海外ミステリ111位 トリプル ケン・フォレット
【 東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)】
昔、なんとなく本を買い、そのままずーっと積読にしておいた本。「針の眼」がなんとなく合わなかったからなあ。今回をいい機会と思って読む。もちろん初読だ。
で、読んだわけだが。うーん……やっぱりケン・フォレットは自分には合わない。訳者が悪いのか、元からこういう文体なのかはわからないが、「針の眼」だけでなく、この本も、このほかの本も、どれもみな、「文章が軽薄」なのである。別にライトノベルというわけではなく、このケン・フォレットという人、どんな重いテーマを描こうが、どんなアクションシーンを描こうが、どんなラブロマンスを描こうが、何を書いても「薄っぺらい」「軽薄な」「アメリカのB級テレビドラマのような」印象を受けてしまうのだ。なんというか、「スポイルされたジャック・ヒギンズ」という感じなのである。
本書、「トリプル」は、原爆を作るために必要な放射性物質を満載した船を強奪しようとするイスラエルのスパイと、それを妨害しようとするソ連のスパイ、間に入って漁夫の利を得ようとするエジプトのスパイとの奇妙な縁と、知略の限りを尽くした頭脳戦とを描く「どうやっても面白いだろお前」というシチュエーションなのだが、これがもう読んでいてつらかった。登場人物の設定は深いところまできちんとされているのだが、読んでも読んでも、その深さが読んでいるこちらにまったく伝わってこないのである。ものすごく底の浅い人間が、頭だけで考えたことをやっているような、そういう感覚である。「人間が描けていない」という紋切り型の評はわたしは大嫌いだが、こと、ケン・フォレットの小説に関しては、その言葉がずばりと当たっているのではないかと思えてならない。ページをめくるたび、「ジャック・ヒギンズなら熱いセリフをこう書いただろう」とか、「デズモンド・バグリイだったら主人公に降りかかる苦難をこう描いたに違いない」とか延々考えてしまうのである。しかもこの本、厚いのだ。邦訳の文庫で500ページ以上あるのだ。
さすがに四分の三も読むと、ペースが上がってきて、怒涛の海洋冒険小説になるのだが、そこまでがたいへんである。まあ、この文体が合う人にはすいすい読めて面白いスパイスリラーなんだろうとは思うけど、途中何度くじけそうになったかわからない。この軽薄さを「大ボラ」レベルにまで突き抜けるとクライブ・カッスラーのような大ウソ痛快活劇ホラ話になるのだろうが、中途半端にリアルだしなあ。
前にも書いたかもしれないが、ケン・フォレットをいま読むならば、時事ネタで押しているようなスパイスリラーではなく、本人がオタク趣味を丸出しにして書いた「大聖堂」のほうが質量ともに充実していて面白いと思う。ケン・フォレットの小説の「軽薄」と思われる「順調にいきすぎるプロット」や「深みのまったくないロマンス」といった欠点が、「中世イギリス」という舞台になるとこれがもうぴったりとマッチし、分厚い文庫で全三巻、というボリュームがすいすい読める。
しかし、イスラエルのユダヤ人の苦悩はみっしり描くのに対して、ソ連のスパイや亡命パレスチナ人の苦悩については「軽く流す」のにはちょっとなあ、と思う。ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」を読んだせいかもしれない。二つを混ぜて真ん中あたりを取るといいエンターテインメントになると思うのだが。クィネルの「スナップ・ショット」みたいなさあ。
で、読んだわけだが。うーん……やっぱりケン・フォレットは自分には合わない。訳者が悪いのか、元からこういう文体なのかはわからないが、「針の眼」だけでなく、この本も、このほかの本も、どれもみな、「文章が軽薄」なのである。別にライトノベルというわけではなく、このケン・フォレットという人、どんな重いテーマを描こうが、どんなアクションシーンを描こうが、どんなラブロマンスを描こうが、何を書いても「薄っぺらい」「軽薄な」「アメリカのB級テレビドラマのような」印象を受けてしまうのだ。なんというか、「スポイルされたジャック・ヒギンズ」という感じなのである。
本書、「トリプル」は、原爆を作るために必要な放射性物質を満載した船を強奪しようとするイスラエルのスパイと、それを妨害しようとするソ連のスパイ、間に入って漁夫の利を得ようとするエジプトのスパイとの奇妙な縁と、知略の限りを尽くした頭脳戦とを描く「どうやっても面白いだろお前」というシチュエーションなのだが、これがもう読んでいてつらかった。登場人物の設定は深いところまできちんとされているのだが、読んでも読んでも、その深さが読んでいるこちらにまったく伝わってこないのである。ものすごく底の浅い人間が、頭だけで考えたことをやっているような、そういう感覚である。「人間が描けていない」という紋切り型の評はわたしは大嫌いだが、こと、ケン・フォレットの小説に関しては、その言葉がずばりと当たっているのではないかと思えてならない。ページをめくるたび、「ジャック・ヒギンズなら熱いセリフをこう書いただろう」とか、「デズモンド・バグリイだったら主人公に降りかかる苦難をこう描いたに違いない」とか延々考えてしまうのである。しかもこの本、厚いのだ。邦訳の文庫で500ページ以上あるのだ。
さすがに四分の三も読むと、ペースが上がってきて、怒涛の海洋冒険小説になるのだが、そこまでがたいへんである。まあ、この文体が合う人にはすいすい読めて面白いスパイスリラーなんだろうとは思うけど、途中何度くじけそうになったかわからない。この軽薄さを「大ボラ」レベルにまで突き抜けるとクライブ・カッスラーのような大ウソ痛快活劇ホラ話になるのだろうが、中途半端にリアルだしなあ。
前にも書いたかもしれないが、ケン・フォレットをいま読むならば、時事ネタで押しているようなスパイスリラーではなく、本人がオタク趣味を丸出しにして書いた「大聖堂」のほうが質量ともに充実していて面白いと思う。ケン・フォレットの小説の「軽薄」と思われる「順調にいきすぎるプロット」や「深みのまったくないロマンス」といった欠点が、「中世イギリス」という舞台になるとこれがもうぴったりとマッチし、分厚い文庫で全三巻、というボリュームがすいすい読める。
しかし、イスラエルのユダヤ人の苦悩はみっしり描くのに対して、ソ連のスパイや亡命パレスチナ人の苦悩については「軽く流す」のにはちょっとなあ、と思う。ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」を読んだせいかもしれない。二つを混ぜて真ん中あたりを取るといいエンターテインメントになると思うのだが。クィネルの「スナップ・ショット」みたいなさあ。
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