であり、『ダゴン』であり、その他の小説であるといえる。ほら、ここに、創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』がある。読んでみるかね?」
「い、いえ、けっこうです」
捻原さんの親切丁寧な解説にもかかわらず、井森は手を振った。
「ところでその」
ぼくは、捻原さんの持ってきた妙に古びた厚い本を指さしていった。
「ぼろい本はなんですか?」
「ギーガーの画集『ネクロノミコン』を捜したんだけど見つからなくてね。なんとかいう小さな大学のサークルが自費出版し、いつぞやのワールドコンで売っていた、魔道書の『英語版ネクロノミコン』を名乗る同人誌をかわりに持ってきたんだ。やっぱり、インチキ本ではあろうともネクロノミコンを名乗る本があるのとないのとでは、雰囲気が違う」
「手にとっていいですか?」
ぼくは手を伸ばした。捻原さんは、ひょいと本を持ち上げた。
「だめだめ。これはたしかにクトゥルー神話ファンの作った同人誌には違いないが、ものすごい手がかかっていて、かなりの値段がしたんだ。ほんとうに、何世紀もの時を経てきた古書みたいに見えるだろう? これだけ古びた感じを出すのには、専門の職人の手を借りて、複雑な工程を経なければいけない。だから、今日は見るだけだ」
「残念だなあ……」
ぼくはその「ネクロノミコン」を見て、ため息をついた。
「というわけで、今日は海水に近い成分を売り物にしているスポーツドリンクを飲みつつ、タコを食べながら、クトゥルー神話談義といこうじゃないか。井森くんもきみも、もっと食べて飲みたまえ。いちおう半額サービスデーなんだから」
「はあ」
ぼくは、アクエリアスに口をつけた。
(この項つづく)
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NoTitle
クトゥルー! 興味はあるけど読んだことのないお話。
文庫版のお手軽『神様辞典』みたいなのに収録されてる率高いので、そのたびに興味をそそられるのですが……ちょっと怖そうで^-^;
文庫版のお手軽『神様辞典』みたいなのに収録されてる率高いので、そのたびに興味をそそられるのですが……ちょっと怖そうで^-^;
Re: ねみさん
ガリヴァー旅行記は小学生のころに全訳読んで人間不信になりそうになりました。
スウィフトさん過激すぎるよ(^^;)
スウィフトさん過激すぎるよ(^^;)
次辺りにガリヴァー旅行記でもやってくれないかなぁ……とわくわくしながら見てます。
空飛ぶ島がいいです。
神話って怖いですよね。
空飛ぶ島がいいです。
神話って怖いですよね。
- #4502 ねみ
- URL
- 2011.07/02 21:03
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Re: ぴゆうさん
今回の話ですが、半ば、まだ学生だったわたしがなぜクトゥルー神話にハマって、なぜそこから離脱して、なぜ再び、また読んでみようかと思っているかを描いたものになると思います。
明日の更新は、「なぜクトゥルー神話から離れたか」の章と呼べるかもしれませんね。
論争を覚悟しております。ちなみに明日はちと留守にするので予約投稿にしてあったりします。コアなファンからの罵倒入りの反応を読むのが怖いからでは……ないよなおれ! ないよなおれ!(^^;)
明日の更新は、「なぜクトゥルー神話から離れたか」の章と呼べるかもしれませんね。
論争を覚悟しております。ちなみに明日はちと留守にするので予約投稿にしてあったりします。コアなファンからの罵倒入りの反応を読むのが怖いからでは……ないよなおれ! ないよなおれ!(^^;)
NoTitle
うぎゃーーー
ラヴクラフトだーーー
すっ飛んできたぞーー
懐かしイーー
はまった、はまった。
ネクロノミコン・・・おおーーー
創元推理文庫、まだ持っている。
興奮しちまった。
ラヴクラフトだーーー
すっ飛んできたぞーー
懐かしイーー
はまった、はまった。
ネクロノミコン・・・おおーーー
創元推理文庫、まだ持っている。
興奮しちまった。
- #4500 ぴゆう
- URL
- 2011.07/02 19:19
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Re: 卯月 朔さん
しかしつまらない作品は……とほほほ(^^;)
それをかきわけて面白い作品を探すのが楽しいのですが(歪んでるなわたし)